渡辺京二「私説自主交渉闘争」批判


石牟礼道子編集による『水俣病闘争 わが死民』は、当初1972年に現代評論社から出版され、2005年に渡辺京二原田正純による「新版あとがき」と「解説」を付した増補版が創土社から出た。
とにかく読み応えのある本で、今こそ多くの人に読まれるべきだと思う。
ところで、ここでは、当時「熊本告発する会」の中心メンバーだった渡辺京二の書いた「私説自主交渉闘争」という文章について考えてみたい。それは、この文章にはらまれている問題が、今日の社会運動の場において、また社会全体においても、改善されないまま、悪い状態を生み出していると思うからだ。


当時は、水俣市のある熊本県をはじめ、各地に「告発する会」という市民団体ができ、水俣病患者を支援して、チッソや国に賠償と謝罪を迫る運動が全国的に展開された。この運動は、当初は患者たちによるものではなく、一般市民による支援運動であった。
その後、「自主交渉闘争」といって、患者家族が直接にチッソと交渉する運動の形態が生れ、「告発する会」の人たちは、それに「共闘」するというスタンスをとることになる。
実はここで、問題の芽が生じてくる。というのは、この本を読んでいると、患者たち自身による闘争の激しさや深さに接したことで、いわゆる非当事者である支援者たちのなかに、自身の行動の根拠を問う葛藤が生れ、それがいわば主体的な根拠への渇望につながっていくという経路を見て取ることが出来るからだ。
当事者の姿に接して、自らの根拠の不在に気づき葛藤すること自体は、まっとうな態度だろう。
しかし、そのことが、他者の存在によって照らし出された生の現実の直視(それだけが、真の共闘や共生の土台になるものだと思うが)に向かうのでなく、動揺や不安を押し隠すために安定した「主体」を確立しようという渇望に転じるのであれば、それは反動的な行動と呼ぶべきものになる。その確立のために、自己を不安ならしめている他者と自己自身との距離を消して(隠して)しまうこと、言いかえれば、他者である当事者たちの実在性を消去してしまうことも起こり得る。
さらに、そこから出てくる問題は、この主体的根拠への渇望が、想像的な集団性のようなものに回収されてしまう、ということである。
渡辺のこの文章は、まさにそうした危険性をよく表していると思えるのだ。


渡辺の「私説自主交渉闘争」は、71年暮れに、患者と支援者がチッソ東京本社の中心部分を長期間にわたって占拠し、経営陣と直談判を行った名高い出来事の顛末を、その直後に回想する次のようなくだりから始められる。

患者のリーダー川本輝夫さんは、新聞記者に今後の展望はと聞かれ、「展望はチッソがにぎっている」と答えた。意表をつく言葉に記者は一瞬絶句した。彼がいうのは、われわれの闘いが終わるか終らないかはチッソ次第であり、チッソが誠意を示して要求を容れないかぎりわれわれの闘いは続くということだった。それが川本輝夫にとっての“展望”であった。自主交渉闘争とはこの一点だけをにぎりしめた闘いだったのであり、展望などというしゃらくさいものがなくとも闘いはできるということを、戦後の政治・労働・社会その他もろもろの運動とは無縁であり、そういう運動ではなく素人の闘争者であることを誇りとする患者とわれわれが実証した闘いであった。(p251)

非常に気持ちのこもった文章で、僕も最初読んだときは感銘を受けたのだが、いま読むと、ひっかかる点がある。というのは、ここでは水俣病の「患者」と、患者ではなく、むしろ客観的には(加害者である)「市民」の一員であるほかないはずの「われわれ」との距離が失われており、「患者とわれわれ」は同一的なものとして、「戦後の運動」の欺瞞性に対置されることになっているからだ。
僕には、渡辺は、「戦後の運動」にまつわる抑圧や拘束を拒否し、闘争者としての主体的な「誇り」を獲得したいがために、患者という他者の存在を自らの運動の論理のなかに取り込んで同一化してしまっているように思える。
渡辺の論を追ってみよう。彼は、革新系団体による全国公害闘争を、戦後の支配体制に構造的に組み込まれた「体制補完闘争」に過ぎないものだとして否定するとともに、新左翼諸党派による反資本主義的反公害闘争の「政治主義的な論理」も、「日本の下層民を組織できない宿命を負うている」として退ける。
これらに対して、自主交渉闘争を含む水俣病闘争は、『一定社会の基本的法体制の中で権利を保障されない、さらにまた政治組織の一定政治プランによる指導を受けない、生活民それ自体の自立した闘争である』(p253)という基本性格を持っている、もしくは持つべきであるとされるのである。
そして、「水俣病患者の本体である水俣下層民」は、「日本近代社会からの疎外民」であると規定し、そのようなものとして、?「市民社会の支配構造の根底的な批判者」であるとともに、?市民社会の基底に沈殿する「伝統的エトスの担い手」として、生活民の闘争の真の形成者となりうる存在でもあるという、この「下層民」の二重の可能性に依拠した闘争こそが構想されねばならないと論じるのである。
こう見てくると、患者を主体とした自主交渉闘争の独自の意義は、渡辺のような支援者も患者と同等に主体の資格を有する水俣病闘争という総体の中にすっかり飲み込まれて消えてしまっているだけでなく、批判の対象であった市民社会も、その内部に「闘争の真の形成者」としての下層民を有するものとして、半ばは肯定的に捉えられている。
つまり、患者という他者性が消されて、運動が(渡辺にとっての)同一性のもとに回収されるとともに、患者に対して差別的な市民社会と、それに抗議するべき運動側との差異も、密かに埋められてしまうのだ。
このようにして、支援者(非当事者)である者の主体性は根拠の充足(安定)を得るとともに、この主体は、より大きな全体に立ちもどっていく想像的な回路を得る。


「私説自主交渉闘争」の眼目といえるのは、水俣現地で「市民有志」によってばらまかれた、患者・支援者に対する悪質な非難のビラについての評価の箇所だろう。

・・・しかし、後者の偏見的部分は、水俣市住民の土着的意識の最も潜在的な層の表出であり、それがいかに嫌悪すべき無知と事実無根の中傷にみちみち、かつチッソと癒着した特殊な市民グループによって代弁されているからといって、けっして「非人間的」とか「信じられないほどの残虐さ」とかといった倫理的批判で切り捨てるわけには行かない。こういった倫理的批判はまったく無力であるばかりでなく、基本的には一定の文化性の水準から民衆意識の盲目さを切る性格のものとして、民衆の意識構造とついに無縁に終わるほかない宿命を負うている。民衆とは、一定の位相においては、つねにこのように残虐でありうる存在である。彼らの偏見は、彼らの存在における抑圧と疎外の構造に根拠をもっており、その 偏見の強度は、抑圧された欲求の強度に比例している。それゆえに、“市民有志”のビラに示された水俣民衆の偏見の強烈さは、それが逆転して正立された時のおそるべき爆発力を暗示している。偏見が解放の欲求と逆接しているこの構造を切開し、水俣の土着的意識を闘いに組織するという課題は、今日なおとりくみがおくれているテーマである。(p265)

いかにもこの時代の文章という感じだが、現代の出来事に通じる部分もあろう。
たしかに民衆は、つねに残虐でありうる存在だと、僕も思う。
だが、この渡辺の論理のなかには、その民衆の残虐さや偏見が、「逆転して正立され」るための契機は、含まれていない。それは、ここでははじめから、この民衆の残虐さによって攻撃され排除される存在である、患者という他者の実在性が、渡辺という運動主体のなかで消去されており、ただ民衆(生活民)の一員としての自分を見出し肯定したいという情動が露出しているだけだからである。
渡辺の論理は、おそらく、残虐でありうる民衆との一体化、民衆と民衆の一員である自我との残虐性への是認、ということにしか帰結しない。
そこにあるのは、「指導」や啓蒙を拒絶する自我、残虐でありうる自我を肯定せよという「主体」の要求なのであり、そして、この主体は集団的かつ同一的であることを欲しているのだ。


僕は、この渡辺の論理の底にあるものは、被害当事者(患者)たちの抗議行動の激しさに直面して引き起こされた、(加害者でもある)市民的自己の同一性の危機であり、その危機から逃れるために、運動主体としての「誇り」を持てる根拠が求められ、それが自己と差別的な市民大衆とをつないでいるとされる「下層民」という想像的な共同性を要請するという構造になっているのだと思う。
つまり、渡辺は水俣での運動のなかで、患者に敵対するチッソ従業員たち(彼らの大半は水俣市民、渡辺のいう「下層民」である)と対峙しながら、『彼らを倫理的に批判するだけでは絶対に終わらないこと、彼らの意識にくらべると、われわれの意識はむしろ軽いことを感じないではおれなかった。』(p258)と書いているのだが、この発見をはじめから色づけているのは、患者という他者(被害者)の存在によって動揺に陥った自己の安定を回復したいという欲望なのであって、だからこの発見は、自己の根拠づけのヨスガになり得る彼ら「下層民」への共感の必要性の自覚に及ぶだけで、「われわれの意識」のその軽さの理由を、他者(被害者)としての患者たちの不在にこそ見出すという態度に至ることは決してないのである。
むしろ、被害者の存在の、自己にとっての現実性を抹消することこそが、ここで当初から欲望されているものである。だからこの運動は、患者と支援者たちとの「われわれ」という総体を単一の主語とするものでなければならず、そのなかに患者という他者(被害者)が正当な位置を占めていてはならない。運動のなかに差異が認められてはならないのだ。
そして実は、被害者の現実性を否認する社会、「われわれ」の残虐さが容認される社会への希求こそ、このような運動の(「自立的な」)主体性の根拠への渇望、というよりも、脅かされた安定の回復を欲求するような意識の底にあるものではなかろうか。
渡辺の運動論は、民衆の残虐さが容認されるような社会のあり方の回復、啓蒙主義的な抑圧や歯止めからの解放、というベクトルを明らかに持っていると思う。そうした目的は、被害者の存在の現実性を抹消することでのみ可能になる。ここで展望されている「下層民」の共同体には、被害者である患者たちの居場所は、実は無いのである。


一般に、運動の根拠が、渡辺のこの論におけるように、ある種のナショナリズムに求められることは、珍しくないだろう。そのナショナリズムが、社会の多数者のものであったとしても、それだけでその運動を否定することは出来ないと思う。
だが、その場合、そのナショナリズムの中に、排他性から脱するという意味での自己批判的・自己解体的な契機、言いかえれば、他者の存在に対して開かれた要素が含まれている必要がある。つまり、それが社会の多数者のナショナリズムである場合、自分たちによって被害を受ける人々の存在に対する意識が含まれないなら、このナショナリズムに依拠する運動は、結局、民衆の幅広い連帯に向かうのではなく、国家的な大きな暴力性の装置として利用されることに終わってしまう。
植民地主義侵略戦争を遂行し、その事実を直視して自ら乗り越えるということをやっていない日本社会のナショナリズムには、そのような契機はほとんど無いと言ってよい。
それは、差別的で暴力的である植民地主義国家の論理の中にあるものでしかないのだ。
渡辺のような、民衆の想像的な共同性への回帰は、こうした国家の磁力の圏内で引き起こされるものだろう。
先ごろ紹介した本だが、アイザック・ドイッチャーは、スターリンの政策や言動が、伝統的な「大ロシア・ショービニズム」に合致するものであったことを指摘し、彼が故郷であるグルジア(大国ロシアからの被害と脅威を受け続けてきた場所)の「郷土的愛国主義」を高所から非難して、グルジアの人々を傷つけ、ロシアへの警戒心を高めることになったことに関して、次のように書いていた。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20140105/p1

近代のロシア人が他国民による弾圧から生れるような敏感な民族主義を知らないというのは確かに真実だった。ロシア人の民族主義は弾圧者としての民族主義であり、鈍感、野蛮で、よりはるかに危険なものであった。レーニンは彼の追随者にロシア民族主義の危険を警告し、それまで弾圧されていた諸民族の誇大視された要求に対してさえ、忍耐強く、寛容にふるまうよう力説した。帝政ロシア支配下の思い出は極めて徐々にしか拭いとられないからであった。(ドイッチャー著 『スターリン上原和夫訳 みすず書房 第一巻 p195)

植民地主義国家であり侵略国家でもあった戦前や戦中の自国の行為を、明確な形では直視したり反省することをせず、日本国憲法に代表されるような、大国化・軍国主義化への歯止めを、ただ抑圧や拘束としてしか受け取ってこなかった、日本の大衆社会ナショナリズムとは、こうした大国的ナショナリズムの範疇にあることは明らかだ。
スターリンが、(自らはグルジアの出身だったが)ロシアの大国主義の論理に同一化して、その権力支配を貫徹するために、抑圧された少数民族ナショナリズムの現実性(他者性)から目を閉ざし抹消したように、渡辺の運動論は、患者という存在の他者性を消去することで、自己の運動者としての主体性を倫理的・啓蒙的な抑圧や拘束から解き放たれたものとして確立し、「大国ナショナリズム」の公然たる復権への参画を正当化しようとする。
そこに見出されるのは、植民地主義的な国家に同一化した、マジョリティ国民の特権固守への開き直りであり、その安定を揺るがそうとする他者に対する排除の願望であると思う。


ドイッチャーの言う、被抑圧民族の「敏感な民族主義」には、また本書『水俣病闘争 わが死民』に数多く掲載されている水俣病患者たちの怒りに満ちた行動や、あるいは(逆に)淡々とした言葉には、そうした(主体の回復とか保持というような)支配的な「政治」の意図に回収されない、眼前や社会の隅々に生きる他者に向かって開かれた、繊細な精神のあり方が含まれていると、僕には思える。
彼(彼女)らの行動や言動は、一見どれほど「過激」であっても(あるいは、その正反対であっても)、それは他者の確かな実在を前提として発せられ投げつけられているものなのである。そこに、ナショナリズムの自己解体的・自己発展的な契機がある。
渡辺の議論に決定的に欠けていると思えるのは、その他者の実在に対する意識なのだ。
他者の実在という前提から始めるのでなければ、どんな連帯や「共闘」や共生が可能だと言うのだろうか?
社会の多数を形成する側の者にとっての運動(ナショナリズムを含む)の主体性は、必ず、自分たちによって被害を被った者、被り続けている者たちの実在についての感覚と、より正しい認識を含んでいなくてはならない。それは、運動自体の中に、また生活の中に必ず存在する、差異や暴力・権力関係について、常に自省的であるということでもある。