田村圓澄『法然』

法然 (人物叢書)

法然 (人物叢書)




このところ、法然に関心を持っている。
また、たまたま今年に入って訪れて印象の深かった二つのお寺、京都の蘆山寺と、奈良の当麻寺が、いずれも法然の『選択本願念仏集』にゆかりがあることを後で知り、妙な因縁を感じてもいる。
それで、以前から読みたいと思っていた、田村圓澄という人の書いた、この評伝を読んでみたのだが、興味深かったことは幾つもある。
たとえば、法然と南都(奈良)の浄土教との関わりの深さである。日本の浄土教には、『往生要集』を書いた源信に代表される天台浄土教と、南都に伝わる浄土教の二つの系統があるということも、実は初めて知ったが、法然比叡山で学び長く暮らした天台の僧侶であるにも関わらず、南都(特に東大寺)の浄土教の方から強い影響を受けたらしい。それは、この系統の僧侶たちが、(「専修念仏」の考えをとらなかった源信たちとは異なって)法然の信仰上の師ともいうべき唐の善導の教えを重視していたからである。
その南都浄土教の中心となったのは、かつて南山城にあった光明山寺というお寺だった。ここは様々な宗派や僧たちが関わった巨大な寺院だったらしいが、東大寺浄土教の別所でもあったのだ。
こうしたことのためか、東大寺法然のつながりは深かったようで、延暦寺興福寺が中心になって行われた、法然の「専修念仏」に対する弾圧にも、東大寺が加わった形跡は全くないのだという。
僕は、東大寺も大好きなお寺なので、こういうことも面白かった。
だが、特に法然自身について考えさせられたのは、次のような事柄である。


以前に町田宗鳳著『法然明恵』という本を読んだとき、これは僕が勝手にそう思い込んだのであろうが、法然を、支配階級と独占的に結びついていた当時の日本仏教を大胆に改革した人、そして民衆の為の教えを広めた人のように考えた。
法然は、従来の宗教的権威を否定する宗教的革命家であり、抑圧されていた民衆の宗教的解放を目指した人だったが故に、時の権力や旧来の宗派から激しい弾圧を受けた。これが、僕の解釈だった。
そして、法然の思想と行動の全体を、この民衆救済(布教)という目的の為のレトリックという観点から捉えようとしたのである。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20131106


ところが、この『法然』を読むと、そのような法然像は、かなりはっきりと否定されている。
法然が目指したのは、元来は自分一個の宗教的・内面的救済であって、そこで見出された教え(専修念仏)が、特権的な人たちにしか救済のチャンスはないとする旧来の仏教のあり方(聖道門)の否定を意味し、民衆全体を救済する教えとして広まっていったことは、あくまでその結果にすぎない、というのである。

それは法然の目的でなく、結果として導かれたことではあるが、聖道門を唯一最高の権威と仰ぐ仏教の価値体系は、法然により覆されたのである。(p44)

だから、迫害されて追放になった道中で民衆に広く布教したというような伝道のエピソードも、かなり後年になってから生じた法然の心境や考え方の変化を示すもので、元々は、そうしたことに関心の重心があるわけではなかった、とされる。

もし、いわゆる伝道教化が法然の使命であったとすれば、終生、自己の意志で、一歩も京都から出なかった法然の行状を、理解することもできない。(p46)

つまり、法然はあくまで自己の内面的救済を求めて、善導(中国の高僧)に由来する浄土教の教えに目覚め、「専修念仏」という方法に達したのであり、それが結果として、全ての民衆に救済の機会を(したがって仏教の教えを)開いて行くことになった、ということだ。


そうであるとすると、このことは、法然の内面への沈潜が、特権性を取り除いた「民衆」としての人間一般のあり様に触れる程、深いものだったことを意味するのではないだろうか。
そう考えると、僕が上記の記事の最後のあたりで、次のように考えを述べていたことも、(自分で言うのもなんだが)そう的を外していないのではないかと思えてくる。

ここで法然に戻ってあらためて考えると、彼にとっての民衆とは、いったい何だったのであろうか。
法然という宗教者の実存から離れて、それがあるわけではない。むしろ、信仰に向かおうとする自分自身を突き詰めていったところに、どうしても「悪」から逃れることのできない、人間のありのままの生き様としての「民衆」や「悪人」が見出されたのではなかったか。
そうであるならば、「極悪の人間」を救う教えこそ、ほんとうに人間を救う教え、「自分のなかの万人」を救える教えであることになる。
罪にまみれ、功徳を積むことさえも出来ないような、末世に生きる生身の人間を救いうるほんとうの教え。
法然にとっての念仏(専修念仏)とは、そういうものだったと思う。
それは、レトリックでありながら、もはやたんなるレトリックを越えるものだったのだ。


法然の「専修念仏」という教えには、民衆の心の普遍的な層に訴えかけるような、深い内的必然性があったということだろう。
ここで重要なのは、法然が内省的・精神的に「自分自身を突き詰めた」という場合の、その「内面」の、あるいは「精神」の内容である。
著者の田村圓澄は、生存中の法然には、民衆の尊敬を集める伝統的な「持律持戒の念仏聖」(p105)という社会的な側面と、自らの救済の道を内省的に追求する「専修念仏者」という(いわば)個人的側面の、二面があったことを強調している。

いうまでもなく、前者の「念仏聖」は、当代においても特異な存在ではなかったが、後者の「専修念仏者」は、法然その人の独自性を示すものである。また前者の「念仏聖」が、読経・受戒などの「験」により、在家者と結縁する限り、「救済者」としての性格が濃厚であるのに対し、後者の「専修念仏者」は、もともと出家者・在家者の区別を認めず、如来の前における平等の立前から、自他を同朋同行と見なし、従って、「求道者」としての性格が強い。(p105〜106)

法然の宗教史における特異性は、ふつう、後者の「専修念仏者」の側面に注目して言われるのだろう。
たしかに、旧来の仏教や宗教一般が、信者たちを、宗教的な力で救済されるべき存在として、いわば「下に」見出していたのに比べ、自分と他者(民衆)とを救済されるべき存在として平等・対等に見る「専修念仏」の思想は、その非権威性において際立っていると思える。これは、法然が鎌倉以後の新しい仏教の創始者とされる由縁でもある。
この「専修念仏」の立場を、よく示していると思えるのは、本書中に引用されている『選択本願念仏集』の次のような一節だろう。

「念仏は易きが故に、一切に通ず。諸行は難きが故に、諸機に通ぜず。然れば則ち一切衆生をして、平等に往生せしめんが為に、難を捨て易を取り、本願と為すか。」(p131)

当代のような「末法」の時機においては、念仏という「易」の方法によってしか、人々を広く救うことは出来ない。しかし、このことを法然は、民衆教化の方法としてではなく、自分個人の内面的体験を通して自覚したのだ。
法然は有名な「大原談義」においても、「聖道門の教えは確かに優れているが、自分のような不十分な力量の人間は、浄土門の教えによってしか救いを得ることが出来ない」と述べて、対話相手を説得したのだった。このような率直な内省的表明が、同じく聖道門の要請する「難」に直面して、自己の限界や矛盾を感じていたであろう宗教者たちの心をさえ打ったのだ。
ここには、宗教的権威から解き放たれた、「民衆」的な(対等・平等な)存在としての自己の生への目覚めがあったと、考えることも出来よう。


ところで、田村が強調するのは、法然の場合、前者の「念仏聖」の側面、救済者としての立場も、決して放擲されたわけではなかった、ということである。
むしろ、彼は晩年まで、九条兼実などの貴族たちの救済のために祈祷する、「持律持戒の念仏聖」という伝統的な役目を担い続けた。
これは、一見すると矛盾しているのだが、恐らく、この点にこそ、法然の真の特異性があるのだ。
彼は、旧来の仏教のあり方(「聖道門」)を否定して、「専修念仏」という形で別個の(近代的な?)宗派を立ち上げたのではなく、ただ、そうした教え(ロゴス)に回収されえない、生と自我の全体性を提示しただけだ。
そこで見出され肯定されているのは、念仏聖や祈祷、呪術といった旧来の信仰のあり方をも含んだ(必ずしも排除しない)、自他の民衆的存在としての全体性なのではないかと思う。
このことは、法然についての伝承が、「瑞相」として示されるような神秘的な装いを持つ場合が多いことと関連しているだろう。法然の教えと内省は、人々(民衆)の心の神話的・呪術的領域に触れているのである。
法然の仏教を「レトリック」と呼んだ僕の捉え方に一理があるとすれば、それは、この生の全体性を掬い取るような技法、という意味においてだろう。


だから、法然の行為を、聖道門を否定して、それに対立する新たな宗派を起こしたという風に捉えれば、それは法然の教えの総合的で民衆的な本質を捉えそこなうことになるだろう。
実際、彼は「浄土宗」という新たな宗派を起こしたわけではないということが、本書でも強調されている。また、聖道門批判の立場を明確にした『選択集』の上梓も、彼の本意ではなかったのだという。

法然の回心は、いわば聖道門的自我の崩壊と、そして、かかる劣機に呼びかける本願他力の救済の自証であった。(中略)それは、聖道門的自己との訣別であり、聖道門教団との決別ではなかった。(p141)

このような法然を排撃し、迫害・弾圧さえしたのは、かえって旧来の仏教の側であった。
本書では、法然の死後にも及ぶ、その苛烈な弾圧の経緯が詳しく描かれており、その生き生きとした描写は、読後感をいっそう豊かなものにしている。