ウカマウの映画

アンデスの先住民たちの歴史と闘争の姿を描く、ボリビア・ウカマウ集団の映画の特集が、九条のシネ・ヌーヴォで開かれていた。なかなか行けなかったのだが、最終日になって、ようやく二本だけ見ることが出来た。
http://www.jca.apc.org/gendai/ukamau/index.html


1977年のモノクロ作品、『ここから出て行け!』は、アンデス山中の先住民の村を舞台にして、外国の大企業の尖兵である宣教師を名乗る白人たちやボリビアの軍隊によって、土地が奪われ、家々が焼かれ、農民たちが村を追われ、殺されていく様子、それに対して団結を広げることによって戦っていく人々の姿が描かれる。
といっても、ドキュメンタリーではなく、先住民の人たち自身がそれを演じているのだ。この出来事自体が事実なのかどうか、僕には分からないが、もし事実だとすると、この人たちの多くは最近体験した出来事を自ら再現しているということになる。
そのメッセージの核心は、文化の破壊と分断とに対する戦い、ということだ。
この村の人たちは、政治的な動員のためにやってくる政府側の人間に対しては、一致団結して闘うのだが、プロテスタント系宗派の宣教師としてやってきたアメリカ人達(元々、村人たちは、緩い形だがカトリックに帰依している)には警戒心をもたず、村を分断されてしまう。それはどういう風にかというと、ミンガといって、村全体で共同して農作業をする習慣があるらしいのだが、「礼拝のため」だと言って人を集め、ミンガに参加させないようにする。伝統的な習慣を守ろうとする保守的な人たちと、新しい教えを信じる革新的な人たちとに、村が割れてしまうのだ。
そうやって弱体化されたところに、村の地底に眠る莫大な鉱物資源を狙う大企業や、政治家たちが、買収や、最終的には軍隊を使って襲いかかる。
大企業や政府や軍隊には、たとえ分断されてなくても勝てないかもしれないが、そういうことではなく、分断されたということそれ自体が、民衆にとっては最大の剥奪であり喪失であり屈辱なのだ。この映画が訴えているのは、そういうことではないかと思う。
先住民(農民)たちは、村を越えて連帯し、大規模な抵抗を行うが、それでも蹴散らされると、今度は都市の労働者たち(自分らを差別・抑圧してきた白人たち)との連帯、「労農同盟」へと進もうとする。そういう、連帯して闘うことへの不屈の闘志みたいなものが描かれていたと思う。


2012年制作の最新作『叛逆者たち』は、一転して非常に凝った構成で、18世紀前半の先住民によるスペインへの反乱から、21世紀の都市部の反ネオリベ闘争(水道やガスの民営化に対する激しい闘争)、そして先住民出身の大統領の誕生(モラレス政権)までの歴史を描いている。
先住民の闘いの歴史はすさまじいものだが、この国(ボリビア)では、白人中産階級を含めた大衆社会の全体が、その先住民たちの抵抗の精神を尊敬し継承することで、団結を実現しているように見える。先住民と白人、農村と都市、貧困層と中間層、それらの間の連帯が可能になっていることが大きい(今のブラジル情勢についてもそうだが、「先進」国のマスコミがそれを中産階級(だけ)の運動のように報じるのは、酷い政治的委曲だと思う)のだが、それは、抑圧されてきた側の闘いの精神に学んだり尊重する姿勢を人々が共有することによって可能になっているのではないかと思った。
その点で印象的だったのは、先住民の運動や戦闘の歴史においては、女性がリーダー的な役割を果たすことが珍しくなかったらしい、ということだ。
つまり、もともと先住民の文化のなかに、抑圧を被ってきた側がリーダーシップを持つことに対して、抑圧してきた側が恐怖心や抵抗感を持ちにくい(あるいはそれを抑制できる)精神性のようなものが培われていて、それがいつしか社会全体に広く共有されるようになった、ということではないかと思った。
それは僕には、非常に困難なことだと思える。どうして、この国でそれが可能になったのか、はっきり分からないが、今回見た二本の映画に描かれた先住民たちの闘争の歴史の中に、きっとヒントがあるのだろうと思う。