『哲学の教科書』

古本屋で「200円均一」のところにあったのだが、レジに持っていったら「はい、680円です」と言われた。
「もう詐欺!」と思ったけど、面白かったからまあいいや。

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

哲学の教科書 (講談社学術文庫)


この本は最初95年に単行本として出版され、01年に文庫化された。
つまり、15年前に世に出た本である。
著者の中島義道氏は1946年生まれとあるので、当時まだ50歳になっていなかったことになる。




さて、本書の構成だが、第一章で、哲学についての、著者のもっとも基本的な考えが述べられる。それは、哲学とは、「この自分の死」というものの深刻さをまともに受けとめて思考するところから始まるものだ、ということである。

あらゆる哲学の問いは、ハイデガーをまつまでもなく最終的にはこの「死ぬ」という問題、しかも死一般ではなく、まもなく「自分が」死ぬというこのさし迫った問いに収斂すると言えるかも知れません。(p16)


著者は、この宇宙論的ともいえる大問題の(私にとっての)深刻さから目をそらすようなところに、本物の哲学は生じるはずがないということを、自身の幼少期の体験を回想しながら強調する。
振り返って考えてみると、たしかに10代の頃まで、いや、それ以後もかも知れないが、自分がいずれは死ぬということは、まったく納得しようのない恐ろしい出来事であると、私も強く思っていた。それは、解決の可能性がまったく見出せない恐怖だった。
いつの頃からか、その深刻さを強く意識しないようになったのだが、それは私が(著者が述べているように)欺瞞的になり、不純になり、感性が鈍化したからだろうか?
そうである気もする。
だが同時に、「死ぬ」ということの重さの全てが「自分が死ぬ」ということに還元されるのであろうか、という疑問も、今の私は抱く。




まあ、自分の話はいい。
本書だが、続く第二章では、第一章を受けて、哲学とはいかなるものであるかということが、「哲学とは何でないか」という形で、つまり、思想、科学、芸術、文学、宗教などとの差異を明らかにする仕方で、見極められていく。
そのなかで特に注目されるのは、「哲学は思想ではない」、というパート(テーゼ)である。
著者によれば、哲学とはあらゆることを疑い、ものごとを徹底的に考えるという態度によって為されるものであり、またそれによって必ず「普遍的な問い」にぶつかるはずだという信念を持つところに成り立つ。

つまり、哲学の大きな特徴は、足元にころがっている単純なこと――そのテーマはおのずから決まってくるのですが――に対して、誰でもどの時代でも真剣に考え抜けば同じ質問に行き着くという信念のもとに、徹底的な懐疑を遂行することです。(p44)


これに対して、思想とは、そういう普遍性への信念を捨て、その信念すらも『ある時代的文化的地域的制約』によるものに過ぎない、とする立場に立つものだという。
デカルトやカントは、命がけの懐疑を生きたといえるが、「思想」の立場は、そうした懐疑のあり方そのものが「時代の制約」の産物に他ならないと考える。
しかし著者に言わせれば、(たとえば)デカルトにとって、「時代の制約」などという観念は、一番最初に「疑いうる」ものとされていたわけで、そういう(私の言葉で言うなら)根源的な懐疑を生きていた哲学者たちの思考の切実さを、「思想」という立場は薄めてしまうものだ、というのである。

思想とは、他人が血を流した思索を、冷静になるべく客観的に理解しようとする態度に支えられております。(p51)


著者にとって、「思想」が、「哲学」という(いわば)実存的な営みの真実さ、切実さ、純粋さを無視し損なうようなもの、少なくともその明白な「外部」にあるものとして捉えられていることが分かると思う。
この章の最後には、まとめ的に次のように述べられている。

非常に簡単化して言いますと、哲学とはあくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営み、と言えましょう。(p120)

続いて第三章では、いよいよ哲学における基本的な問いとはいかなるものか、時間、、因果関係、意志、「私」、「他人」、その他の主題について説明される。
この章に書いてあることについて、その重要さや切実さが、私にはよく分からなかった。
これはきっと、私に哲学の素養がない(哲学的な純粋さに欠ける)からだろう。
私がとくに興味を引かれたのは、たとえば意志についての、次のようなくだりである。

恋をしたり何かの決断を迫られたりするとき、いやそればかりか日常的にも自分が何を「意志」しているのかわからなくなるのは普通のことです。むしろ、自分が自分の意志を隅々までわかっているという想定こそ事実に反する。「意志」とはかようにフワフワしたものです。しかし、一旦私が他人から過去の責任を追及されるような事態に至ったとき、「私の意志」ははっきりとした形を帯びていわば突如として私の内部に定着するのです。(p175)

「自分の」意志とは、じつは自分ひとりで決められるものではない。それは、少なくとも可能な他者との共同作業によって、さまざまな要素を加味して社会的に意味づけてゆくものなのです。(同上)


続く第四章は、「哲学は何の役にたつか」という題だが、ここがなかなか面白い。
冒頭で、荘子の「無用の用」という話が引かれ、哲学は何かの道具になるもの(効用を持つもの)ではなく、「生きること」と「死ぬこと」とに拘りつづけるしかないものである、という基本的な考えが示される。
哲学者の態度とは、われわれ人間が生きている営み、その悲惨さや不幸をごまかしなく見つめ続ける態度であるという意味のことが語られる。
哲学は何の役にもたたないものだが、ごまかしなく生を見つめるというその態度によって、哲学は生に対する「見方を変えてくれる」のだ、というのである。

つまり、簡単に言えば、哲学は「死」を宇宙論的な背景において見つめることによって、この小さな地球上のそのまた小さな人間社会のみみっちい価値観の外に出る道を教えてくれます。そして、それは同時に本当の意味で私が自由になる道であり、不思議なことに自分自身に還る道なのです。(p242)


こういうやや内面主義的な文章には違和感がないわけではないが、それでもこの章で語られていることには、たいへん勇気付けられる面がある。
哲学の、というよりも、『「生きる」ことそのことの絶対的な重みとすごさ』(p252)が、ここでは語られているからである。
それを見つめ、また尊重することが、哲学という営みの本質に関わる、ということであろう。
そうであるなら、たしかに哲学とは、おおいに意義のあることであると思う。




次の第五章は「哲学者とはどのような種族か」と題されている。
この章では、まず哲学というのは、一種の病気のようなものだということが、著者の個人的な回顧を伴って語られ、また日本で哲学者を目指すということが、職業的にはいかに困難な道であるかという実情が(といっても15年前の話であり、現在はそれよりもっとひどい状況だろう)詳しく説明される。
裏話としては、この部分だけでも面白い。
しかしここでも、もっとも胸を打たれるのは、哲学者のあるべき生き様を語る、著者の信念を感じさせる次のような一節だ。

真の哲学とはまさにソクラテスニーチェがそうであったように、同時代人から処刑されるか狂気に陥るか、そのように危ういもの、安穏と権威の上にあぐらをかいているものではないのです。(p281)

続く第六章と第七章も、とくに個人と個人とが弁論を交わすことによって真理に至るという、西洋哲学の基底をなす信念がきわめて希薄な日本社会の特性が厳しく批判されている点など、興味深いのだが、ここでは割愛する。
ただここでも、「文化相対論」が、「哲学の死」を意味するものであると語られ、思想や文化論というものが、哲学の本来のあり方と根本的に相容れないものであるとされていることが、たいへん印象的である。


これは、この本を読み通して感じる疑問なのだが、自分一個の実存的な大問題を、それが普遍的なものでもあると信じつつ追求していくという態度は、その思考そのものを外部から(制限の下に)見出そうとするような思考と、本当にまったく相容れないのだろうか?
私はまったくの素人だが、西洋哲学史を考えてみると、プラトンアリストテレスはもちろん、カント、ヘーゲルライプニッツ、ヒューム、スピノザ、など、政治思想や制度論で重要な仕事を残した大哲学者は枚挙にいとまがない。
むしろ、そうでない大哲学者を思い浮かべる方が難しい気がする。ハイデガーなども、その政治思想的な思考の深さのゆえに、ナチスへの加担がその思想の本質に関わるほど重大なものになった、とされていると思う。ラッセルやサルトルは言わずもがなだろう。レヴィナスデリダだってそうである。
あえていえば、二十世紀の大家としてはウィトゲンシュタインだろうか(実際、著者は彼を非常に高く買っている。)?
そうした政治思想的な仕事は、彼らの哲学にとって偶有的な産物に過ぎないのだろうか?
つまり「純粋な」哲学的思考(問い)の、内部と外部、ということである。
一方、西田幾多郎をはじめ日本の大哲学者といわれる人には、こうした「哲学的思考の外部」に関わる業績を残した人が少ないように思う。
そうだとすればこれは、「文化相対論」的な問いをまったく退けて成り立つような問題だろうか?


私は、文化論的とか、(政治を含む)思想的な要素とかを含んでいないような哲学はダメだとは勿論思わないが、逆に、そうした要素を含んでいるからその哲学は本質から外れている、という風にも言えないのではないかと思う。
「哲学の純粋性」は、それほど確乎としたものではないと思うのである。


こうした点、とくに日本の哲学の歴史において、「哲学史」(哲学的思考そのものの相対視を可能にするものだろう)というものが置かれることになった位置の特異性について、本書の「解説」で、加藤尚武氏の書いていることは示唆的である。

日本に西洋哲学が輸入されたときは、ドイツでヘーゲル死後、人間精神の必然的な発展の軌跡と位置づけられた哲学史がさかんに書かれていた時期に相応し、その時代に留学した井上哲次郎などによって、哲学を哲学史という形で学ぶ仕方が「輸入」された。西洋で哲学が哲学史という形をとったことと、日本が西洋の文化に追いつくために哲学史という形で西洋精神史を消化しようとすることとは、まったく別の意味をもつことである。
 明治から第二次大戦の終りまでは、体系的哲学を講ずることが哲学者の本領だと見なされていて、自己の哲学体系を語るか、客観的に哲学史を語るか、大学で哲学を教えるものは選択を強いられていた。(p354)


日本では戦後においても、「西洋の文化に追いつくための」いわば道具にすぎないものとしての「哲学史」が幅を利かせ、それに対して自己の実存に根ざした哲学的問いを究めようとした人は、西田幾多郎から中島氏まで、「哲学史」的な視点を排除するところに自分の学問の本質を見出そうとしたのではないだろうか。
だがそんな「哲学史」とは、そもそも日本の近代が生み出した虚妄であって、だからこの「内部/外部」の対立も、実はイカサマなところがあるのではないか?


大きく言えば実はこのことが、近世から現在に至る日本のナショナリズムや排外主義の問題とも深く関わっている気がするので、ここに書いたのである。