『匪賊の社会史』

匪賊の社会史 (ちくま学芸文庫)

匪賊の社会史 (ちくま学芸文庫)



これは、とにかく面白い本だった。


著者がここで論じている匪賊(義賊)というのは、原則としては、流動する(あるいは都市の)「犯罪者集団」のようなものとは区別され、農村共同体と不即不離の関係にあるような収奪者(盗賊)の集団を指している。ロビンフッドとか、ロシアのステンカ・ラージンやプガチョフとか、水滸伝とか、古今東西の色んな例が出てくるが、日本だとどうだろうなあ、国定忠治みたいなのはちょっとあてはまらない、まあ、南北朝とか戦国の頃には多かったのかもしれない。
ともかく、この連中が、時には千年王国的な宗派運動と結びついたり、農民の一揆や反乱において(限定的とはいえ)重要な役割を果たしたり、大きな反抗の先駆けになったりしたと、著者は考えている。

匪賊団がこのようにいっそう大きな運動と融合するとき、それは社会を変革することが出来、また実際変革する勢力の一部となるのである。(p027)

だが大事なのは、この集団は基本的に農村共同体からすっかり分離しているものではなく、社会・経済的にも、規範やイデオロギーの面でも、農村的な世界に属している、ということだ。そこで、次のような特徴も有することになる。

(9) 彼は正義の源である王や皇帝の敵ではない。ただ地方の地主、聖職者、その他の抑圧者の敵であるだけなのだ。(p052)

このような限定性は、以前に紹介した安丸良夫の名著『日本の近代化と民衆思想』に書かれていた、江戸時代の農民一揆の「仁政」的な性格を思い出させる。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20120625/p1
その故に、匪賊による反乱は、近代の革命にそのままつながることはなかったと、ホブズボームは強調している。
例えば毛沢東は、匪賊に率いられた民衆的抵抗の伝統から、軍事面を含めてたいへん多くのものを学んだが、彼の軍隊に現実に参加していた、匪賊を構成するような「脱階級分子」が革命勢力の中心となるようなことは起きなかったはずだ。
だから、どの国においても、匪賊の有する政治的・軍事的な「革命的潜勢力」は、あくまで限定的なものであったと、ホブズボームは言う。匪賊は、近代革命においては重要な役割を果たしえない存在だったのである。
だがこのことは、見方を変えれば、近代的な革命がそぎ落としたり、見失ってしまうような民衆運動の側面を、匪賊たちの存在と行動こそが照らし出していた、ということを示すのかもしれない。
民衆の希望や願望や欲望の、近代的革命によっては必ずしもフォローできない部分を体現したものとしての、匪賊という歴史的現象。
恐らくこれが、本書が投げかけた、最も重要な問いなのだろう。


その意味から興味深いのは、東南ヨーロッパの山岳地帯や平原地方に広く存在した、ハイドゥクなどと呼ばれる匪賊の一形態を論じた章である。
ハイドゥクは、その他の一般的な匪賊たちよりも農民層からはっきりと分離された、野心的で恒常的、制度化された、『公権力への挑戦』であったと、ホブズボームは書いている。
それは例えば、ロシア南部のコサックたちのような、権力への共犯的な従属関係、ただし時には農民一揆の中心となることもあるような、そうした軍事的形態をとることもあるが、オスマントルコ支配下の東欧とか、『水滸伝』の時代の中華帝国におけるように、何ものにも属さない自由な戦闘集団、「交易盗賊」として、支配者に対する『ゲリラ的抵抗と解放の原初的運動』という社会的役割を担うケースもあった。

こうしたものが、原初的匪賊団の最高形態として分類するために私が選んだものであり、それは農民蜂起の恒久的・意識的焦点としての存在に最も近いものなのである。(p107)

それらはしばしば、「民族的匪賊」として、民衆の支持を集めたのである。これらの集団は、農村の従属的な日常から離反したり、脱落したりした、名もない(主には)男たちを、山中の根城のような場所に受けいれて集団化し、民衆的抵抗の伝統の中に組み入れたのである。
世界的に広く見られる「山のゲリラ」の原型を、ここに見ることが出来るだろう。この集団の、性的平等の特異な性格については、先日の譚嗣同『仁学』についての記事の中で触れたので、繰り返さないが、ホブズボームがここで印象的に描いている、彼(彼女)たちの自由で独立的な姿は、ジャン・ジュネ(彼自身はむしろ、「犯罪者」の出自だが)が『恋する虜』などで描写した1970年代初め頃のパレスチナのフェダイーンの集団や、あるいはやはりこの時期にジュネがコミットした、アメリカ合衆国の「ブラック・パンサー」の若者たちのことを想起させる(この人々は、国家に従属することも、国家を作ることも拒んだ)。


ところで、「復讐者」と題された章では、匪賊たちがときに示す、度はずれた残虐性や破壊性がテーマとなる。
ホブズボームは、その理由の一つを、虐げられてきた集団や民衆の復讐心、あるいは「力」を取り戻したいという願望に見出すのだが、それよりも重要と思えるのは、次のようなことである。

しかしながら、不断に暴力が行使されている社会においてすら、通念上許容されている限度を越えて、暴力が発揮されるような状況というものがある。それは急激な社会的変化の時期に発生するのであるが、その場合には破壊的無政府状態に至らぬよう抑えている社会的制御の伝統的メカニズムが壊れてしまうのである。(p090)

その実例を、著者は1920年代初めのバルカン半島モンテネグロの匪賊たちの記録を紹介しながら語っている。彼ら(ギリシャ正教徒のモンテネグロ人)は、その時期までは、近隣に暮らすカトリック教徒のアルバニア人イスラム教徒のボスニア人と、小規模な襲撃を相互に繰り返しながら、長い年月を生きてきた。その慣習的な暴力の行使が、伝統的な抑制システムを形成していたのだ。
だが、1920年代に入って、突然、全てが変ってしまう。

彼ら自身が恐ろしく思ったのであるが、やがて彼らはこれまでの襲撃の際にも行われたためしがなく、また自分たちも悪いと知っていること―拷問、強姦、幼児殺し―をやっていることに気づいた。しかもなお、彼らは自分を制御することができなかったのである。(p099)

ここでは恐らく、攻撃とか破壊ということの意味の、決定的な変容が起きたのだろう。
近代以後における暴力というものの、底知れない特異性があらわになっている。
ホブズボームはこれを、価値体系の部分的な崩壊として説明している。時代の変化によって、彼ら(匪賊たち)はもはや、(オーストリア帝国の支配に対して闘う)「英雄」として自分を捉えることが出来なくなった。そのことが彼らに、「英雄」として行動すること(暴力の制御)をも不可能にしたのだ。
そうした、暴力の近代的な変容、制御を失った暴力の氾濫を、最もあからさまに示すのが、家庭と家族たちの惨殺や暴行の経験の中で育った「暴力の子供たち」の第二世代の出現である。
そこには、人間が土地から切り離され、希望を失った青年たちの、絶望的な暴力の噴出がある。南米コロンビアの事例などを引いて、著者はその「根無し草」的状態の深刻さに言及している。


本書を読んでいて、サルディーニア島などでは1960年代まで匪賊が盛んに活動していたということや、またこれは厳密には匪賊とは異なるのだが、フランス領内からカタロニアに越境してのゲリラ的な抵抗闘争(反フランコ)が、1960年頃まで行われていた(或る英雄的抵抗者の記録に、まるまる一章があてられている)ことなどには、驚かされた。
ただ現在、「海賊」など世界各地で匪賊的な活動が再び活発になってるように見えるが、これは本書で定義され、論じられている「匪賊」とはかなり異なったものであり、むしろ上記の、近代的な変容(破壊)を被って根無し草化した後の暴力のあり方と、深く関わっているもののようにも思われる。
ホブズボームが重視している、匪賊ゲリラと民衆的抵抗ないし千年王国的宗派運動との関わりも、今日では大きく異なった相のもとに現われているのであろうことは、銘記しておくべきだろう。