50年代ブーム(?)への疑義

雑誌『現代思想』の12月臨時増刊号「戦後民衆精神史」に収められた入江公康の論考「詩を撒く」は、1952年当時に発行されていた労働運動系の詩誌『石ツブテ』をめぐって書かれたものである。
その論のなかに、次のような記述がある。

二号の巻頭詩は「民族の血は怒る」で始まっている。「民族」といい「民族解放」といい、今となっては"古めかしい"カテゴリーにみえるのかもしれない。だが半植民地的従属というポジションこそが日本が置かれた占領の状態であり、一九四九年には、中華人民共和国が成立し、その翌年、朝鮮戦争という、アジア解放の契機を奪わんとする戦争が、日本全土を基地としつつすすめられていた。(p126)


この時代の日本の左翼勢力における「民族」や「民族解放」という言葉の欺瞞性については、すでに多くの批判がなされていると思うが、念のためにぼくも少し付け加えておく。
端的に言って、上の文のなかに「半植民地的従属というポジション」とあるが、このような自己認識は、多くの日本人、とくに高学歴の人たちにとっては、別に1945年8月から、つまりアジア・太平洋戦争の敗戦によってもたらされたものではないのだ。
竹内好が「近代の超克」で述べていたように、「われわれ」が「半植民地的従属というポジション」に置かれているというナショナリズム的な意識・感情は、戦前のある時期、安政不平等条約が政治的・歴史的に意識された時から始まっていた。
明治から昭和の前半にかけて、多くの日本の若者は、「半植民地状態」からの脱却や、「民族解放」のような理念と情念を、大真面目に信じて侵略戦争を遂行したのだ。


それは何を意味するか。
つまり、50年代に日本の労働者の間で掲げられた「民族」や「民族解放」という理念は、侵略戦争に人々を駆り立て、殺戮と自身の死へと追いやったイデオロギーと、根本的に変わらないものである、ということだ。
だからこそ、数年前に戦地から帰還してきた、あるいは国民学校を卒業したような青年たちが、これらの理念のもとに反米的な労働運動の隊列に違和感なく身を投じることができたのである。
あえていえば、日本の戦後、50年代前後の左翼運動には、「侵略戦争の心情的継続」を政治的に利用したとの批判を免れないような側面があったのである。


入江の論考によれば、『石ツブテ』創刊のきっかけとなったのは、1952年に、インドのイギリスに対する反植民地闘争を記念して全国で行われた「反植民地デー」(2月21日)の集会における、デモ隊と警官隊との衝突であった。
その模様は、『石ツブテ』誌上に次のように報告されているという。

「A君、今さっきあったことを君にお知らせすることを僕はこのうえもなく光栄に思う。僕の体内には、まだ先刻のコー奮の余燼がくすぶっている。それは反植民地闘争のことだ。今日は、五年前、インドの愛国者たちがボンベイに於て、長い間の英国植民地支配に抗して敢然とたちあがった日なのだ。」(p125)


このとき、この衝突の現場にいた労働者の何人かは、兵士として戦場におもむいた経験があったはずだ。
ここで言われている「英国の植民地支配に抗して」立ち上がるインドの愛国者たちには、ビルマ方面の戦場で、日本軍が「東亜の解放」の大義の名のもとに、味方と考えた人々が含まれているだろう。
かつて兵士であった労働者たちは、違和感なく、根本的にはかつてと同じ部分を含む(批判されていない)心情や考えの枠組みをもったままで、新たな「戦場」に身を投じることができたはずである。
つまり、「植民地解放」といい「民族解放」といっても、それだけでは侵略戦争を可能にした「国民的な感情、情念」から、この政治運動が逃れている保証にはならない。
むしろこれらのスローガンは、戦前から人々のなかに温存され、占領下で鬱積していた国民的な感情に強く訴えかけることで、運動に大きな求心力を与えたのである。


要するに、1950年前後の日本の左翼運動は、たしかに多くの可能性を含むものではあったが、根本的に、戦前からの国民中心主義的な心情や考えの枠組みを乗り越えられなかったというのが、ぼくの見方である。
この時代のことを振り返り、何かを継承しようとするとき、その負の面を注視することも重要なはずだ。
この論考の後半で、論者の入江は、次のように書く。

「集団」といい、「大衆」という。『石ツブテ』の数々の事件においては、それらが背後にかならず存在している。否、大衆というよりも、〈群衆〉が存在している。このかならずしも組織されない、無数の、混沌とした、分散しては集合する、そのような〈群衆〉の存在に着目しよう。ここに書かれた「叙事詩」は、これら「群衆」なしにはありえない。(p145)


この時代、「群衆」はたしかに居たかもしれないが、それは「戦争」であれ「平和」であれ、新たな「国民(マジョリティ)の物語」に容易に回収されていく程度の存在であった。
「50年代」を再考するにあたって、いま考えられるべきは、その轍を踏まないためにはどうすべきか、ということだろう。
そのためには、たんに自分たちが抑圧され虐げられているという心情の部分に拘泥するのではなく、その心情のリアルさを根拠として正当化される他者への攻撃・抑圧についての検証と自己批判がなされなければならない。
「50年代」がついに獲得できなかったと思われる、そのような過程なくして、どんな「従属からの脱却」も、ぼくたちには不可能である。


現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史

現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史