『セデック・バレ』

GW中に台湾映画『セデック・バレ』を見たので、ここにも感想を書いておきたい。


http://www.u-picc.com/seediqbale/


まず何といっても感銘を受けたのは、台湾の映画人たちが、山岳地帯に住む原住民(台湾の先住民族の人たちは、誇りをもってこう自称すると聞いたので、あえてこの語を用いるが)たちの歴史を正面からとりあげて、このような大作を製作したということだ。
社会のマジョリティが自己の歴史を語ろうとするのでなく、マイノリティの経験の苦難を想像することに力を注ぐ。
台湾の先住民政策は、とくに民進党政権のもとで飛躍的に進展したと聞いているが、それは「他者」の歴史と向き合うことで自分たちの社会をより開かれたものにしていこうとする、真に民主主義的な努力の現われであるのだろう。いまだに、こうした努力を行なっているというより、まったく逆方向に進みつつある日本の社会とは、この点において気の遠くなるような差があると感じたのは、ぼくだけであろうか。


もちろん、この映画の題材となっているのは、もっぱら日本統治下の原住民の人たちの苦悩と怒り、そして悲劇というようなことであり、台湾社会総体のなかでの先住民族問題が、直接とりあげられているわけではない。
だが、この「霧社事件」に集約される歴史こそが、彼ら、彼女ら台湾原住民の人たちの苦難の頂点であり、その集団的な誇りや記憶もそこにこそ多くが関わっているだろうことも確かなのだから、やはり「他者」の歴史に正面から取り組んだものとしての、この映画の価値に疑問はないのである。
いや、それよりも大切なことは、台湾の人たち(とくに漢民族の人たち)にとっては、この取り組みが自らの歴史意識の皮膜を切り裂くような経験となったのではないか、ということである。
つまり、近現代史の複雑な過程のなかで、この国の場合には、日本による植民地統治の経験という事実を直視することが困難な状況が生じたのではないかと思う。この映画の中にも見られるが、台湾の映画では、日本統治時代の出来事は、それ以後に起きた事柄の過酷さに比して、どこか現実味の薄い理想化されたイメージで描かれることが多く、その影響は現在まで尾を引いているのではないかと思える。だがそのことはとりわけ、この作品に描かれたようなマイノリティたちの歴史の経験を抑圧することにつながるだろう。
霧社事件」のような原住民の経験を直視することは、その自分たちの安定した(マジョリティ的な)歴史意識を切り裂き、自分たち自身の歴史の体験と生の現実(加害性と被害性)に、よりいっそう直面することを強いる行為だったと思われるのだ。
この映画が作られたことに、敬服させられる理由のひとつは、その点なのである。


日本による植民地支配の暴力によって、それまで営んできた生活や文化、個として、また集団としての誇りやアイデンティティを奪われ、それぞれの苦悩と絶望のなかに投げ込まれた原住民の人々の姿は、映画の前半で克明に描かれている。
たとえば(ほんの一例だが)、日本名を名乗り、日本の警察官として働くようになった原住民の青年に、主人公が投げかける『死んだら、日本の神社に入るのか、それとも祖先の家に行くのか?』という問いの重さと、それが引き起こすであろう痛み。生死を代償にして、引き裂かれることの受容を強制するこの力こそが、植民地主義の暴力の本質だと思う。
日本の観客が、とくにしっかりと見なければならないのは、この部分だろう。
植民地支配のこの暴力性が理解できず、たとえば欧米のどこかの国と比較して「日本の支配は、良い植民地支配だった」という風にしか考えられない人は、映画の半ば頃で描き出される原住民たちの蜂起の様子を見て、そこに単なる「野蛮」さの過剰をしか見出せないのではないか。
このような、植民地主義レイシズムへの感受力を欠落した植民地宗主国民の典型的な姿こそ、この映画のなかに描かれているものである。そのもっとも露骨なものは、『文明化してやったのに、そのお返しにあいつらは俺たちまで野蛮にさせた』という台詞を吐いて、毒ガス兵器の使用を正当化してしまう日本軍司令官の言葉だろう。
他者を抑圧し追いつめる自分たちの暴力に気づこうとしない者は、やがて意に沿わない他者を、目障りな抹殺の対象としか考えられなくなる。つまり、植民地主義への同化のなかで、彼はもはや人間と共に生きうる人間であることを放棄するのである。


小島という日本の警察官が登場するのだが、彼は原住民たちに対して友好的であり、一定の信頼を得ているように見える。実際、個人同士の関係としては、原住民の一人と友情に近いものを結びつつあるようでもある。
だが、支配を遂行する組織の一員である以上、彼は自らの良心を裏切って、分断支配の実行者のような役を果たさざるをえない。そして、蜂起によって家族を殺された彼は、その復讐心から、弾圧による虐殺の急先鋒となっていくのである。
この映画が的確に描いているのは、植民地支配や暴力的な近代化がもたらす、個人の生のこうした否定と破壊の実像なのだ。
また、この小島の息子(小学生ぐらい)が、神聖であるべき猟場の縄張りをめぐって互いに銃口を向けて威嚇しあう原住民たちに向かって、『ここは全て、僕ら日本人の土地じゃないか!』と一喝するシーンは、個人同士の関係や、また支配される以前の原住民同士の闘争的でもある関係性を、根こそぎ否定し奪い去ってしまうこの植民地支配のリアリズムを、最も鋭利に表現していると感じられた場面である。


といっても、この映画では日本の側の暴力だけが強調され、原住民たちの行動や文化が過度に理想化されているというわけではない。
むしろ、蜂起の強烈な暴力の背景にあるのは、それは決して植民地支配を行う側の巨大な暴力と同様ではありえないとはいえ、何らかの理由で原住民社会の内部にあらかじめ存在していた暴力性や男性中心主義のようなものでもあるという観点を、この映画は暗に提示しているのではないかと感じられた。
「支配者の暴力も抵抗者の暴力も同じ」というような抽象的なことではなく、植民地支配の暴力への告発は、この「それ以前」の暴力(もちろんそれは、形を変えて僕ら自身の中にもあるだろう)に対する批判にまで届くのである。
男たちが決めた蜂起の結果として、「足手まとい」にならないためにと、次々と自死していく女たちの姿は、何よりもまず植民地主義の行使者としてのわれわれ日本の観客を撃つものだが、そればかりではないであろう。
それは、ぎりぎりの状況で選択された男たちによる蜂起への、静かで確実な賛同の表現として、それ故にこそ(僕たちがその一員でもある)「男たちの論理」の総体を撃ってもいる筈なのだ。


その意味では、蜂起に至る過程での、原住民たちのそれぞれの苦悩や、誇りと希望とが再び見出されていく様子や、また蜂起に参加するか否かの判断の多様さといった事柄の多様さを、きわめて繊細に描いた前半と比較して、作品の後半が戦闘シーンの連続で、冗長な感を免れなかったことは残念だ。
毒ガスまで使用した日本の植民地支配の残酷さと、それに命を賭して立ち上がった人々の素晴らしさと悲惨さとを表現するには、ああしたシーンの連続は、それこそ不要で過剰な「暴力」の氾濫だったのではないか?
そこで、真の暴力が、その否定性においても肯定性においても捉えられず、たんに商業主義的なものになってしまっていたとしたら、それはこの作品の本旨にもとることだと言わざるをえまい。


とはいえ、最初にも書いたとおり、この作品が作られたという事実そのものをはじめとして、われわれ日本の観客がこの映画から学ぶべきものは甚大であるといえる。
たとえば、蜂起への参加を「若者たちを無駄に死なせるわけにはいかない」という理由から拒んだり躊躇したりする部族のリーダーも居るのだが、その人たちも、判断や行動こそ異なるとはいえ、苦悩や怒りの感情において決して蜂起する人たちと異なるわけではなく、気持ちはあくまで「ひとつ」なのだということが、丁寧に描かれていたと感じたのだが、こうしたところに、権力と常に闘ってきたこのアジアの国の人たちの、歴史の集積を垣間見るようにも思えたのである。
真に最も他者の体験から学ぶべきであるのは、無論のこと、この僕たちだ。