『朱子伝』

年末から正月にかけて読んで、あまりの面白さにびっくりした本。

朱子伝 (平凡社ライブラリー)

朱子伝 (平凡社ライブラリー)


大思想家とされる朱子だが、この本では、気が短く直情径行で寛容さに欠けていたり、言行不一致であったり、またそうかと思うと心を許した弟子には見っともないほどに愛着や弱音を吐露してしまうなどといった、矛盾と欠点に満ちた「人間朱子」の姿、そうした性格上の欠点をよく自覚していながら、それを十分に克服することも出来ないまま死んでいった一人の男の姿が浮き彫りにされている。
著者の深い敬意と愛情を込めて描き出された、生身の朱子像と呼ぶべきものである。


朱子の性格について、彼をよく知る人は、たとえば次のように諌めていたという。
友人であり、思想上の好きライバルでもあった張南軒の手紙の一節である。

元晦(あなた)の学問と行いとは人々の尊敬するところですが、眼前の事柄を見下すふうがあるのが気がかりです。あなたはふだん他人(ひと)をいましめ正すばかりで、他人を不是とし、おのれを是とするところが多いのです。ですからひとはあなたを憚って、疑点があっても尋ねようともせず、へつらいが多く、耳にさからう言葉が少ないのです。こうした性格の偏りを省察しなければ、おそらくいつの日か流弊を免れぬでしょう。(p218)


この引用に続けて、著者は次のように述べる。

知己の言というべきである。かの偽学の禁は、ひとつには南軒が懸念した朱子の剛直の性格が招きよせたという一面もあったことは否定できない。呂東萊もまた朱子を戒めて、敵を立てて勝負をつけるのを好み、少しく「温和の気象」を欠くと述べている。朱子はこうした自分の性格の欠点をよくわきまえており、呂東萊に対して、あなたは温厚だが、自分は「暴悍」だと言っている。加うるに癇癪持ちであり、これは欠点ではないが相当に粘液質の人間であった。(p218〜219)


朱子は終生、こうした性格から脱することは出来なかったようである。
そこから、悪評の高いトラブルも生じたことが、この前後で詳しく語られる。それは、地方官時代に行った唐仲友という人への異常と思えるほどの執拗な弾劾で、朱子を高く評価する人でも、このときの振る舞いには疑問や不快感を示す人が少なくないのだという。


また、言行の不一致と思われることには、次のようなこともあった。
朱子は、「為己の学」といって、学問は科挙に合格して社会的地位を得るために行うものではなく、自分の生き方の切実な問題として受け止めて追求するべきものであるという、宋学伝統の理念を強調し、門人たちには科挙の受験勉強の放棄さえすすめた時期があった。
だがその一方で、あまり出来が良くなかった息子たちには、何度も科挙の試験を受けさせて、将来の安定を得させようとしていたらしい。
こんなところにも、その矛盾がうかがえるのだ。


だが同時に、この本を読めば、そうした性格上の欠点や矛盾が重要な条件となり、それとの格闘が朱子の思想の卓越性や特色、また行動の果敢さを生み出すもととなったことも分かってくる。
詳しく紹介される朱子の勉学・学問の手法からもそれはうかがえるのだが、特に印象的なのは、晩年を襲った上記の「偽学の禁」と呼ばれる出来事への処し方である。


これは、朱子の学派を含む道学者たちが、中央政界・官界の抗争に巻き込まれて弾圧されるに至った事件で、昔の中国では「学者=官僚」という等式がほぼ成り立っていたので、思想界の動向は、権力闘争と不可分であったらしい。
そのなかで道学派は、「偽学」というレッテルを貼られて排斥され弾圧されることになるのである。
その直接のきっかけとなった出来事の紹介のあと、著者はこう書く。

道学を偽学(エセ学問)と貶称するのはこの時に始まる。多数の人を陥れるには衝撃的なレッテルを貼りつけるのが一番捷径(ちかみち)であって、ひとりびとりの罪状を言挙げする手間ひまを、【たくちゅう】派はこのおぞましいレッテル(のちには逆党と呼んだこともある)で能率的に済まそうと考えたわけである。これ以後、偽学の称は朝廷の内外を罷り通ることになる。(p297 【】内は漢字)


皇帝に上奏して朱子たちを弾劾した当時の文章には、夜な夜な生徒たちを教室に集めて怪しげな教えを広め、国家を危うくしようとしているという趣旨の誹謗の言葉が、おどろおどろしく書き連ねられている。
今なら、「反日教育をやってますよ」というところだろう。


朱子の周囲の人々は相次いで迫害に会い、門人たちは次々と去っていき、年老いた朱子の孤立は深まってゆく。
だいたい、朱子学が国の学問のようになった後世からは想像しにくいことだが、朱子が生きた南宋の時代には、朱子を含む道学派(宋学)の学問全体が、世の中の少数派だった。
朱子の尽力もあって、それがようやく政治の場で発言力を持ち始めた矢先に、この弾圧が起きたのである。
だが朱子は、逆境と孤独と老いに苦しめられながらも、自分の信じた学問を守るために、粘り強く戦い続けるのだ。


朱子の思想は、それをどう評価するかは別にして、東アジアに生きる今日のわれわれのなかに深く複雑な影響を残しているものだと思う。
その思想を生み出した原点である、生身の人間像を描き出し、いわば「われわれのなかに生きている朱子」を再発見させてくれるという意味で、これはすぐれて現在的な書物でもあると思う。