スターリンを支えた世代

スターリン―政治的伝記

スターリン―政治的伝記


引き続き、ドイッチャーの『スターリン』を読んでいく。
ところで今日、大型書店に行って岩波新書の棚を見てたら、この著者の『非ユダヤユダヤ人』があった。いまだに読まれてるんだな。岩波新書の「ユダヤ人」関連では、この本と、サルトルの『ユダヤ人』だけは、ずっとある。どちらも、日本で本当によく読まれた時期というのは、僕は知らないんだけど。
ドイッチャーの代表作のトロツキー三部作は、あの小沢一郎も若い頃に読んだというぐらいだから、日本でも左翼を中心に広く読まれた著者だったのだろうが。



さて、この本のなかでドイッチャーはこんな問いを立てている。
スターリンは、その(革命後の)恐怖政治の故に、フランス革命時のロベスピエールに比されることが多い。だが、ロベスピエールが、議会や民衆に離反されて、早々に自らも断頭台の露と消えたのとは全く違って、スターリンはずっと「英雄」とされ、その体制がどんなものかを身に染みて知っているはずのソ連の大衆にさえ、多くは愛されているように思える(この本が書かれたのはスターリン存命中のはずだが、その後も彼が死ぬまで状況は変わらなかったはずだ)。
いったい、この違いは、どこに原因があるのか?


これは、ヒトラーの「国民的人気」と通じる問いではないかと思うのだが、ドイッチャーの答えは、こうである。
スターリン体制は、たんに政治的暴力と統制や恫喝による恐怖政治であったのではない。同時にそれは、国民・大衆のある層には、夢や希望を与え続ける体制でもあった。

すでに説明してきたように、スターリンが凱歌をあげることのできた、より深い原因は、彼が、ロベスピエールと違って、国民に新しい積極的な社会再編計画を提示できたこと、またこの計画が多くの人にとっては困苦欠乏を意味したにもかかわらず、他の多くの人に対しては、新しい活動の道を開いたことにあった。彼らはスターリンの支配に既得利益を持っていた。(第二巻 p69)


この層というのは、急速な産業化によって利益を受けた工業関係者や労働者の一部(スターリンは給与の平等性を批判し、仕事が出来る労働者には高給を支払うやり方で急速な工業化を図った)なども考えられるが、重要なのは、「新しいインテリゲンチャ」と呼ばれる、若い世代の人々である。
いわゆる大粛清によって、行政や知的職業には大量の欠員が出来たのだが、スターリン体制はその穴を、上級学校を卒業した大量の知識階級の人々を生み出すことで埋めたのである。
そしてなお重要なことは、この世代の人々は、少年時代からスターリン崇拝の社会の中で育ち、大粛清の対象となったスターリンの政敵たちや、旧ボリシェビキ及び旧インテリ層に対しては、敵意もしくは無関心な態度しか有していなかったということである。
彼らには、スターリンの粛清は、むしろ正義として映ったのであり、またスターリン体制は、それまでは大多数のロシアの大衆には閉ざされていた、知識階級への上昇の道を切り拓いてくれた理想的な政体だった、ということになろう。


事実、トロツキーはじめ政敵たちとの抗争において、スターリンは、この「若い世代」に訴えることを重視した。

スターリンは若い世代に訴えた。だがもちろん、反抗的精神の持ち主に対してではなく、気は小さいが非常に重要な役割を担っている一般青年に対してであった。彼らは学習と社会的出世に熱心であったにもかかわらず、ボリシェビズム本来の思想についてはほとんどなにも知らず、またそういった思想に頭を使うことを好まなかった。この若い世代が回想できる限りでは、各反対派の指導者たちは常にみせしめのため鞭うたれるものまたは自ら鞭うつものとしての役割を演じてきていた。一方、スターリンは神秘と教権に包まれた人であり、若い世代は子供のときからそのように彼をみることにならされていた。(同上 p53)


また、スターリンが行った急速な工業化は、強制労働の犠牲となった人たちには地獄であったろうが、一面で、若い世代の労働者には、夢や希望を与えてくれるものとして、心底から支持された。
その中核は、上記のように、上級学校・技術学校を卒業し、技術労働者や知的職業に就くことで、知識階級の仲間入りをするような層、つまり「新しいインテリゲンチャ」だった。
彼らは、革命直後を支えた旧インテリゲンチャとは、ずいぶん違う人々だった。
くり返しのような感じになるが、その特徴についてドイッチャーの書いていることを、もう一度引いておこう。

新しいインテリゲンチャは、政治的大望を足蹴にするよう教育された。彼らには、旧インテリゲンチャの知的鋭敏さと芸術的繊細さはなかった。国際情勢に対する好奇心は抑えられるか、または眠っているままに放置された。(同上 p33)

これと平行して、旧インテリゲンチャは格下げされた。スターリンは、彼らの批判的精神と彼らの多くが抱いているコスモポリタン的または国際的考え方に不信の念を禁ずることができなかった。(同上 p33〜34)


スターリンの、こうしたインテリ嫌い、一種の反知性主義的な態度は、根の深いもののようだが、「新しいインテリゲンチャ」層の非政治的な精神性は、このようなスターリン政治の性格に規定され、順応するものだったといえるだろう。
そして、概ねこのような層の人々が、第二次大戦後もソ連の工業化と科学技術の発展(スプートニクチェルノブイリ)を推進していくことになったのである。