『ヘーゲルとその時代』

ヘーゲルとその時代 (岩波新書)

ヘーゲルとその時代 (岩波新書)


著者はこの本で、ヘーゲルの思想を、カントをはじめとする「ドイツ啓蒙」の流れの中に、はっきりと位置付けている。
啓蒙とは、人間が教会のような外部の権威に従うから自己を解放して、自分の意志(自由意志)によって生きるように、自己を変えていく作業だと述べられている(p17)。ヘーゲルを原則的には「自由」の擁護者、啓蒙主義者として見る視点は、この本を読んでいて最も印象に残るもので、著者のヘーゲル観の根幹をなすものだろうと思う。
そして、その中でも、プロテスタンティズムとの対決から生じたドイツ啓蒙の特徴は、自由意志を(ルター派の主張する)神の意志から切り離し、人間理性によって根拠づけるところに特徴があるという。
この理性の重視ということが肝心で、英仏ではアダム・スミスヴォルテールなど、理性よりも「道徳感情」を優位に置くのが啓蒙思想の常道だった。ドイツ啓蒙は、それに対して、理性の光というものを、自由意志の根拠に置いたのである。
ここから、ドイツ哲学の特徴であり、またヘーゲルの「精神」の弁証法の特質でもある、主知主義的な性格というものも出てくると考えられよう。『法哲学綱要』にも、「意志は、思考する知性としてのみ、真の自由な意志である」という一節が書かれているそうだ。
ただ、そうすると、理性の限界を批判し、道徳性の重要さを強調したカントの哲学は、ドイツ啓蒙の本道でありながら、この主知主義の流れには収まらない部分がある、ということになろうか?
それは僕にはよく分からないが、カントの道徳性の思想を形式主義と断じて「特殊性」に重きを置いたヘーゲルの批判の中に、人格相互の尊重というカントの普遍主義的思想の豊かな内容を見通せず、後のナショナリズムや歴史主義への傾斜につながる弱点があったことを、著者が指摘しているのは注目される。


ともかく、ヘーゲルはドイツ啓蒙の代表者であるカントの哲学に大きな影響を受けながらも、人間には物自体や神を認識できないという、カントの不可知論的・二分法的な思考を乗り越えようとした。これが、いわゆる弁証法の思想につながっていく。
また、上で少し触れたが、カントの道徳性の思想が、厳格主義や形式主義に陥っていることを批判し、一時はアリストテレスにならって、コミュニタリアン(共同体論者)の立場を明確にしたという。
だが、やがてヘーゲルは、古代ギリシャの共同体を理想とする社会観から、個人の独立と分離を媒介とした近代的な社会観へと立場を変えていくことになる。

ヘーゲルは、習俗・習慣に適合する古代の倫理を「ギリシア人の美しい幸福な自由」と称えるのでなく、むしろ個人が共同体から独立する分裂こそ、近代の必然的な原理だと考える。(p87)

したがって、一八〇五年の体系構想では、絶対的倫理と相対的倫理という当初の古代的二分法に代わり、国家と市民社会という近代的二分法が現われつつあると言える。ここには、古代自然法の思考枠組から離れ、近代自然法の思想に定位しようとするヘーゲルの新たな立場を見て取ることができる。だが、近代自然法への転換を真に成し遂げるには、相互承認の概念に代わる新たな原理を発見し、抽象的法と道徳性を内在的に基礎づける必要があった。ヘーゲルが帝国崩壊後のドイツで経験する政治的変革こそ、自由意志という新たな原理を発見させるのである。(p88)

僕は、ヘーゲルの著作で読んだことがあるのは、『精神現象学』だけ(もちろん訳書だが)なので、ヘーゲルの「国家」へと統一されていく社会論というのは、結局「相互承認」の論理なのだろうと、漠然と思い込んでいたが、ここを読んで、そうではないことが分かった。
ヘーゲル思想、とりわけその社会哲学の真髄は、個人の独立と分離の概念にこそあるというのが、本書の重要な論点の一つなのだ。僕が本書のサブタイトルを付けるとすれば、『分離の思想』とでもしたいところである。
有名な、国家と市民社会との区別、また、「主体的自由」と「実体的自由」の統一としての近代国家という考え方(p135)なども、ここに関わっている。
そして、そこには、学友でもあったヘルダーリンシェリングなどのロマン主義思想との、ヘーゲルの対決が深く関わっていることが、本書を読めばよく分かる。

こうして『精神現象学』の序文でヘーゲルは、シェリングに代表されるロマン主義を正面から批判したが、そのロマン主義批判は、シェリングらが、実体という直接的統一に固執するのに対し、主体の分離により媒介された高度な統一を要求するものだった。(p79〜80)

実体に固執するロマン主義の思想は、啓蒙主義ヘーゲルには、権威への服従の欲望に流されるものに思えたのだろう。
ヘーゲルは、それに対し、独立し分離した理性的な諸個人からなる市民社会を肯定し、それを媒介として初めて成り立つような、社会的統一の形態として、立憲主義的な近代国家の論理を紡ぐことになるのである。


この、ロマン主義への批判という点は、僕には特に興味深かった。
最終章では、ヘーゲル思想の後世への影響と、現代におけるヘーゲル再考の意味合いといったことが論じられる。
ヘーゲルを「自由」の思想家として捉え、ルソーに淵源すると考えられる全体主義の政治への対立者としての意義を強調する著者にとっては、社会主義国家の現実に帰結したマルクスの思想との対比は、当然重要な論点だろうが、僕には日本の現状を考えると、ロマン主義的な「生の思想」の代表者でもあるニーチェとの関係ということが、特に興味をひかれた。
ブルクハルトの歴史主義思想の影響を受けたニーチェは、ヘーゲルの理性主義を批判して、歴史的認識に対する生の優位を説いた。そこから、価値と歴史への相対主義が生じ、「ニヒリズムの到来」が肯定され、優勝劣敗の社会ダーウィニズムが支配的なイデオロギーとなった。

こうしてヘーゲルが亡くなって一世紀余り後、一九三〇年代には、自由主義体制から全体主義体制への移行を歴史の必然と見て、時代の大勢に追随する現代中心主義の傾向が支配的になっていく。それは、自由の理念が歴史の必然の中に解消されていく人類の危機の時代の到来だった。(p199)

自由と啓蒙が没落し、「時代の大勢」への野放図な追随が、危機の時代を到来させる。これは、まさに今、僕たちが経験していることだ。
冷戦終焉後の支配的な歴史観として、著者は、フクヤマなどの新自由主義的な歴史観と並んで、リオタールをはじめとするいわゆるポスト・モダン派の「歴史=物語」論をあげているのだが、それをニーチェ派と呼んでいる。

ニーチェ派の「歴史=物語」論は、事実と解釈をおよそ区別することなく、歴史を任意に解釈できるという歴史相対主義を導き出すばかりか、世界史を統一的に把握する歴史科学の意義を否定してしまう点で、過去の歴史を忘却したいという誤った世界観だと言える。(p203)

ポストモダンが「ニーチェ派」だというのは、そう言われてみればそうだろうが、今まではっきりとは気づかなかった。
著者は、この「ニーチェ派」という言葉で、ポスト・モダン派ばかりでなく、ハイデガーを代表とする実存哲学をも指しているようだ。ヘルダーリンに傾倒したハイデガーも、もちろん、ヘーゲルが批判したロマン主義、つまり、『実体という直接的統一に固執する』傾向と、深いつながりを持つだろう。そこに、彼の政治的立場も、当然に関係していよう。
著者は、こうした時代の傾向に対する対抗の拠り所としても、ヘーゲルによる『主体の分離により媒介された高度な統一』の思想、そして啓蒙と理性主義の伝統の、重要性を説いているのである。