『二つの同時代史』・その2

二つの同時代史 (岩波現代文庫)

二つの同時代史 (岩波現代文庫)


(承前)



敗戦の時、治安維持法がすぐには廃止されず、刑務所に入れられていた人たちも解放されず、三木清のように戦後に獄中で亡くなった人まで出たというのは、よく知られた話だが、当時の一般的な感覚としては、敗戦によって治安維持法が廃止されたり、服役していた人たちが釈放されるかどうかは、半信半疑というところだったらしい。
左翼出身の埴谷雄高本多秋五は、「戦前の弾圧機構と同じではあるまいという感じ」を(例外的に)持っていたので、敗戦後すぐに新しい雑誌(「近代文学」)を創刊しようと動き始めるのだが、例えば戦時中大井広介(麻生家の一員)の紹介で九州の麻生鉱山で働いていた平野謙などは、治安維持法で逮捕されることを怖れて、なかなか乗ってこなかったと書いてある。

大岡 そのときには、まだ治安維持法は生きていたんだろう。それなのにそういう計画を立てたわけだね。
埴谷 そうだ。
大岡 だから平野が恐がったというのはその関係もあったんじゃないのか。
埴谷 それはあっただろう。しかし、治安維持法は生きていたけれども、特高はもう昔のような力を絶対もたないと、われわれは感じてたんだよ。大橋静市のところへくるものの大半は新しい共産党づくりに一生懸命になっていたしね。
大岡 いずれ、そのうちになくなるだろうと思っていた。ところが案外なくならないで・・・。
埴谷 東久邇宮内閣はかなり長く続いたんだよ。
大岡 九月二十六日に三木清が死んでいるんだから、八月十五日から七週間、まだ効力を奮っていたわけだけれど、そのあいだに、そっちはどんどん進めたんだね。
埴谷 そういうわけだ。というのは、日本の敗戦で、軍部がなくなっちゃったんだから、戦前と同じ権力が続くと思えなかったんだよ。
 治安維持法は日本の政府では廃止されなくて、あれはマッカーサーの指示だけど、やがてポツダム宣言の実施でなくなるだろうという感じはあったんだよ。そこへのマッカーサー指令。だから共産党が連合軍を解放軍と呼んだのも、はじめはうなづけないこともなかった。日本人じゃやれなかったことを、農地改革でも、婦人参政権でも、全部マッカーサーがやっちゃったわけだから。もっともマッカーサーがそういうことをつぎつぎやるということは、そのときはまだわれわれにはわからないけれども、とにかく戦前の弾圧機構と同じではあるまいという感じはしていたから、新しい雑誌をすぐつくろうということになってたんだ。(p329〜330)

つまり、日本が戦争に負けたからといって、治安維持法が廃止されて、政治犯が解放されるとは、多くの日本人は必ずしも思わなかったのだ。敗戦ということと、(支配)体制の解体ということとは、必ずしも結びついていなかった。
これは、戦前・戦中の国家的な考え方というものが、いかに人々の内面を支配していたかの表れだろう。考えてみれば当然とも思えるが、僕はこれまでそんな風に考えたことはなかった。
このことは、イラクフセイン体制が米軍によって倒された時の、イラクの人たちの心理を想像すると理解しやすいかもしれない。戦時中の日本人も、イラク戦争の時のイラク国民も、大半は体制に抵抗していたわけではなかった。
新たな価値観は、外から、新たな支配者によってもたらされたのだ。
そこで、(イラクはともかくとして)日本の場合、これまで自分たちがその中に置かれていた(抑圧的な)状況を捉え返し、「解放」を真に自分たちのものにするという仕事は、そっくり「戦後」に残されることになった。
その課題は、果たされたといえるか。
もちろん、果たされなかった結果として、現在があるのだ。