『SiCKO』

テアトル梅田で、話題の映画『SiCKO』をやっと見た。
すでに広く知られているように、国民皆保険制度がなく民間の保険会社に頼るしかないアメリカの医療のひどい状況を告発した作品である。
同時に、国民皆保険制度をもつイギリス、フランス、カナダ、そして社会主義国キューバの医療の状況が対比的に描かれる。
とりあえず、非常に分かりやすく出来ている映画だ。また、たんなる映画というよりも、作品を作る過程自体が個人的な社会運動みたいになってるところが、とても面白いところでもある。


ここで描かれ、告発されているアメリカの医療の状況というのは、ほんとうにひどいものである。
保険会社は利益を過度に追求するあまり、患者に医療を受けさせないためのあらゆる技法を編み出し、あげくは利益につながらなかったり不利益となる患者たちを「廃棄」するに至る。保険医療業界(それに製薬業界)の巨額な献金によって、そうした医療制度を作り上げてきた、政府や議会の姿勢が強烈に批判され、そういう社会が当たり前であり、国民皆保険など悪しき社会主義的制度に他ならないという刷り込みを信じ込んだアメリカ人の意識の虚妄が、他の国々の医療の実態を知ったムーア自身の驚きをとおして、光にさらされる。


だが、それにもまして、ここで紹介されるイギリスやフランスやカナダの医療の状況は、ムーアにとってばかりでなく、同様の制度を持つはずの日本に住むぼく自身にとっても、「夢のような」驚くべきものに思える。
これらの国々の医療の現実が、「国民皆保険の制度をもつ先進国」のそれだとするなら、日本のこの現状は、いったいなんなのか。どちらかといえば、その疑問の方が強く心に残るのである。
たぶん、この映画を見た日本の観客の多くは、ムーアが日本に取材していたら、この映画でどのように描かれたろうか、と考えただろう。


もちろん、アメリカ以外の国々の「影」の部分があまりに描かれてないのではないか、という印象は残る。
アメリカの現状は、あまりにひどいものだとしても、英仏やカナダの制度・社会は、いいことづくめなのか。結局、ムーアという人にはアメリカに対する関心しかなく、アメリカがあるべき像を指し示す参照項としてだけ他の国は見出される、ということになってるのではないか。そういう印象は、やはりあるのだ。
そういう意味で、これらの「外国」の制度・社会は、たしかにあまりに理想化されて描かれてるところがあるかもしれないのだが、それにしても、少なくとも医療に関する限り、その状況は日本のそれとはあまりに違いすぎると思えるのだ。


これは、どういうふうに考えればいいだろうか?
ムーアが批判するアメリカの医療や医療保険と、国民皆保険を掲げてきた日本のそれとでは、制度の面では大きな違いがあるように見える。
だが、この映画でもっとも強調されている視点は、制度そのもの以上に、そうした制度を可能にしているもの、一口にいえば民主主義的な社会の精神の有無ということだ。
インタビューに答えるイギリスの元議員も、フランスに住むアメリカ人たちも、異口同音に語るのは、「これらの国々(英仏やカナダ)では政府が国民を恐れているのに、アメリカではその逆だ」ということである。


アメリカの社会では、人々は「自立」を求められ、「社会主義的」と見なされるような公的福祉制度への「依存」が悪として徹底的に退けられる。これは、戦後の日本がとってきた福祉国家的な制度とは、一見逆のもののようにみえる。
だが、そうではない。
つまり、ここでは「自立か依存か」という対立軸は、偽のものでしかない。本当の対立軸は、「独立か服従か」ということである。
アメリカの「(新)自由主義的」な制度・社会も、日本の国民中心主義的な福祉制度も、ともに人々に政府や権力への「服従」を強いるものである。そこには本当の「独立」はなく、したがって民主主義がない。だからこそ、(日本の場合)「福祉国家」から「アメリカ型社会」への日本の移行は、権力者や大企業の思惑通り抵抗もなく進むのだ。


この映画で、ぼくがもっとも感動したのは、アメリカの社会制度に見捨てられた形になった、「9・11」の救助作業に当たった元消防士たちを含む人々が、キューバにわたって無償で医療を受けることが出来たあと、この元消防士たちのかつての英雄的な行動に敬意を表して整列(国柄なのか、だらっとした整列だったが)したキューバの消防士たちに賞賛され、ねぎらわれる場面である。
そこには、アメリカの社会がもつ最善の意味での「独立」の理想と、キューバがそのアメリカとの苦闘の歴史において守り通してきた不屈の「独立」との、柔らかい、等身大の、しかし恩寵のような出会いと和解の姿が描かれてたように思う。
それは、権力への「服従」がもたらすものが、あきらめや恐怖を土壌として生じてくる人々の対立や分断や隔離に他ならず、それらを乗り越えて「独立」することによってもたらされる、もっとも大事なものは、生身の人と人との、和解であり相互理解であり連帯であり、何よりも静かな抱擁だということを、教えてくれる。
この映画から伝わってくるものの核心は、そういうものではないかと思う。




(この映画のすぐれた鑑賞記事二本です)


マイケル・ムーア「Sicko シッコ」を観て


映画『SiCKO』鑑賞