『オルタ』の榊原論文

『オルタ』今号の北欧特集は、すでに紹介した対談のほかにも興味深い文章が並んでいるが、なかでも『スウェーデンの「男女平等」神話を検証する』と題した榊原裕美の論考は、刺激的なものだと思った。


この文章は全体としては、ぼくには十分に理解できていないところがあるのだが、各部分に示唆されるものが多く含まれている。
基本的には、スウェーデンの『男女平等化政策は、福祉国家と国際競争力を両立させる社会構造を作りあげた。』(p31)という経緯が、それに失敗した日本との対比を含めて語られる。スウェーデンの政策や状況を手放しで礼賛できるものではないが、日本とはたいへんな違いであるということ。
こういった日本の状況との懸隔は、小池克憲の文章『福祉国家と移民――スウェーデンの経験から』における、スウェーデンの先進的な移民政策が現在さまざまな限界に直面しているとはいっても、この国は例えば総人口950万に対して7万3千人もの難民を受入れており、08年にわずか57人(うち54人がビルマ出身者)しか難民を受入れていない日本とは比較にならないことを現にやっているのだという指摘からも痛感される。
日本の場合は、スウェーデンのような国が行ってきたことの「限界」を云々言えるような地点には到底達していないのだ。


また、ひとつの興味深い事例として、「メイド論争」なるものが紹介されている。
これは家事サービスの減税(控除)という政策をめぐる論争で、減税が男女の平等につながるという主張と、それは富裕な家庭の女性にだけ恩恵を与えるもので「女中(メイド)社会」の復活につながるものだという主張とが、いわば階級間の論争のように、フェミニズム運動の内部でも勃発したとのこと。
この事例に象徴されるように、『女性問題とは、階級問題を内包した、国内的な社会構成の選択の問題でもあること』がスウェーデンの状況に垣間見られることが論じられるが、さらにもちろん、それは国内に限らず第三世界と先進国の間の分業再編にも関わる問題であることが指摘されていく。上記の例に関して言えば、スウェーデン社会においてもメイドなどの家事サービスは、移民にとって参入が容易な仕事の代表格であるからだ。
だが留意すべきことは、家事サービスの控除には、実はそれによってこの仕事の低賃金化を防いだり、還付のための申告によって(利用者側の)脱税を無くしていくなど、移民女性などを保護しようとする意図が含まれていた、ということである。
このようにスウェーデンの平等化政策には、論議や批判される余地はあっても、そこには差別や格差を防ぐための周到な工夫が働いているといえる。
そこに日本との社会の理念的な土壌の違いのようなものがあり、筆者がもっとも強調したいのも、そうした差異であろう。

平等を徹底する仕組みの遺産は、スウェーデン規制緩和と他国のそれとを大きく隔てている。この国での政策は何であれ、連帯や規制を通じたナショナルな仕組みと協調しなければ国民の合意を取り付けることはできない。日本でもEPAに絡んで唐突にケアワークの分野での移住労働者の受入れが進んでいるが、不安を感じさせるのは、そうした国内的な社会的素地が全くないためだろう。(p33)


ソーシャルな思想がナショナルな閉鎖性に接続しやすいとはいっても、その基礎にあるものは個々の生命や生活を大事にする精神のはずであり、社会の仕組みのなかでそれが保たれているならば、その庇護の力は外部から到来した者にも開かれるはずである。
いや、外部から到来したものに開くことによってのみ、「ソーシャルなもの」は自己を打破してその基礎的な精神を蘇生させるというべきかもしれない。
日本では移住労働者に対する「不安」という形をとって、社会的連帯の意識がなかなか外へ開いていかないということは、この基礎的精神が非人間的な制度のもとで窒息させられてきた結果の不幸な現状を、あえぎや悲鳴のように現わしているのだと思う。