人を無力にさせるニュース

今日の「ニュース23」を見てたら、エンディングにイスラエルで怪我をした海亀が救命されたというニュースをやってた。
イスラエルには亀の救命センターはあるが、イスラエルの軍隊に殺されたガザ地区の人命はまったくかえりみられることは(もちろん救命されることも)ないのだ。
これはおそろしくグロテスクな現象だと思うのだが、まったくそれには言及されず、ただ「癒し」的なトピックとして語られていた。
あの番組を作ってる人や、報じてる人は、最近ガザ地区で起きていることをまったく知らないのかな?
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080307/1204861014

http://0000000000.net/p-navi/info/news/200803092332.htm


ジャーナリストだから、またあの番組というのは、パレスチナ問題についても何度か特集を組んだこともある番組なので、そういう現状に無知であるとは考えにくい。
だとすると、無知であるより、もっと悪いのである。


というのは、その事実を知ったうえで、そのこととはあくまで無縁な出来事としてあのような(亀の救命の)ニュースを流しているということは、ガザ地区で失われつつある人命が、日本の日常のなかに居てテレビを見ているわれわれにとってはとるに足りないものであるというメッセージを、あの番組の送り手たちが視聴者に伝えていることになる。
これでは、この番組の別の部分で、パレスチナの現状について、フラッシュ的に報じたとしても、それは「亀の救命のニュース」と等価な、受け流して当然のニュースでしかないことになってしまう。
それは、自分たちが伝えていることの「意味」を、自ら否定するような行為だ。
つまり、それは自分たちが報じている出来事から現実性(現実的な意味)を消し去ってしまうと同時に、視聴者が現実と触れ合うことを困難にさせるようなシニカルな解離的な情緒を(見る者に)浸透させてしまうのである。
恐ろしかったり、許しがたいと感じていたあの出来事が、世の中ではこの程度の意味しかもたないものなのだというメッセージが、報道自体から伝えられるとき、見る者は(無力感というよりも)無力さそのものに文字通り襲われる。
だから、このようなトピック的な報道の非政治性(中立性)の効果は、おそろしく(破壊的なほど)政治的なものだ、と言わねばならない。


もしこの番組を作っている人たちがパレスチナの情勢について深刻な関心を持っているのなら(そうでないなら、どういうつもりで時折パレスチナ関連の特集を組むのだろうか)、この「亀の救命のニュース」のような話題の扱いについて、特別な工夫をする必要がある。
それは、大げさなことではない。この問題に限らず、さまざまな事柄を報じるにあたって必要なことなのに、とくにテレビではほとんどなされることがないのだが、それ自体はそんなに大げさな工夫ではないのだ。
それは、こういう話題を伝えるときに、ひと言でも現在のイスラエルパレスチナの問題の現状に触れて、「現実」の形を正確に浮かび上がらせること、言い換えればニュースを「現実」のなかに置き直すということである。
そのような配慮と努力によってのみ、生きた現実を人々に知らしめるものとしての、報道の「力」と「中立性」は確保されるのだ。