『グエムル 漢江の怪物』

古本屋で安く売られてるのを見かけて買った。
DVDは滅多に見ないのだが、これは封切の時に見損ねて、ずっと気になってたのだ。


監督は、傑作『殺人の追憶』のポン・ジュノ。主演は、やはりこの作品の印象も鮮烈な名優ソン・ガンホ


正直、上記作品に比べると粗いところがある。
しかし、とくに後半は非常にひきつけられた。
ぼくは特に、主人公の父親が死ぬ場面が駄目である(非常にいい、ということ。)。
ソン・ガンホはもちろん好いのだが、父親役の俳優も素晴らしい。


怪物が生まれる原因になった、漢江に毒物を廃棄する所というのは、きっと米軍基地という設定なのであろう。
米軍基地からの排水による漢江の汚染は、ずっと大きな社会問題になってきたので、韓国の観客には自明なのだろうと思う。
当然ながら、政治的・社会的な寓意が込められたストーリーである。
しかし作品の最大のメッセージは、主人公が少年と二人食卓をはさみ、誤報をあえて伝えてきたテレビのスイッチを切って食事をはじめるラストシーンに集約されている気がした。


出てくる怪物だが、たしかに凶暴極まりないのだが、どこかユーモラスであり、また哀れみも感じさせる。
人間の愚かさが生み出した生命であり凶暴さ、ということがあるからか。
造形など、ハリウッド映画の『エイリアン』シリーズなどにヒントを得たと思うところも多いが、それ以上に、日本の『ゴジラ』との類似を思った。
それは、こちらは(恐らく軍事基地からの)毒物による汚染、ゴジラは水爆実験(これもたぶんアメリカの仕業だろう)の影響と、いずれも人間の愚かで破壊的な行為が生み出したものとして、怪物(怪獣)を存在させてる、という点である。
つまり、ゴジラやこの怪物(グエムル)の暴れっぷりが示しているものは、人間の暴力や愚行に対する怒りであるといってよい。


もちろん、『ゴジラ』と『グエムル』には大きな違いもあると思うが、ここでは書かない。
言いたいことは、われわれはこうした「怪物」とその理不尽な暴力(破壊)を、恐れながらも、何故かいとおしんでもきた、ということである。
今回、『グエムル』を見て、あらためてそのことを感じた。


それにしても、クライマックスで、怪物を洋弓でやっつけた直後のぺ・ドゥナの表情は、しびれるようなカッコよさだ。
あの怪物になりたい、と思ったぐらいである。