『ボウリング・フォー・コロンバイン』(吹き替え版)

先日深夜のテレビで、マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』を吹き替えで放映していた。


はじめのうちは、こんなドキュメンタリーの秀作を吹き替えでやるなんて、と馬鹿にしてみていたが、字幕で見ていたときには分からなかった部分も理解でき、結論としては見て良かった。
日本の声優陣の演技の質の高さをあらためて感じたというか、とくにチャールトン・ヘストンを演じた納谷悟郎が素晴らしかった。
全米銃協会の代表として、コロンバインなど悲劇の起きた土地にわざわざ出向いて大会を開き、「われわれは絶対に銃を手放さない」とスピーチするヘストンの愚かしい姿は、田母神の広島での講演を思い出させる。


ところでヘストンは、このインタビューを受けた後だと思うが、『マイ・ファーザー』という映画で、アウシュビッツで人体実験をしていて南米に逃げたメレンゲという医者を演じた。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20050930/p1


その強力な存在感を知っているだけに、この映画の終わりでムーアの質問から逃げるように去っていく老いた後姿(アルツハイマーであることを公言していた)との対比が、ひときわ印象に残る。
このインタビューを受けていなかったら、彼はあの役を引き受けていただろうかと、ふと思った。


映画全体の印象としては、今回見て感じたのは、なぜアメリカでだけ銃を使った事件が多発するのかという問題について、ムーアは、犯人探しのようなことをあまり明確にしていない、ということである。
インタビューでの鋭い質問や、たくみな編集をとおして、一応見えてくる「原因」はあるのだが、そのことはムーアの関心とは微妙にずれている。
まわりくどい言い方だが、原因が何かという「答え」への関心よりも、「この国や社会は、なぜこうなってしまったのか」という問いに込められた感情の切実さの方が重い、あるいは余剰なのだ。
それが、一言でいえば、彼の「人間味」ということだろうが、この映画が特に幅広い人たちに受け入れられ波紋を広げることが出来た理由なのだろう。