トロツキー著『レーニン』

レーニン (現代思想選 3)

レーニン (現代思想選 3)




この本の前半は、レーニンの出生前(親たちの物語)から若い頃までの、たいへん詳しい評伝になっている。そこで、時代背景と共に描かれる、レーニンの姿はとても人間臭く、生々しい。そこに、トロツキーの思想らしいものを感じることも出来るのだ。
たとえば、帝政を標的にした爆弾テロ計画に関与した罪で処刑された実兄のアレクサンドルの性格の描写を通して、それとの対比という形で、レーニンの性格の特異性は、次のように浮き彫りにされている。

アレクサンドルには、支配する意志や、目的のためには他人の特質ばかりか、欠点をも利用したり、必要なときには人格をも無視するというような態度はなかった。彼は、あまりにも自己を中心にし、自分の印象にこだわり、自分のために決心したときには問題も決着がついたとみなす傾向があった。人びとを改宗させる使徒的な疲れをしらぬ攻撃的精神は、彼のものではなかった。だから、弟のなかにある公的な人間、作家、演説家、扇動家、雄弁家を特徴づける性格は、アレクサンドルには無縁なばかりか、見苦しいもののようにさえ見えるのであった。(p139)

トロツキーの、たいへん公平な眼差しが分かるだろう。
ここには、「テロリスト」の最後の世代に属した兄と、「ボリシェヴィキ」「革命家」の世代を代表する弟とに体現された、ロシア政治史の劇的な変動が、二重写しに描かれている。
革命家である弟(レーニン)は、「公的な人間」にして、「必要なときには(他人の)人格をも無視する」「攻撃的精神」の持ち主であることが示されているのだ。
トロツキーは、兄アレクサンドルの、「テロリスト」的にして、いわば非攻撃的(非革命的でもある)性格を、決して非難するのではなく、その限りにおいて肯定し、称賛さえしているのだが、レーニンのユニークさや偉大さは、それとはまったく違ったところにあると考えるのである。
トロツキーのいう「攻撃的精神」とは、革命家レーニンの美質を示す言葉なのだ。
そのことは、やや硬い表現によってだが、この評伝の別の箇所で、もっと直截に言われている。

彼にとって人間は目的ではなく、手段であったのだ。(中略)「党派性」といったが、それは、人びとにたいする彼の功利主義的態度が、彼の性質のもっとも奥深い源泉から発してきたものであり、外部世界の再構築という目的に向けて十全に導かれているものだからである。(p226)

レーニンにとって、「外部世界の再構築」、つまり革命ということに勝る他人の救済の方法などありえなかった。だからその目的のために、他人を目的と見なせという、ブルジョア的な倫理観・人間観は、否定される場合があった。
ここでは、もちろん他人ばかりでなく、レーニン自身の「攻撃的精神」も、革命という目的のための手段として使用されているわけだ。
だがトロツキーが、レーニンのそうした一見冷徹な態度を、「彼の性質のもっとも奥深い源泉から発してきたもの」と書いていることこそ、実はいちばん大事なのだ。




ここで、前半の評伝よりも早い時期、十月革命から数年しか経っていない時代(1918年から1924年頃まで)に書かれた文章を集めた、本書の後半部に、話を移そう。
印象的なことのひとつは、国際主義者として知られるトロツキーが、指導者レーニンの国際主義的側面を強調することは当然として、同時にそのナショナルな性格にも注意を促していることである。

ロシア・プロレタリアートと、われわれの全歴史の基礎に農民の要素があるように、レーニン主義の基礎には農民の要素がある。(中略)この意味においてレーニンはナショナルな要素の指導者である。(p338)

レーニンの国際主義はいまさら強調の要はない。それと同時に、レーニン自身は高度にナショナルである。(p377)

ソ連の指導者たちのナショナルな性格を強調することは、トロツキストであり、またトロツキーと同じくユダヤ人だったアイザック・ドイッチャーのスターリン観にも共通する、客観的な鋭い洞察だといえるが、ここでトロツキーが「農民の要素」と言う場合には、特別に重要な積極的な意味合いが込められているのだ。
それは、こう説明されている。

活動性のあらゆる特徴、すなわち、勇気、暴力と権力への憎しみ、弱さへの侮蔑、一言にしていうならば、運動へのこれらの要素は、社会転換と階級闘争のダイナミックな過程において明らかになり、その表現をボリシェヴィズムのなかに見いだした。(p338)

トロツキーが、レーニンレーニン主義の本質として見出しているのも、こうしたものである。一切の虚飾を排し、憎むべき支配体制の転覆を実現するために必要な手立てを尽くそうとする、極度の実践性、行動への集中、悪辣に見えることすらあっても、どこまでも実践的で不屈な、闘う「農民の知恵」のようなもの。
だから、トロツキーレーニンの政治を、全てを革命という「目的」のために従属させる闘争的なものとして描き出すとき、それは決して、その外見上の冷徹さを非難する意味においてではない。その根底にある、虐げられ続けた者(「農民」)の感情の深さに目を凝らしているのである。

革命から間もない1918年に、レーニンが襲撃されて重傷を負うという出来事があった。この衝撃のなかで行ったスピーチにおいて、トロツキーは、かつてのマルクスに対する非難と反論の応酬を引き合いにだして、次のように述懐している。

ウラジーミル・イリイッチ(レーニン)もまた、一度ならず同じように批判された。そして私もまたその批判者のひとりであった。レーニンは多くのあまり重要でないことや、偶然的な事情を気づかなかった。これは「正常」な緩慢な時代の政治的指導者にとっては、ひとつの欠点であるにちがいない。しかし、これは新しい時代の指導者としての同志レーニンの最大のメリットであった。偶然的なもの、外部的なもの、二次的なものはすべて除外され、ブルジョア戦争の恐るべき形のなかでただ基本的な、和解しがたい階級対立だけが残った。(p384)

革命という大義、大きな目的のために、「偶然的なもの、外部的なもの、二次的なもの」をすべて切り捨て、排除していくレーニンの姿勢に、トロツキー自身は、恐らく批判的な気持ちを持っていたであろう。
だがそれ以上に、トロツキーが重視しているのは、実践や行動に全てを集中していくレーニンの強靭で冷徹な姿の根底にあるもの、つまり虐げられた民衆の感情のリアリティである。




ゴーリキーによるレーニン伝を批判したエッセーには、トロツキーの考えが、特によく示されていると思う。
目的に引き付けられ、目的に向かって突き進んでいくレーニンの姿勢を、だが、「簡単でまっすぐ」などとナイーブに解釈してはならないと、トロツキーは強調する。

ただ単に「簡単でまっすぐ」な人はまっすぐに目的にすすむ。レーニンはひとつの目的にむかって、いつもおなじように、複雑な道や時としてたいへん遠回りをして、すすみ、指導した。
 さいごに、この「単純でまっすぐ」ということばは、レーニンの比べもののない狡猾さや、すばやい火花の散るような巧妙さや、名人の情熱をまったくあらわさない。それによってレーニンは敵に足払いをかけたり、わなにさそったりしたのだ。(p397)

しかし、もっとも意義深い箇所は、レーニンの子どもや動物への接し方を描いた部分だろう。
「農民の要素」を基礎にもつ、このレーニン主義レーニンの政治)というものが、ほんとうはどこにその源泉をもつものなのか、その秘密が示唆されているからだ。

彼は自然に近いすべてのもの、子ども、動物、音楽を愛した。この強力な思考機械は、思考のそとにあるもの、科学的探求のそとにあるものに、ごく近くにいたのだ。原始的で言語であらわせないもののごく近くにいたのだ。(p399)

また、レーニンが子どもを愛撫するときの、「デリケートでまったく特殊な仕草」(ゴーリキー)について、

これもよくかけている。この人のやさしさが子どもの生理的な倫理的な人格を尊重しているのを示している。(p399)

つまり、レーニンが愛し尊重したものは、自然であり、資本主義的な所有の論理の外側にあるような存在、いやむしろ、そのような他者との関係性である。
革命とは、そのような人格、存在、関係性が尊重されるような社会の実現ということを意味した。それが、レーニンの行動の「目的」であり、他の事柄を、彼は全てそれに従属させたのである。
マルクス主義ロシア革命の成りゆきがどうであったかということには関わりなく、このような社会の実現という課題は、まったく解決していないが、けれども常に誰しもの目の前にある日常的な事柄として(も)、今も存在している。
このような視点にたって、本書の最後に収められた、レーニンの死を追悼するロシアの子どもたちの文章と、それを味読するトロツキーの文を読むと、そこにまだわれわれの知らない、だが本当は誰にとっても最も根底的であるような共同性の姿が、おぼろげに浮かび上がるような気がするのだ。