国家による暴力の論理への抵抗を

さる24日日曜日、大阪市内で行われた「朝鮮学校ええじゃないか!春のモア・パレード」に参加した。
これは、朝鮮学校への「高校無償化」適用や、自治補助金の再開・復活を求めて、行われた集会とパレード(デモ)で、朝鮮学校の学生や関係者、それを支援する人たちなど2000人近くが参加して行われたもの。
パレードは扇町公園を出発して西梅田公園の解散というコースであったが、まずその終盤近くに起きた出来事について書く。


僕は全体の前の方の隊列に居たのだが、西梅田公園に入るとすぐに、大音量のスピーカーで「朝鮮人」を口汚く罵倒する車が何台か(はじめは2台、その後他にも現れたようだ)公園横の道路に現れ、公園内は騒然となった。
この日は、御堂筋で「日韓断交」を趣旨にしているらしい排外主義団体のデモ行進が行われ、さらに夕方からは梅田のJR大阪駅前で街宣が行われる予定だった。それらに参加するのであろう人々によるパレードへの妨害行為だ。
西梅田公園に行ったことのある人は分かるだろうが、あそこは四囲を道路に囲まれたすり鉢のような構造になっている。公園に入った人は、このすり鉢の底にいわば閉じ込められたような感じになるのだ。また、公園の上方を高速道路が走っているため、音が大きく鳴り響く。
パレードを終えたばかりの、多くは在日朝鮮人、あるいは朝鮮学校に関係する、学生たちやお年寄り、子どもたちを含む家族連れが大半の人たちは、大音響で鳴り響くヘイトスピーチの渦の中に投げ込まれたのである。
警察は、これらの車両が、公園の横まで入ってくるのを阻止することもなく、そこに停車してがなり続ける排外主義者を制止する素振りはほとんど見せなかった。
公園の中は騒然となり、パレードを終えた直後の和やかな、あるいは高揚した気分といったものは、ほとんど雲散霧消してしまった。
僕には、四囲から次々に鳴り響いてくるヘイトスピーチや、威嚇的な音のする方に向かってあちらこちらへと動き続けるその人たちの姿が、この社会の中で暴力と不安に襲われて行き場を失いつつあるその心理の、象徴のように見えた。


後で聞くと、これらの車はパレード中から隊列の後方に粘着し、併走しながらヘイトスピーチを浴びせていたそうである。それに怒りを露わにして言い返す人も無論あったようだが、差別を目的として浴びせられる言葉に、その差別の暴力性において拮抗する言葉など、被差別者の側には定義上あるわけがないので、言い返された排外主義者の側は平然としていただろう。
ヘイトスピーチという暴力に対抗する言葉など、本当は無い。相手は議論をしようとしているのではなく、差別によって人を傷つけるために言葉を投げつけているのだ。それは「差別する側」と「差別される側」との、この社会における力の不均衡を前提にしている。差別される側が、どんな言葉を相手にぶつけ返そうとも、それは単なる悪口に終わってしまい、相手に何の傷も残すことはないはずだ。
もちろん、誰かの心に傷を負わせることが目的ではない。だが、実際に傷を受けた者は、それを癒すために、その痛みをどこかにぶつけることは当然なことである。その対象は、自分に傷を与えた当の相手であるべきなのだが、差別者である相手に同じ傷を与え返せる言葉も方法も、被差別者には本当は無いのだ。
この構造的な無力さのなかで、屈辱と暴力への恐怖とに晒され続けなければならないということこそ、この人たちが現に置かれている差別の現実そのものである。
あの公園での人々の不安な様子が示していたのは、そうした日常の現実の暴力性・差別性に他ならない。


つまり、排外主義者やヘイトスピーチそのものの見えやすい暴力性の背後には、それが是認されている社会全体の、より根本的で巧緻な暴力性が存在しているということだ。
実際、巨大な暴力を行使するのは常に国家であり、その行使を(形式上とはいえ)支えているのは多数派の市民たちである。
国家の機構である警察は右翼や排外主義者の暴力を容認し、市民は右翼や排外主義者の暴力を黙認すると同時に、そうした国家の差別性と暴力をも容認する。こうして犠牲となるのは、国家の論理の外側に締め出された、マイノリティや社会的弱者、そして不服従的な人々である。


警察による右翼や排外主義者の暴力の容認は、同調性(権力の下での、ということだと思うが)が強いといわれるこの国の社会全体への、強いメッセージとなって働く。
それは、差別的である国家の方針に逆らうと何も良いことはないという現実を教えるのだ。


僕は率直に言って、この日の出来事は、「朝鮮学校への差別をやめよ」などという国策に反対するような意思表示に対しては、どんな差別の暴力が降りかかるか分からないぞという、公権力の恫喝的な意志の現われだと感じた。
日本の公権力は、右翼や排外主義者のデモは出来る限り自由に行わせるが、マイノリティや左翼、服従しない市民たちの意思表示は、あらゆる手段を使って押さえ込もうとする。これは根本的には、この国のあり方と現状とが、差別に満ちていることの現われだ。
最近の「野放し」状態の排外主義者たちの行動も、マイノリティや国による脅威を受け続けている人たち(被爆者や貧困者など)の抗議行動に対する右翼の嫌がらせと、警察によるその容認も、いずれも「国家の意志」の現われ以外のものではないのだ。


表現の自由」を守るとか、「身の安全を守る」というようなことは、国家の方針に逆らうものを押さえ込むという大目的の前には、常に警察にとっては二次的な関心事、もっとはっきりいえば口実のようなものでしかない。その事実が、公権力によって「国民でない」と見なされるような人たち(外国人や日雇い労働者など)にとってばかりでなく、一般社会の全体に対しても露わになるのが、今日のような国家の危機の時代、ファシズム化の時代だといえよう。
この時代には、公権力は、秩序と国家の方針に服従しようとしない人々の動きに対しては、さまざまな抑圧的暴力(もちろん警察自身のそれを含む)の匂いを社会全体に漂わせることによって、統制を図っていく。戦前において、2・26事件などの若手軍人たちの動きや、一連の右翼テロが、それら自身は鎮圧(統制)されることを通して、結局は戦争に向かう社会全体の統制の道具として機能したのが、その見やすい例だ。
差別や暴力の噴出という表面の事態に加えて、それを通してわれわれが国家による暴力の論理を次第に内面化し、統制のもとに置かれていくことこそ警戒しなければならないのだと思う。




こうした警察の、右翼的な暴力を容認し、統制のために利用しようという態度が露骨に表れているのが、この31日日曜日に大阪鶴橋で予定されている排外デモ・街宣と、それへのカウンター行動についての対処である。
ツイッター上に以下の発言が流れた。

凛七星NO!HATE,NUKES,TPP ‏@geillrim  3月24日

【糾弾?】大阪府警は前回、鶴橋での差別デモ・ヘイト街宣のとき、在特会らが先に道路使用許可を取っているからと、友だち守る団がカウンターのため近くの場所を申請しても認めず離れた場所に追いやったのに、31日は友好関係の某団体が使用許可を先に取ってるのに、すぐ隣でヘイト街宣を認めるとは!


警察は、カウンター行動のすぐ横で排外主義者たちに街宣を行わせることで、こうしたカウンター的な運動を行いにくくし、暴力と差別と諦めが支配する社会の雰囲気を作るという、現政権の統治の方針に沿おうとしているのだろうというのが、僕の考えである。
関連して、以下の記事がある。

【大阪・鶴橋】 レイシストに甘く、カウンターに厳しい警察 (田中龍作ジャーナル)
http://tanakaryusaku.jp/2013/03/0006876


僕は、いま最も警戒するべきなのは、「表現の自由」を阻害する「言論統制」ということよりも(それも重要ではあろうが)、合法・非合法の暴力を用いた抗議運動への物理的な統制(自由の抑圧)ではないかと思う。
実際、国家の方針に大枠で沿う者たち(例えば排外主義者たち)の「表現の自由」は、認められすぎるほど認められているといえる。とはいえそれは、結局は「国家による表現の自由」に過ぎないのだが。


日本の警察が「レイシストに甘く、カウンターに厳しい」ことは、書いてきたように、国家の体質と方針を反映した、(残念ながら)まったく当り前のことである。
この当り前さは、もちろん打破されなければならないのだが、それを構成しているのはこの国家そのものなのだとしか言いようがない。
レイシズムへの反対は、この国家が遂行しつつある「暴力による政治」への反対であるしかないのだということを、この警察の対応ははっきりと示しているのだ。


最後に、この31日の鶴橋でのカウンター行動への参加呼びかけ文をMLから転載します。

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3月31日の「行動する保守」の面々の『特亜殲滅カーニバルin大阪』鶴橋街宣
http://calendar.zaitokukai.info/kinki/scheduler.cgi?mode=view&no=113
に対して、『友だち守る団』とは別団体から下記の行動提起がありました。表現方法
等に微妙なスタイルの違いはあるかもしれませんが、連携して準備を進めています。
ご参加いただければありがたいです。
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日本・コリア 友情のキャンペーンご協力のお願い

 日本とコリアの友好、交流を願っておられる皆さまにご協力のお願いです。
 昨今、日韓交流の一大拠点である東京・新宿や、在日コリアンの最大の集住地域で
ある大阪・鶴橋で、「在日特権を許さない市民の会在特会)」などの極右勢力が、
朝鮮人死ね」など、聞くも耐えられないような暴言を繰り返す示威行動を繰り広げ
ています。
 この示威行動によって、多くの人たちが言葉にできないほど傷つけられ、怒りを感
じています。
 彼らは、大阪・鶴橋駅前にて、2月24日に引き続き、3月31日にも宣伝活動をおこな
うことを告知しています。
 私たちは、これに対するカウンターとして下記の通り、鶴橋駅前での街宣活動を企
画しています。ぜひとも多くの人たちが、日本とコリアの友好と交流、平和と共生を
願う思いをアピールしていただきたいと思いますので、ご参加よろしくお願いしま
す。

「日本・コリア 友情のキャンペーン」街宣活動
【日時】2013年3月31日(日)午後12時30分集合(街宣時間は午後1時〜3時)
【場所】北鶴橋ふれあい公園(生野区鶴橋1-6)集合
        JR環状線・地下鉄・近鉄鶴橋駅」南に
http://www.mapion.co.jp/m/34.66059166_135.53291666_8/v=m1:%E5%A4%A7%E9%98%AA
%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%94%9F%E9%87%8E%E5%8C%BA%E9%B6%B4%E6%
A9%8B1%E4%B8%81%E7%9B%AE/
※全体で当日の行動の概要や注意事項を確認したのち、鶴橋駅前に移動します。参加
できる方は、北鶴橋ふれあい公園に集合してください(12時30分時間厳守)。
当日配布用のチラシなどは、実行委員会で準備していますが、持ち込みも歓迎です。

※当日は、在特会が街頭情宣を予告していますが、鶴橋駅前の道路使用許可は実行委
員会で受けていますので、彼らの使用は認められません。ただ周辺にて街宣をする可
能性があります。
 情宣活動の趣旨は彼らに対する対抗ではなく、あくまでも日本とコリアの「友情・
友好」のアピールですので、ご理解をよろしくお願いします。
 当日の行動などについて、お問い合わせがある方は、下記までよろしくお願いしま
す。
【問合せ】「日本・コリア 友情のキャンペーン」情宣活動実行委員会 kj_yujo★
yahoo.co.jp
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