三島忌

11月25日は三島由紀夫の命日、つまりいわゆる「三島事件」のあった日である(1970年)。


ぼくはこの事件のとき、もちろんまだ子供だったが、当時フジテレビの「3時のあなた」という人気のワイドショー番組があり、学校から帰宅すると、事件のことを緊急特番的まに報じていたのを、忘れない(しかし、もっと後の時間だったかも知れない。番組が延長されていたのか?)。
三島については、名前は何となく知っていたようである。
そして、それ以外の記憶というのはないのだが、ただ一つの強い印象としてあるのは、この事件が、その後長い間社会の全体か、少なくともある人たちの間に、何か重しのようなものを残したらしい、という感じである。
それは、テレビや雑誌や新聞などの情報に接していて、そんな感じを持ったのであろう。


だが最近、この事件に関して語られていることを読むと、当時の雰囲気が忘れられた、なかったことになされてしまってるのではないかと感じる。
たしかに、その後何年かして、有名な論客や知識人のような人が、「あれはパフォーマンスにすぎなかった」というようなことを対談などで言ったり、小説のなかで、あの事件は自分には無縁なものにしか感じられなかったというようなことを主人公に言わせたりした。
だが、ぼくの記憶によれば、それは、そのような発言や表現が重要な意味を持ってしまうほどに、あの事件のもたらした呪縛のようなものが重かったということなのだ。だからこそ、上のような発言や小説の文句にふれたとき、なにか重しがとれるような、身軽な爽快な感じを、読んでいて抱いたのである。


だから、80年代頃から出てきた、三島事件の「大きさ」を否定するような、(軽々とした)言葉や表現について考えるとき、それらの言葉や表現が、それこそパフォーマティブな意味を持つ背景となった、あの「重し」のようなものについても一緒に考えるのでなければ、その意味を十分理解することにはならないであろう。
もう少しはっきり言えば、それはそれらの言葉を、その言葉が意味を持って放たれた当時の文脈から切り離すことによって、当時も以後もそして現在も実在している、情念を含んだ政治的な現実をまるごと否認してしまう効果をもつだろう。


日本で「ポストモダン」と呼ばれたようなものは、ある程度、この「重さ」に対する一つの反応としてあったはずである。
それは、三島事件に限らず、いくつかの政治にまつわる「過激」と思われるような出来事に対して、それに巻き込まれないような態度をとることが、より政治的ないしは社会的に有効な選択であるという、(間違っていたかも知れないが)それ自体優れて政治的な判断を、当時は内に含んだ態度選択だったと思う。
だが、そういう元来持っていた「ポストモダン」の優れて政治的な性格が、(ときには本人自身によっても)忘れられて、現在がある。


三島事件についていえば、三島の意図はどうあれ、あの事件によって社会に引き起こされた「重さ」と、その背景にあったであろう情念や政治的考えのようなものは、その後表面上は否認され、何となくなかったことのようにされるなかで、状況は概ね右派的な方に移行した。
つまり、あの事件は、「パフォーマンスであった」どころか、結果として重大な政治的意味を持ってしまった、と言えるのではないか。
それは無論、三島の行動が、何らかの意味で「成功」したということではないだろう。現実は、もっと悪いのだ。