蜂の話

これは、数年前、まだイラクで本格的な戦争が行われてた頃だと思いますが、ぼくがあるMLに投稿した文章です。
最近の内外の動きを見ていて、思い出すところがありましたので、一部を修正しただけで、ほぼ原文通り、ここに転載することにします。

長文お許しください。


○○さんが、書かれたこと、それに対するみなさんの応答を読んで、いろいろ考えてました。特に、○○さんが書かれた「悲しい同胞」という言葉に反応した自分についても考えました。
たまたま最近読んだ本のなかで、詩人の谷川雁が、1950年代の後半にこういうふうに書いているのにいきあたりました。


『民衆が分かったなどというつもりはさらにないが、性格の根底において僕が小市民
であるよりもむしろ農民であるという認識は貴重だった。』


そのうえで、こういうふうに問いかけています。


『日本の民衆が執念のごとく罪業のごとく背負っているまぼろしと盲動の本体は何か。』
                                 (「農村と詩」)


谷川は、日本の「民衆」こそが戦争を欲望し、人種的な憎悪を自ら望んで燃え上がらせたのに、そういう自分たちのなかの暗い得体の知れない力に目を閉ざしたところから出発する「戦後民主主義」の思想は、底の浅いものにならざるを得ないと考えていたようです。


いまの日本社会に見られる、特定の集団への憎悪(北朝鮮バッシングや自己責任論)とか、自分たちが安心できる特定の対象への偏愛(タマちゃんとかハルウララとか)を見ていると、「民衆」というものの負の部分、不安に駆られた人々が退行する道を求めて突っ走ってしまうネガティブな集団主義を感じます。自分たちのなかにこういう本質が依然としてあるということを、戦後数十年間見ないことにしてきたけれど、90年代後半以後の状況のなかで一気にそれが露呈した、と言えるのではないかと思います。


そういう自分たちの(社会の)なかにある、愚かな「悲しい」集団主義的な本性をどう捉えるか。自己の社会のなかにある憎悪の種ということについて、マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、かなり正確に捉えていたと思います。○○さんとも、以前別のMLで、あの映画についてお話したことがありましたが、あそこでは、「奴隷解放」の直後に黒人から報復されるのではないかという白人農場主たちの恐怖を煽って、銃の所有が急速に普及したという見方が示され、今日でも人種間の憎悪が銃社会を支える根っこのようになってると語られていた。


日本の場合はどうなのか。ぼくはここで、自分の子どもの頃のことを思い出すのですが、ぼくの生まれた家は半農家の古い家で、家のひさしによく蜂が巣を作るんです。亡くなった祖母が、蜂を殺すたびに言っていたのは、蜂は生命力が強いからすぐに生き返る。だから徹底的に殺せ。死んだ蜂を靴底で形がなくなるまで踏み潰せ、という言葉です。そして、その死骸を蜂の巣の近くに置け、というんですね。これは「人間に逆らったらどういう目に合うか」ということを、他の蜂に見せ付けるためで、そうしないと蜂は復讐心が強いから殺された仲間のために仕返しに来る、というのです。
ぼくの、日本の田舎のお年寄りに対するイメージは、これにかなり影響されてしまった(苦笑)。抑圧されて生きてきた人たちの怖さというんでしょうか。でもこれは、植民地の人たちを支配し弾圧する側の感覚そのものじゃないか。自分が抑圧されてきたということだけじゃなくて、他者を殺し奪ってきたという封印された意識が、報復に対する過剰な恐怖心と盲目的な攻撃性になって表われてたのではないかと思います。


長くなりましたが、ぼくはそういう心のあり方が、この社会の底にあるのではないかと思います。だからこそ、それはいとも簡単に利用され操作される。そういうものに気がつかなくなっているということが、一番恐ろしいのではないか。
今の世界を見ていると、米国とイスラエルと日本という三つの国の存在が際立っていて、この三つの大衆社会にはどこかに共通性があると思うのですが、米国とイスラエルについては国の成り立ちから「国際植民地」という性格が共通項として上げられていますが、ぼくは近代以後の日本の国と大衆社会も、同様の成立過程を持っているということが、もっと自覚されるべきではないかと考えます。
ファルージャ」のことを、ワルシャワのゲットーに例えたニュースキャスターがいましたけれども、ぼくはあれは「南京」とか「間島」ではないかと思うのです。


それで、○○さんがおっしゃった「悲しい同胞」という言葉なんですが、この殺戮と収奪の記憶というものを抑圧しているかぎりは、ぼくたちはこの社会のなかで「同胞」としてつながれないんじゃないか、という感じがぼくにはあります。○○さんが、心ないバッシングを仕掛けてくる人たちを、自分とは違う「意識の低い人たち」というふうに切り捨てないで、「悲しい同胞」というふうにいわば自分の身のうちへと引き受けて言われたことは、集団(民衆)としての自分たちの歴史と今とを拒まない意志の表れではないか。
「同胞」という言葉をぼくたちが取り戻すということと、歴史と今の国際情勢のなかでの自分たちを引き受けて他者と手を携えることとは、決して別のことではないと考えます。


転載は以上です。
この最後の部分などは、今読むと疑問を感じるところもあります(加藤典洋みたい?)が、あえて原文のまま載せておくことにします。