ルーマニア

火、水とNHKの深夜に放送されていた、「シリーズ1989からの出発」。
東欧各国の「1989」からの20年を再考するという番組だったが、とくにルーマニア篇を興味深く見た。


チャウシェスクの体制が崩壊したあの時の一連の出来事を、旧共産党幹部の実力者たちによる簒奪的な権力獲得、彼らによる民衆化運動の言わば「盗み取り」だったという見方が、今では有力である、ということ。
そして、実際、その後今日まで権力を握り続ける旧共産党系の支配層に対する、民主化運動の継続。
ルーマニアの、「それ以後」の情勢って、まるで知らなかったので、驚くことばかりだった。


ひとつ思ったことは、これは、1949年以後に中国で起きたことに似ているのではないか、ということ。
毛沢東は、49年の中華人民共和国成立は、旧権力層から新権力層(党や軍)への、たんなる権力層内部での交代劇のようにしか捉えていなかった、とされる。
これを、民衆による真の権力奪取というか、国・社会の仕組みの根本的な変革に結び付けようという意図が、「百家争鳴」や、文革の背後にあったらしい。
この意図は、最終的には封じられるのだが、民衆がデモなどの集団的な動きを起こすことで国家に直接的にプレッシャーをかけていくという伝統のようなものは、この文革など一連の動きのなかではじめて中国に根付いた、とも言われる。


ルーマニアで、89年以後に戦われることになった「民主化闘争」は、まさにそういうものなのではないか。
だとすればこれは、「市場経済への希求」というような一面的なイメージで捉えられてはならず、今日の世界の政治や社会のあり方への、根本的な異議申し立てを含んでいる、と考えられるだろう。


あと、印象的だったのは、旧体制下で、自分の親族の中に密告者を送り込まれていたという、反体制の聖職者の話。
この人は、最近になってその事実を知り、「ソ連東ドイツで、そういうことがあるとは聞いていたが、まさかルーマニアで、そんなことがあるとは思わなかった」と、衝撃を語っていたが、「まさか自分の国の社会で」ということは、どの国の人も思っていることかもしれない。