『近代天皇像の形成』

近代天皇像の形成 (岩波現代文庫)

近代天皇像の形成 (岩波現代文庫)


安丸良夫氏の著作については、名著『日本の近代化と民衆思想』に関して以前にこの記事を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20120625/p1


本書も、それに劣らない圧倒的な面白さである。
著者は学者として偉大だというだけでなく、現役の人の中ではあらゆる分野を通して屈指の書き手であろうと思う。ただその考え方には、僕自身は同意しかねる点が幾つかあるが。


著者の近代天皇制についての基本的な見方は、最初の章の次のような箇所に集約されていると言えるだろう。

古い伝統の名において国民的アイデンティティを構成し国民国家としての統合を実現することは、近代国家の重要な特質のひとつであり、そうしたいわば偽造された構築物として、近代天皇制を対象化して解析するというのが、私の課題である。(p12〜13)

たしかに、十五年戦争期の時代経験をふまえて、天皇制とその精神構造を観察すると、異様な非合理性や全体主義が顕著で、近代的な政治制度や諸観念の対極に位置づけらるべきもののように見えてしまう。しかし、津田や和辻が指摘したように、極端な非合理性や全体主義は、明治初年の神道国教主義や昭和の超国家主義に顕著なもので、文明開化期から一九二〇年代までの歴史も、それと同じ色彩でぬりつぶすことはできない。(p19)

むしろ天皇制には、ヨーロッパとは異った文化的伝統のもとで、相対的には後進的な民族が世界史的競争場裡に参加してゆくさいの緊張にみちた精神の動態がよく表現されており、そのようなものとして筋道だてて分析しうるだけの内実がそなわっている、と私は思う。近代天皇制をめぐる諸観念に不思議があるとすれば、それはなによりも転換する時代を生きた人びとの精神の動態のなかにあるのであり、さまざまの立場からとりあげられているはるかに古い伝統に由来する諸契機も、こうした動態のなかでつくりかえられて具体的な意味を与えられたものだ、と考える。(p30)


十五年戦争期の天皇制とそれ以前(それに以後)の近代天皇制とを切り分けるという手続きは、いわゆる「司馬史観」を思い出させるが、もちろん専門分野の第一人者である著者の論証は本格的である。
著者が着目し強調しようとするのは、マルクス主義丸山真男のような立場から見ると、たんに権力に抑圧されていたものと見える近代日本の民衆の生が、あくまでそれなりの自立性をもっており、近代天皇制という制度も、それはたしかに権力の支配の仕組みではあったけれども、民衆の生や「精神の動態」との関わりの中で形成されたものだ、ということである。
著者は、近代天皇制を、日本という後発国民国家が自立的に形成した近代的制度の特殊な一種であると規定することによって、権力の支配に回収されない民衆の生の多様性と力強さを肯定しようとしているのである。


具体的に見てみよう。
著者は、天皇をめぐる中世以後の日本史を検討した後、山鹿素行、熊沢蕃山、荻生徂徠、中井竹山、本居宣長平田篤胤、それに水戸学派など、江戸の思想史における天皇の位置づけを確認していく。
それらはいずれも、瞠目すべき鋭い視点をもった思想である。
著者がとりわけ注目するのは、鬼神や淫祀という言葉に象徴される、民衆の民俗的・宗教的な生の次元だ。この次元は、徂徠や竹山の経世論的な眼差しのなかでは、統治するべき対象として重要性が見出されていたが、江戸幕府の世俗的な支配体制によっては、それに対して有効な管理を行なうことが出来なかったのである。
近代天皇制は、民衆の生のこの次元(神霊的・宗教的次元)の統治を目論んだところに特色があると考えられる。
著者は、この民衆の民俗的・宗教的な生の次元と、それを取り込んで支配しようとする権力の装置である天皇制との相克と相互関係のなかに、近代日本民衆史の自立的なあり方を見出していこうとしていると言える。

民俗的世界には、天皇制を受容する契機もあるが、しかし多くのばあい、そうした契機はいちじるしく誇張されて、民俗的世界の具体的文脈から切り離して論じられている、と私は思う。十八世紀後半からの約一世紀間、歴史の現実のなかでは、祭礼などの民俗的世界は反秩序的な性格をもって躍動しており、それを秩序の理念にそって編成替えすることで天皇制国家の秩序が作りだされたと考える方が、ずっと歴史上の事実にあたっている。(中略)民俗的なものが、民衆の反秩序的欲求のもっとも表出されやすい次元だとすれば、そこがまた新しい支配のための戦略的核心とされたことも、当然事として理解しえよう。(p91)


ところで江戸時代の世俗的な思想の大成者として、著者が高く評価するのは宣長だ。
その思想の根本は、幕府の支配イデオロギーである儒教的規範主義に抗して、近世後期に勃興してきた多様な人間性のリアリティを擁護しようとするところにあったとされる。
さらに著者は、マンハイム保守主義論を引きながら、生(世界)に対するこのような宣長の、いわば受動的・「保守主義自由主義」的な態度が、狂信的な側面とは異なる近代天皇制のもうひとつの(尊重すべき)源流を形成しているという観点をも示唆している。


ところで幕末期に入ると、危機的な社会状況の中で、民衆の民俗的・宗教的な世界は大きく揺れ動き、異様に誇張や過激化を含むコスモロジカルな幻想的世界像を形成するに至る。

社会体制の全体性にかかわる危機が、宗教的なものとして表象されたということは、社会の危機がコスモロジカルな次元で表象されたことを意味している。周縁的なもの、深層的なものが、不気味な活力を秘めて普遍的に存在しており、その発展線上にカオスの到来が予想されて、不安と恐怖の想いで見つめられている。近代天皇制は、この視角からは、こうした危機意識にもとづいて、それへの対決として推進される合理化=秩序化であり、混沌を抑えこむことによって成立する抑圧的な合理性として展望できる。(p64)

こうした状況は、3・11以後、もっと遡ればグローバル化が顕在化した90年代以後の日本の社会状況(特に神霊的・宗教的次元の沸騰)にも当てはまりそうに思えるが、幕末においてこうした民俗的・宗教的な生の次元の動きを最も鋭く捉えたのは、もちろん平田篤胤の一種デマゴギー的な思想である。
本書の極めて興味深い論点のひとつは、篤胤に始まる「平田派」系の国学者神道家たちに代表される、こうした民俗的・宗教的な天皇主義の系譜が、文明化を進める公的な天皇制によって表面上は抑圧されながらも、周縁部で伏在し、パッショネートな力となって、やがて昭和初期の急進的右翼思想や、出口王仁三郎らの神霊主義的な言説となって、十五年戦争期の超国家主義を到来させた、という視点である。
ここには、篤胤から折口信夫にいたる民俗学国学との混交した流れと、現在にも通じる神霊主義的で時にデマゴギー的でもある言説との、恐らくは公的な天皇制国家の制度と補完関係にある政治的機能の問題が、捉えられているのだと思う。
それは、危機の時代において、沸騰する人びとの民俗的・宗教的な生の次元をどう捉えて、支配権力に対抗すべきかということであり、またこの生の次元そのものをそもそもどのような政治的位相にあるものと考えるか、という問いにもつながるだろう。
そうした次元における、天皇制国家への対抗の可能性としての民衆宗教について、著者こう述べる。

新政反対一揆などのなかで形成された天皇と明治国家を拒絶するコスモロジーは、そうした運動とのかかわりにおいてだけ説得性をもつもので、軍事力と警察力によって運動が解体して、「人民恐怖」とされるような状況で秩序が回復されると、意識の底に曖昧に呑みこまれ抑圧されて、民衆の日常意識の表相からは消えてしまう。これに対して、民衆宗教の始祖たちは、長い苦難の疎外された生活経験と生活思想をふまえて思想形成したコスモロジーの専門家なのであって、国家権力による弾圧はかえって彼らの神学体系を研ぎすまされた鋭利なものへと鍛えあげてゆく媒介となる。黒住教天理教金光教丸山教大本教などの民衆宗教は、近代日本の社会体制の全体から見れば、周縁的存在ではあるが、しかしけっして無視しうるほどに小さな勢力だったわけではない。今日から大雑把に回顧するとき、文明化をめざしたみごとな成功譚のように見えやすい近代化する日本社会が、その周縁にこうした異端のコスモロジーをかかえこんでいたこと、そしてそれは、一八八〇年代の丸山教や一九一〇年代から三〇年代にかけての大本教のように、広汎な人びとの願望をひきつける魅力をもっていたということは、注目に値する歴史事実である。(p234)


著者の考え方に対する僕の異論は、著者が自立的なものとして重視する民衆の民俗的世界や、また宣長が擁護しようとしたとされる近世後期の世俗(生活)世界というものは、すでにそれ自体に強い排他性を孕んでいて、天皇制の抑圧的な性格は、そこに深く根ざしているのではないか、ということだ。
つまり、天皇制秩序と民俗的世界とは、必ずしも対抗関係にあるとは言えず、むしろ共犯的な面を持つ。
この民俗(生活)世界は、政治的に無色ではないのである。


そのことはともかく、最後に、天皇制とそれを選び支えている私たちの社会についての、著者の立場をよく示していると思える、力強い文章を引いておこう。

しかしそれでも、一見自由で、むしろ欲望自然主義的な原理によって動いているとさえ見える社会が、じつは選別=差別の体系であることの方が、より根源的な事実であり、現代天皇制は、選別=差別によって秩序を確保しつづけようとする社会の側が求めたものだからこそ、存在しているのである。(p309)

それ(天皇制)は、私たち個々人が自由な人間であるという外観と幻想の基底で、どんなに深く民族国家日本に帰属しているかを照しだす鏡であり、自由な人間であろうと希求する私たちの生につきつけられた、屈辱の記念碑である。(p311)