高倉健のインタビューから

亡くなった高倉健のインタビュー映像、これは三年ほど前に収録されたものらしいが、NHKが追悼番組として急遽編集し、放映していた。
その番組の、特に前半が印象深かったので、ちょっと書いておきたい。


そこでは、まず高倉が、九州の炭鉱地帯で育った子ども時代を回想し、気性が荒いというか、喧嘩や揉め事の絶えない土地柄で、学校に行く途中に、路傍に死体が置かれてあるのを何度も目にした、と語っていた。「土地柄」といっても、この暴力性は、当時の日本の石炭産業や国そのもののあり方に由来するものであることは、言うまでもないだろう。
そして、もっと後のところでは、高倉の代名詞的な役柄となった「唐獅子牡丹」などでの任侠の男の像に触れ、自分自身の中には、すぐにカッとなって粗暴になる部分がある、はっきり言うと、「こいつ、殺してやろう」と思ったこともしばしばある。あの暴力的な危険な男の像は、自分自身のそういう本質と重なるものだ、といった意味のことを、高倉は真剣なまなざしで述べていた。だから、そういう高倉の性格を知っている彼の母は、彼の任侠映画を見て、暗い気持ちになったようだ、とも言ってたと思う。
このあたりの、自分の根っこにある粗暴さを、あからさまに吐露する姿が、私には非常に印象的だった。
つまり、少年時代に見た、日常の中での凄惨な暴力の記憶が、高倉の粗暴なところのある性格の形成につながっており、それが演じている役柄に投影してしまっているように自覚されていることを、高倉自身が、言わずに来たことをあえて吐露するようにして語っていたのである。
この番組は、そのへんの関連を、よく捉える構成になっていたと思う。


俳優自身の性格がどうであるかということと、演じる役柄とは、一応関係のないことなのだろう。
やはりインタビューのなかで興味深かったのは、高倉が演技者として脱皮するきっかけになったのは、武田泰淳原作・内田吐夢監督の『森と湖のまつり』に主演して、アイヌの青年の役を演じた時、監督から、「お前には、アイヌの青年の怒りは表現できない」と貶されたことに反発して奮起したことだ、という話だった。
一般的に、粗暴な怒りに支配されている者は、他者の怒りを演技として表現することは出来ないのだろう。
だが、高倉の場合、彼自身の中に抑圧された粗暴な情動があり、監督は、それを起爆剤にして、彼に演技者としての殻を破らせることが出来ると考えたのかもしれない。


しかし、そうして出来上がっていった、暴力的なスターのイメージに、高倉自身は、どこか重苦しいものを感じていたのではないだろうか。
それは、その暴力性が、単なる演技の産物ではなく、彼個人の内部に深く埋め込まれた暴力の回路のようなものに結びついていると、自覚されていたからだ。
無論、大衆は、この暴力の物語を支持した。その理由は、この暴力性が、つまり暴力の自己抑圧(ストイックさ)と、粗暴な暴発、そして(任侠映画のラストで必ず描かれる)公権力への帰順といった事柄が、誰にとっても極めて馴染み深い事柄だったからだろう。
そして、この美化された暴力の物語は、高倉が年を取っていくにつれて、寡黙でストイックな男の肖像として、より巧妙に形成されていった。80歳を迎えた、国民的俳優高倉健とは、日本の大衆が同一化し、肯定し続けた、この抑圧と暴発と従属との循環による、暴力の回路の象徴であったとも言えよう。


私が、自分の暴力性を告白する高倉の言葉に、強い印象を受けたのは、国民的俳優高倉健を作り上げた、この国の公式的な物語の欺瞞を、その言葉が期せずして暴いているように思えたからだ。
その言葉は、私には、この社会が高尚なもの、美しいもののように賛美してきた彼のイメージが、実際には、近親を暗い気持ちにさせるような、凄惨で粗暴な内面の反映に過ぎなかったのだという事実を明かすことによって、高齢になった彼が、一人の生身の人間であることを回復しようとしているようにさえ、思えた。
人々は、高倉の演じる人間の暴力を「美学」として賛美するが、それは実際には、醜い、愚かな、粗暴さ、短気さ、殺意の産物以外の何物でもない。
虐殺や差別や、弱い者、家族や女性や動物や、そういったものに専ら向けられる、自暴自棄な暴力、その生々しさを隠蔽しつつ、それを賛美してきたのが、「高倉健」というスターを産み出し神格化した、この社会だ。
高倉健」という偶像を担い続けることは、そういう社会の仕組みの犠牲になり続けることであり、それを彼は、少しでも脱ぎ捨てようとしたのではないか。


それはともかく、少なくとも私たちは、この暴力の物語から、私たち自身を解放していくべきだ。
そのためには、高倉がインタビューの中で行ったように、自分の内面の、卑小な暴力の実在と向き合って、それを否定し脱却していく努力を始めなくてはならない。
そうすることによって私たちは、生を暴力の公的な物語から解放して、非暴力的な関係の中へと置き直していくべきだと思うのである。