植村隆さん講演会

月曜日、元朝日新聞記者の植村隆さんの講演会が、エルおおさかであったので行ってきた。
正直、私はこれまで、この件は植村さんにも多少の落ち度があったのではないかと思っていた。だが、実際に話を聞いてみて、そういう問題ではなく、巨大で不当な暴力が一個人に押し寄せているという現実を実感した。植村さんは、その力と必死に戦っている。


事実関係で、とくに私が知らなかったことをいくつか書いておくと、まず「慰安婦」問題について植村さんが書いた記事は、91年の年末ごろに、韓国で元「慰安婦」の女性が初めて名乗り出たことに関する二つの署名記事のみである、ということ。つまり、有名な吉田清治氏の証言に関することや、「慰安所設置に軍が関与」というスクープ記事などの報道には、植村さんは一切関与していないのだが、なぜかこれら全てを含めた朝日の「慰安婦報道の主犯」の如くに扱われて、植村さんはバッシングを受けている。まず、これが一つの不条理だ。
そして、肝心の実際に植村さんが書いた二つの記事についても、批判されている内容は、当時の一般通念に沿った記述(当時は韓国でも日本のマスコミでも「慰安婦」と「挺身隊」を同義のように扱っていた)であったり、朝日以外のメディア(読売など)でも同様の報じ方をしていたものであり、植村さん(朝日)だけが非難される筋合いはないものであることが説明された。
まして、最大の非難・抽象の的となっている「捏造」などという事実や、邪推されている(遺族会幹部である)義理のお母さんへの便宜供与がないということは、いわゆる「第三者委員会」の報告書にも明記されているのである。
総じて、植村さんへの攻撃、特にすべての罪を植村さん一人に集約して負わせるかのごとき去年以降のバッシングは、理不尽、異常というほかないものだが、植村さん自身は、自分がそうしたターゲット、ないしはスケープゴートのようにされる理由を、先に述べた義理のお母さんの存在など、叩く側にとって「ストーリーが作りやすい」からではないか、という風に分析しておられた。


私は、話を聞いていて、植村さんへの攻撃が「捏造」という語によってなされていることが、特に印象に残った。
植村さんの記事に対する攻撃は、91年に上記の記事が出た直後からあったのだが、その急先鋒だった西岡力氏にしても、当初は「事実誤認」というような語を用いていたのが、98年頃から、「捏造」という表現を用いるようになったのだという。
98年というと、ちょうど日本の経済・社会が、グローバル化の影響などで決定的に失墜したことが明らかになりはじめた時期だろう。
「捏造」という語には、能動的・意図的な意味がある。
おそらくこの言葉の氾濫の裏には、自分たちの失墜や不安を外部の何者かの悪意と攻撃によるものと考え、自分たちを犠牲者・被害者と思いたいという、日本社会全体の漠然とした願望が込められていたのだと思う。
西岡氏のような人物や、政治家、右派メディアは、いわば、この俗情と結託したのだ。
植村さんは、実際にはそれが「捏造」ではないことを知っていながら、この世情に迎合するかのように「捏造」説を唱え、(植村さんへの)バッシングと社会の極右化を扇動している西岡氏や櫻井よしこ氏のような人物を、決して許すことは出来ないと語っていた。
植村さんはまた、特に昨年8月5日の朝日新聞のいわゆる「慰安婦報道検証記事」掲載を機に一段と激化した(私はそこに込み入った政治的意図を感じざるを得ないのだが)バッシングの状況の恐ろしさは、このようなデマが出版物の形をとってまで流通し、その論者や、それに煽られて攻撃して来る者たちは、論理的には論破されていても、おかまいなしに攻撃しつづけてくるという不気味さにある、とも語っていた。これはもはや、人々が、論理や理性ではなく、気分と情動に動かされるままになっていることを意味しているのだろう。
それが事実ではないと分かっていながら、責任を否認したい願望や、攻撃欲を満たしたいという衝動に突き動かされるままに、大量のデマ(嘘)の洪水によって事実や真実、そして人々の声や良心を押し潰していくことの、暗い快楽に溺れていく人々。この国の首相の姿は、そうした社会総体のあり方の、鏡像のようにも思える。


植村さんは講演のなかで、自分や家族が受けた誹謗中傷や脅迫などの攻撃について、繰り返し語った。それは、思い出し、話すこと自体が苦痛であるような屈辱的な体験だろう。しかも、それはまだ終わっていないのだ。
人をさらし者のようにして辱めたり、攻撃することで、発言や告発を封じ込め、あるいは無効化する(無いものにしてしまう)という手口は、「慰安婦」にされた当事者の人たちが、ずっと体験してきたこと、いまだに(国家規模の暴力によって)さらされているものでもある。
その集団的な、とてつもない力によって、植村さんも苦しめられ、深く傷ついたのだろうと思った。
この国の権力の仕組みや体質が、深いところで変わっていないことを、それは示すものでもあるだろう。
植村さんは、この集団的な力(暴力)を利用した言論操作・言論統制の犠牲者として選ばれ、利用されたのだ。