被曝に反対すること

11日日曜日、西梅田公園と関西電力本社前で原発と被曝に対する抗議行動があったので参加してきた。
http://1111kanden.blog.fc2.com/
とくに関電前には、折からの大雨のなか、多くの人が集まってスピーチに耳を傾けたりシュプレヒコールをあげたりした。
稼動中の大飯原発もんじゅの存在に加え、いま大阪では目前に迫った瓦礫焼却が緊急のテーマになっている。13日火曜日には、焼却場所とされている此花区の区民ホールで、午後7時から(最後と思われる)市による説明会が予定されており、阻止のための結集がこの場でも呼びかけられた。
http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000163892.html#shiken
会場に入れるのは大阪市民だけだが、会場周辺で抗議行動を行う予定とのことだ。


この日の関電前のスピーチでも、特に最後の方に発言された瓦礫焼却に反対する人たちのスピーチには、僕は鬼気迫るものを感じた。
ある人は、原発事故以後に自分たちが行動せざるをえなくなった理由は、「生きるため」に他ならないのであり、それを否定しようとする「瓦礫拡散」という被曝強要の暴力に屈するわけにはいかないということを強調した。「もしここで、強力な阻止行動を行えなければ、後から振り返って、あの都市の11月が原発反対運動の決定的な変わり目になったと後悔することになるだろう」という意味のことを語っていた。
また別の人は、「国や電力会社が、ここまでして瓦礫を拡散しようとする理由は何か。それは、汚染を日常化させることで、放射能は安全だということをわれわれに力ずくで思い込ませ(内面化させる、という意味だ)、それによって今後も原発を動かし続けようという意図のためだ」という意味のことを言った。


確かに、放射能汚染が「ありふれた日常」の出来事になってしまえば、僕たちは、その現実に順応して自分の意識の方を変えてしまわざるを得なくなるだろう。いや、実はすでにそのことは起こっているのだ、もちろん。
関西でさえそうなのだから、東北や関東の人は、そのことをはるかに痛感しているであろう。被曝という暴力のなかに、すでに投げ込まれて生きていながら、その事実を否認することでしか日常生活をスムースに生きていくことは出来ない。死に通じる暴力に強制的に曝されていながら、その事実を直視してしまっては日常生活を送れない状態に置かれているのだ。
それが、3・11以後に、われわれの全てに課せられた状況であり、瓦礫の拡散は、この状況の決定的な固定化を狙ってなされている政策である。
死に至るまで殴られ続けていながら、その事実を自分に偽り続けることを教えこまれていくわけだ。
このことが、他者に対しても暴力的な社会を作ることに、つながらないはずはないだろう。


この日のスピーチでは、ある障害者の人が、「優生思想がはびこるような社会で、原発がなくなるはずはない」と叫んでいた。
まったくその通りだと思う。あの原発事故が起こる前から、僕たちは、属性や能力による生の価値の序列化や差別、格差による生存の危機などが、受け入れるべき当然の事柄であるかのような社会の中に(国や資本によって)住まわされてきた。
それは一面で、僕ら自身が容認して作ってきた社会の歪んだあり方でもあり、多くの人がその中で受けてきた差別や暴力に対して、僕らには無論責任がある。
あの震災と原発事故は、そういうこの社会の暴力の構造を、白日の下にさらけだしたと言える。
だがそのさらけだされた暴力を、国や大資本は今、いっそうむき出しのものとして継続しようとしているのだ。


原発への抗議行動は、生きるための行動だ」。
たしかに、その通りだと思う。
だが、この「生きる」という事実を、直視し、自分のものとして捉えるのは容易なことではないと、僕は認めざるをえない。
ここで言われている「生」とは、自分や他人に対する抑圧者としての生、飼い慣らされた生のことではない。大きな暴力に対して、自分や家族や友人や他人の生存を守り抜いていこうとする、民衆の生のことである。
その小さな生の上に、「当り前の日常」というものも成立している。「日常」は、それが生を可能にするものであるからこそ意味があるのだ。
そして被曝の暴力は、自分のものでありながら他人の命の重さとも不可分であるような、この生きていることの土台を破壊するものなのである。
だからそれに抗議し、被曝の強制をあくまで拒むということの中にこそ、差別や、生の価値の否定を許さない社会を作る出発点があると、僕は思う。瓦礫の受け入れに反対する闘いは、自分のものであると同時に他人のものでもあるような、この小さな生の価値を守り抜くための、大きな力との闘いである。
小さな生を持つものの一人として、僕もそこに加わらねばならない。