麻生発言の考えられる二つの動機

麻生氏が講演で、改憲に関してナチスの手口に学べというようなことを言ったそうで、話題になっている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013073102000111.html

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013073102000110.html



上の記事で要旨を読んでみたのだが、何を言ってるのかよく分からない。
麻生氏の国語力に問題があるのか、こちらの読解力がお粗末なのか、おそらく両方であろう。ただし、先方は政府の中枢に居る政治家だから、その影響するところはきわめて大きいはずである。
それにしても、今回に限ったことではないが、日本の右派政治家は、なぜしばしばナチスヒトラーというものを引き合いに出すのか?
まともに考えれば、これは自分たちの国の過去の行為や、また現在自分たちのやろうとしていることが、ナチスをその「手口」だけ真似ようとしているだけで、ナチスとは本当は異質なものであるかのように思わせようとするカモフラージュだろう。
実際には、自民党改憲案は、戦前の日本の憲法がはらんでいた要素と同様に、ナチス政権が体現したものと変わらない人権否定と戦争肯定の状況を社会に作り出す、破壊的なものである。
麻生氏は、自分が憲法を破壊してファシズムを完成させる立場にありながら、まるでファシズムの到来を心配してるかのように語ったり、逆にファシストの手法に学んではどうかなどと言ったりしている。
要するにデマゴーグだということであり、これは研究者が誰しも認めるだろうファシストの主要な特徴の一つである。


ところで、麻生氏はこんな風に言っているが、

 「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。僕は民主主義を否定するつもりもまったくない。しかし、けん騒の中で決めないでほしい。


しかし、ナチスのやり方に学ぶ必要などはない。
「静かに」ファシズム体制を引き寄せ、完成させてしまったというのは、戦前の日本社会が見事に成し遂げたことであるからだ。
ドイツやイタリアとは違って、日本ではファシストの暴力による権力奪取という側面は小さかった(「下からのファシズム」の不在)が、その理由は、日本ではそもそも暴力や強権によって国家権力に従わせなければならないような、頑強なファシズムの抵抗者などほとんどいなかったからだ。小林秀雄が言ったように、国民大衆は黙して事変に処し、そして粛々と破壊と破滅への道を突き進んでいったのだ。
麻生氏が言っているような、「安定と安寧」を基盤とする社会は、帝国憲法下の日本では元々成立していたのであり、それがあの戦争の遂行を可能にしたのである。
麻生氏は、ほんとうは「戦前と同じように進んで行こう」と言っているのだ。


だがそもそも、麻生氏の今回の発言には、そんな大層な思惑はないのかもしれない。
このところ、安倍氏や石破氏が、いずれも強面の極右的なイメージや発言で人気を得ているので、自分もそれ以上に過激な発言をして目立ちたいという、ミーハー的な心理によるものにすぎないのかもしれん。
それも十分ありそうなことだが、でももしそうなら、わざわざナチスだのヒトラーだのという縁遠い事例を引き合いに出す必要はなかろう。
歴史の中の絶対的な悪を気取りたいのならば、「麻生財閥」と一言言えば事足りたはずだ。