『善の研究』その他

善の研究 (岩波文庫)

善の研究 (岩波文庫)


明治の終りに出版されたこの本の第3編「善」のなかで、西田は人間が「善」を追求することの根拠を理性に求める「理性説」に対して、意識の内部と宇宙の実在とを統一する唯一の力(西田はこれを、大いなる自己とも、人格とも呼んでいる。ともかく、自己を超えるような内在的な力である。)を、理性よりも根底的なものであると主張する。

我々が理性に従うというのも、つまりこの深遠なる統一力に従うの意に外ならない。(p199)

而して斯(かく)の如き統一力をここに各人の人格と名づくるならば、善は斯の如き人格即ち統一力の維持発展にあるのである。(p199〜200)


そして、次のように書く。

【さき】にもいったように、我々の全人格の要求は我々が今だ思慮分別せざる直接経験の状態においてのみ自覚することができる。人格とはかかる場合において心の奥底より現われ来って、徐(おもむろ)に全心を包容する一種の内面的要求の声である。人格其者を目的とする善行とは斯の如き要求に従った行為でなければならぬ。これに背けば自己の人格を否定した者である。至誠とは善行に欠くべからざる要件である。キリストも天真爛漫嬰児の如き者のみ天国に入るを得るといわれた。至誠の善なるのは、これより生ずる結果の為に善なるのでない、それ自身において善なるのである。人を欺くのが悪であるというは、これより起こる結果に由るよりも、むしろ自己を欺き自己の人格を否定するの故である。(p203〜204 【さき】は旧漢字)


従うべき「内面的要求の声」とは、後年西田が『形なきものの形を見、声なきものの声を聞く』(「働くものから見るものへ 序」昭和二年七月)と書くことになるイメージの、原型ともいえるものだろう。
後にそれは、岸信介によって「声なき声を聞く」と変形されて引用された。そのとき、この「革新官僚」出身の政治家が、日米安保の成立にあたってこの言葉を引いた意味は、西田のこの『善の研究』の真意に意外に忠実であり、決して「国民」(サイレントマジョリティ)の声に耳を傾けるなどという意味ではなく、自己の「内面的要求」に対する「至誠」ということだったのではないかと思う。




ところで、この本の中にやや唐突に登場した「至誠」という語に、倫理的実践における極めて高い地位を与えた、第3編のこの箇所には、優れた西田論の著者である中村雄二郎も注目し、時事的な関心の中で詳細な検討の文を書いている。オウム真理教事件の衝撃のなかで書かれた「誠という道徳的価値について」(『日本文化における悪と罪』所収)が、それである。

日本文化における悪と罪

日本文化における悪と罪

ところが、あるとき、西田がこの編において道徳的価値の最高に置いているのが<至誠>であることに気づいて、そこに大きな問題が隠されているように思われた。なぜなら、<誠>あるいは<至誠>が道徳的価値として絶対化されるとき、そのために<嘘をついてもよく>、さらには<人を殺してもよい>ことになりかねないからである。<誠>のためであるなら嘘をつくことも殺人をおかすことも許される、というモラルあるいはメンタリティが、われわれ日本人の社会生活において潜在的にあるのではなかろうか、と思い至ったのである。(p118〜119)


こう書いて中村は、オウム真理教の村井幹部がついた重大な「嘘」を、多くの日本人が『誠実さを示すような<彼の目が澄んでいる>こと』にたぶらかされて見抜けなかったことなどを例にあげ、<誠>や<至誠>を絶対的価値として、ときには権力の暴走や、殺人のような暴力までを正当化してしまうようなメンタリティの起源を、江戸期の儒教陽明学などの日本化された思想的伝統のなかに探ろうとする。
そのなかには、江戸時代において人々に尊ばれた「倫理」的な生き方とは、権力を背景にした法を遵守するとともに、他者に対する主観的心情の純粋性を求めるというものであったという相良亨の分析に触れて、次のような考察が記されてもいる。

この指摘はまことに重大な問題に触れている。というのも、ここから、<誠>中心の思想が制度を媒介とした自己と他者との関係を明確にとらええないために、既成の制度を不動化・絶対化し、それには手を触れずに内にこもって主観的心情をいよいよ純粋化することで現実や社会に立ち向かうという在り様が浮かび上がってくるからである。(p138)


私たちの社会は、往々にして、「至誠」という主観的心情の純粋性に、過剰なまでの価値を見出すようである。
実際、私は、自分の中にも、それを強く感じる。
そして、「至誠」という尺度に沿わない「不純な」他者に戸惑い、苛立ち、ときに強くそれを排除しようとさえすることも、身に覚えのあることである。
この心情の純粋性は、ときに、悪よりも凶暴かもしれない。


西田の思想、とりわけ『善の研究』のそれについては、陽明学との関連ないしは類似が、しばしば語られてきた。
中村雄二郎も、大塩平八郎から吉田松陰や幕末の志士へという、日本における陽明学の系譜、<誠>という(他者を排除するような)内面的価値を重視する、日本陽明学の独自性に一瞥を加えている。
この流れは明治以後も続き、西郷隆盛から、5・15や2・26の青年将校たち、さらには三島由紀夫にもつながっていくだろう。
それらは多く、岸信介のようなエリートたちの精神でもあったろうが、それに共感し、それを支えたのは、私たち社会一般の心情でもあった。
それが、他者への巨大な暴力や、排除を正当化したのである。


西田の思想が、そうした現実とどのように関わっているか、私には何ともいえない。
ただ、上に引用した箇所のあと、「善」を追求する西田の思想が、さらにきわどい方向へと突き進んでいることは事実だと思う。

而して真の自己を知り神と合する法は、ただ主客合一の力を自得するにあるのみである。而してこの力を得るのは我々のこの偽我を殺し尽くして一たびこの世の欲より死して後蘇るのである(マホメットがいったように天国は剣の影にある)。(p222)


排除(浄化)の暴力(テロル)は、私たちの社会にとって異物だろうか?