金大中氏の死

金大中氏が亡くなった。


二三日前、全斗煥が病床の氏を見舞いに行った(約10分間だそうだが)という報道を読んだとき、「嫌なニュースだなあ」と思ったと同時に、病状がそんなに重いことをはじめて知った。


金大中元大統領はもちろん、先ごろ悲痛な死を遂げた盧武鉉氏と並んで、韓国の民主化運動の進展を代表する偉大な存在だった。
やはり批判もあるが、この事実は決して揺るがないだろう。


金大中政権というと、「太陽政策」がどうしても思い浮かぶが、ぼくはこの政治家は、日本に対しても太陽政策を行ったのだと思っている。
それは、天皇訪韓を要請したことである。
これは、金大中氏が日本をよく知っていたがゆえに行った「現実的な」選択だったと思う。日本の政治家も、一般市民も、天皇の存在から独立するということは無理であるということ、また日本の左翼的な政治運動にも、その傾向を変える力はまったくないということを、金大中氏は知っていた。
いわば日本に、ある意味で見切りをつけていたのである。
そのシビアな分析の結果出てきたのが、あの要請だったと思う。


このことは、日本の側からいうと、金大中氏に、結果的にそのような選択をするように強いることになった、ということである。
またのみならず、それは多くの韓国の人たちにも、そのような考えや態度をとることを強いた、余儀ないものと思わせた。そういうことがいえると思う。
それはもちろん、その後の日韓関係や、韓国の政治・社会の動向とも無縁なことではないだろう。これは大事な点だ。
ぼくは氏自身が個人的に天皇に対してどんな感情や考えを持っていたか知らないが、ともかく彼にとって、日本という国は、そういう国であると判断されていた。
金大中事件」を経験した、あの政治家、人物にである。


「われわれ」という言葉は、どこか口幅ったいのだが、ぼくはやはり、これはとても恥ずかしいこと、寒々としたことであると思う。
「われわれ」も、「ぼく」も、こうした寒々しさをほんとうに克服することが、いつか出来るだろうか。


冥福を祈ります。