天皇と国家

きのうNHKの番組JAPANデビューについて書いた中で、第一回と第二回との比較のようなことを書いたが、実を言うと、第一回の方を全篇ちゃんと見たわけではない。
そこで、第一回の「アジアの一等国」も、じつは全体的な作りとしては第二回の内容と重なるようなものであったかも知れない。だとすると、この番組に対する見方は、やや否定的なものにならざるをえない。
それはともかく、憲法天皇のことを扱った第二回の内容について、もう少し書いてみる。


ぼくが「司馬史観的」と呼ぶのは、明治国家のあり方を肯定した上で、昭和10年ごろからの「軍部の暴走」とか「右傾化」と呼ばれるような現象だけを、日本の国家戦略上の過誤、いわばガン細胞のごとくとらえて、これを修正し「正道」に戻ることでよしとするような歴史観だ。


天皇憲法」について言えば、日本が今後移民国家への道を進み、あるいはアジア諸国の政権との経済的・政治的な関係を強化することで国家の安定と繁栄を求めるなら、天皇に関する条文を憲法からまったく除くという仕方で改憲を行い、天皇を政治的な場の外に置いてしまうということは、国家にとっては十分に現実的な選択肢だ。
実際、明治の初めに旧憲法が制定されたとき、伊藤博文たちは、このような天皇観のもとに、つまり、天皇の存在を掲げることが自分たちの権力の確立と国家の拡張に好都合だからという理由から、天皇の存在を憲法のなかに書き込んで国を作ったのだ。
いわば、帝国日本の権力者は、はじめから「天皇機関説」なのだ*1


当初から、このように権力維持の手段として「天皇」が持ち出されているだけだから、それを捨て去ることの方が戦略上有利と判断されるなら、国家権力はいつでもこれを切り捨てるだろう。
実際に捨てることをせずとも、権力の側は、常にそのカードを握っている。
たとえば、「天皇の存在を憲法から除く」ということをエサにして、天皇制に微妙な違和感を持つような人の改憲への心理的障壁を低くするといった操作も可能なのである。
その主目的は、あくまで改憲であって、国力の拡張のための戦争や自国・他国への支配が行いやすい国に変えていく、ということだろう。


だから真に批判するべきなのは、天皇を利用することで国力と権力の強化を図った伊藤的な権力の発想と手法である。現実にこれが日本の帝国主義的拡張を可能にしたものであり、軍部や右翼の「暴走」は、その土台の上で(恐らくは不可避的に)起きた特殊な変奏のようなものに過ぎない。
また恐らく、昭和天皇のような人もこの「天皇観」を内面化していたはずである。
われわれ国民も、この発想を内面化することで、繁栄と安定を享受してきたのであり、だからこそそれが危うくなると、「国体護持」を唱えるような「非理性的」な、また排外主義的な言説に簡単に同一化していくのである。


ただし、このような発想と手法を打ち破らねばならないのは、別にそれが「天皇を利用しているから」ではない。
このような利用の手法を用いることで植民地支配や侵略戦争が行われ、国内においても、またわれわれ自身の日常においても、生命の軽視や蹂躙が当然のことのようにされている現実が、今なおあるからである。

*1:だから安重根のような、民族主義者というよりも興亜主義者であった人が、伊藤を暗殺した理由として、天皇を謀って自らの権力のために利用したことを罪状としてあげたのである。