シネリーブル梅田で、ケン・ローチ監督の新作『ジミー 野を駆ける伝説』を見てきた。
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代表作と言うべき『麦の穂をゆらす風』では、アイルランドのイギリスからの独立運動を描いたが、これは、その後のアイルランドの苦難の歴史の一断面を描いた内容。
僕は、まったく誤解していて、ローチはアイルランドの出身だとばかり思っていたが、生粋のイギリス人(イングランドの人)なのだ。これは、すごいことだと思う。
さて、アイルランドは前作で描かれた激しい独立闘争の後、イギリスが付けた不当極まりない独立のための条件を呑むかどうかをめぐって、「呑んで独立すべきだ」という自由国派と「拒否して戦い抜くべきだ」という共和国派に分裂し、1919年から22年頃にかけて、激しい内戦を戦う。もちろん、これは現在まで尾を引いているわけだが、この映画の舞台になるのは、内戦が自由国派の勝利で一応終結した10年後、1932年である。
主人公のジミーは、10年前の22年当時は、人望とカリスマ性のある若い活動家で、「ジミーのホール」と呼ばれるホール(集会用の建物)を仲間たちと協力して作り、そこに地域の人々を集めて、アイリッシュダンスやケルト語の詩や歌や、ボクシングなど、あらゆることを共に教え学んでいた。
それが、民衆が力を持つことを良く思わない地主など支配層と、それに結託したカトリック教会や警察、政治家などに弾圧され、ニューヨークに亡命することを余儀なくされる。
それから10年、ジミーは大恐慌のために職を失って、故郷に帰ってくるところから、物語が始まるのだ。
ジミーは元々年老いた母親と二人暮らしで、その母の家に戻ってくると、周りの昔の仲間たちに、「これからは静かに暮らす」と言って黙々と働きはじめるのだが、周囲のすすめもあって、やがて、「ホール」を再建し、昔と同様の地域活動を始める。ただ、昔と少し違うのは、アメリカ帰りということもあり、ジャズなど、外の新しい文化もとりいれ、みんなが楽しく自由に交流する空間になっている。
ジミーを中心に、10年ぶりに結集する仲間たち。かつての恋人だったウーナという女性も、今は別の男性と結婚して子供も居るのだが、その夫や子どもを連れてダンスパーティーに来たりする。このウーナとの関わりが、物語の重要な要素になる。
人々が集まり、歌ったり、踊ったり、学んだり、この民衆たちの活発な雰囲気が気にくわないのは、10年前に弾圧した勢力、特にカトリック教会の老神父で、風紀を乱し、社会主義の思想を広め、伝統文化を破壊するものだという理由で、ジミーたちに再び圧力をかけてくる。
このへんは、当時のアイルランドの複雑な事情があるのだろう。ジミーが敵対したのは、単純に自由国派の政権とかイギリスということより、カトリック教会に代表される土地の保守的な旧勢力だ(もちろん、その背後には政権とイギリスの存在があるが)。そこでは、教会の側が、「伝統を壊す者」という名目でジミーを攻撃する。ジミーは、イギリスや自由国政権に対しては、伝統主義・民族主義者として闘うが、保守勢力に対しては「自由を貫く者」として闘う。そのへんの二重性が面白い。
また、1932年という年は、ソ連の存在と大恐慌の影響で社会主義運動が拡大していた。
神父は、ジミーのような地域活動が、やがて共産化につながるという理由で、非常に警戒するのだが、それはジミーのような社会主義者の姿に、ローマ時代に小さな地域宗教から大発展したキリスト教創生期の姿を重ねているからでもある。この神父には、少し「大審問官」を思わせるところがある。
同時に、当時はナチスが勢力を広げ、イギリスでもファシズム政党が一定の支持を集めていたのだが、アイルランドでも「青シャツ党」というファシズム集団が幅をきかせていたようで、かつてのジミーの仇敵は、いまは政権サイドから鞍替えしてこのファシストの一員になっている。そして、この勢力と教会、警察などが一団となって、再びジミーに襲いかかるのである。
時代状況について、もう少し書くと、イギリスに近い自由国政権やカトリック教会が、ファシスト勢力と協力したということは、この頃の各国の支配階層にとっての最大の懸念は、ファシズムではなく共産化の方だったということを、示している(もしくは、ローチは、それを示そうとした)のだと思う。ミュンヘン会談でのナチスとの妥協も、英仏が戦争を嫌ったためというより、ドイツを共産化の防波堤として残そうとした意味合いが大きかったというのは、よく言われるところだ。
この映画には、印象的なエピソードや言葉が、いくつも出てくる。
たとえば、内戦に敗れた共和国軍(IRA)の幹部たちが、地主に土地から追い出された小作農の一家を連れてジミーのホールを訪れ、闘争に協力して演説をしてくれと頼む場面がある。それをやると、弾圧の矢面に立つことになるのは必至で、ジミーの仲間たちは、せっかく作り上げた自分たちの大切な場所を守るために協力要請を断るべきだという人と、「ここで協力して戦わなければ、何のためのホールなのだ?」という人との間で、猛烈な議論になる。これは、どちらの言い分ももっともなのだが、いかにもローチ作品らしい場面である。
結局、この要請を受け入れて、男も女も全員で地主の元に押しかけて、小作農の家を奪還。そこでジミーは演説するのだが、その内容は、富の偏在を鋭く批判する社会主義的なものだが、ただ、こういう風に語る。
『ただ生存のために生きるのでなく、喜びのために生きよう』
この言葉には、ローチがこの映画で語りたかった、最も大切なメッセージが込められていると思う。
また、ファシストの暴力を扇動し、警察とも結託して、暗に陽に圧力をかけ続ける神父のところに出向いたジミーが、「神を冒涜する気か?」と居直る神父に放った言葉。
『いいえ、冒涜とは、(あなたのように)心の中に愛よりも憎悪が多い事です』
それから、ジミーが警察に捕まって、裁判もなしに国外追放されそうになり、支援集会で発言の場に立った母親の言葉。
『このことで、私は息子を失いますが、この国はもっと大きなものを失うことになるでしょう』
この母親は、若い頃、移動図書館を一人でやっていた文化的な活動家でもある。
結局、ジミーのホールは放火されて焼失してしまい、ジミーは、警察に追われて追いつめられる。彼を政治闘争の場に引っ張り出したIRAさえ、組織の論理によって彼を見棄ててしまい、労組の一部と昔からの地域の仲間以外に支援者がいない、孤立無援のような状況になっていくのだ。
『麦の穂をゆらす風』と同様、そのラストは、何かあっけないほどであるが、高齢に達したローチのメッセージが込められていることは確かだろう。
実際にはジミーは、言葉も、記録のようなものもほとんど残っておらず、人々の記憶の中にだけ生き続けた、文字通り伝説のような存在だったという。そういう人に光を当てたローチの思いを想像し、受け継ぎたい。
そして、『麦の穂・・・』と同じく、この映画でも、ケルト語で歌われるアイルランドの民謡の語感と旋律が、たとえようもなく美しい。