条件付きの民主主義に反対

この記事については、色々言いたいことがあるけど、一番大事な論点のみ書く。
次の箇所についてだ。

http://www.cyzo.com/2010/03/post_4163.html

しかし、民主党案では「我が国と外交関係のある国の国籍を有する者やこれに準ずる地域を出身地とするものに限定する」としたため、特別永住者についても国交のある韓国籍を持つ人か、「準ずる地域」として、国交はないが交流のある台湾に限るとしている。各メディアでも「朝鮮半島出身者やその子孫で、韓国籍でない人は適用外になる可能性が高い」と報じた。

朝鮮学校をめぐる問題でも、あれだけこだわって結局排除することになりそうなぐらいだから、きっとこの問題でもこの部分がたいへんな議論になってるんだろうなあ、とは思っていた。
実際、この民主党案を見ると、「無償化」法案において検討されているとされる文部科学省の省令なるものと、発想が同じである。
在日外国人の地方参政権、しかも特別永住者におけるそれという、(リベラル的な)社会のあり方の根幹に関わる部分においても、何らかの理由をつけて人と人の間に線引きをし、「権利を持つ人」と「持たない人」との分断を作り出さねば気がすまないらしい、この国は。


はじめから、「外国人」を社会における政治の場から一律に排除しようという立場に立つのなら、こうした差別・分断は、まだしも排外的という点で「筋が通っている」と言えるかもしれない(皮肉です)。
だが、この法案で目指されているのは、言うまでもなく寛容とか共生とか、民主的とか呼ばれる社会の実現だろう。そのなかに、やはり差別と分断の線をあらかじめ刻み付けておかないと、国民的なアイデンティティが保てないらしいんだよなあ(これも皮肉)。


朝鮮籍*1と呼ばれる人たちが排除される表向きの理由のひとつとして、「朝鮮総連が反対してるから」というものがある。
朝鮮籍朝鮮総連」という図式は成立しないので、そもそも意味をなさないといってよいのだが、かりにその図式を認めるとしても、権利を得るべきであるとみなされる当事者がそれを拒否しているからといって、権利(付与)自体が最初から剥奪されるなんてことが通るか?
たとえば生活保護を決して受けたくないといって、申請をすすめる支援者を困惑させる高齢の野宿者の話を、しばしば耳にする。だが、だからといって、この人たちからそもそも生活保護を受ける権利自体が(その申請が受理されるかどうかは別にして)与えられないということ、その権利から排除されているということは、あってはならないことだろう。
その権利が当然与えられるべきものであるなら、その権利を行使するか拒むかは当人の自由であるとして、権利自体はまず与えられるべきなのである。


自民党政権の時代にも、しばしば総連の人が国会や党内の研究会の場に(こういう時だけ)呼ばれ、反対の意見陳述を行って、「ほら、在日の方自身が、こういう風に言ってるでしょ」というネタに使われて、外国人に参政権を与えないことが正当化されるという場面を何度も見てきた。
マイノリティ、そして無権利者の意見は、こういう場合にはうやうやしく「拝聴」され、利用されるのである*2
だがいったい、こういう法案を提示している当人、制度・社会を現に運営し作ろうとしている当人は誰なのだ。


また、国民新党亀井静香は、この法案への反対理由のひとつとして、「民族感情を刺激するので」というふうなことを述べた。
だが、そういう困難な状況を作り出したのはそもそも日本政府であり、今後作り出されるのも日本政府や日本人がそれを利用とすることによってだろう。
そして、政治の場に参加することによって「民族感情」が刺激されるような現実があるとすれば、その現実の根幹は、人と人の間(日本人と外国人の間も含む)に差別と分断の線が引かれている、ということにこそあるのである。
その不当なものを手付かずにするどころか、さらに強化しようとさえしておいて、マイノリティのことを思うも何もないものだ。


そしてもちろん「総連が反対してるから」とか民族感情云々などということは、日本人の政治家が口にする場合には口実にすぎず、実際には政治状況や世論を理由にして、差別と排除と分断を民主政治のなかに刻み付けたい、民主主義を差別的なものとして構成しておきたい、ということである。
だってそうしておけばこの先、色んな時に色んな人を排除したり操作するのにも便利だもんなあ。
こういう発想と制度を、当たり前のもののように受け容れることで、ぼくたちはどんどん、排除や切捨てが(社会のためには)当然のことである、という感覚を身につけていく。
そして、他者を失い、自分自身の生の最も重要な部分をも失っていくのだ。


条件付き、排除付きの民主主義に反対。
国籍や思想信条によって、人間の間に差別と分断を持ち込み、それによって全ての人から人間性と生の自由を根本的に剥奪していく、この社会のあり方に反対だ。


ところでどうやらこの法案は、廃案になる見通しらしい。
それはもちろん、「こんな差別的な法案が成立しなくてよかった」ということではない。
こんな最悪の民主的法案さえ通らないほどに、この国の社会と政治は、排外主義と差別によって腐敗させられているということなのである。

*1:上の記事で述べられてるように、これはいわゆる国籍ではない。もちろん、国籍を持つか否かで人間を差別する思想自体が捨て去られるべきだが。

*2:そういうやり方こそが、分断と対立を激化させるのだ。