新型インフルに思うこと

新型インフルへの政府の対応だが、毒性が弱いことと経済活動など都市機能への影響を考えて、対策を変更する方針だと伝えられている。
たしかに、今のところ毒性は季節性のインフルエンザと変らないようだが、全ての人に免疫がないということは、感染力が段違いであるということは間違いないので、そんなに簡単に対応を弱めて大丈夫か、という不安もある。


それより、日本に限らずアメリカなどの対応を見ていても感じることだが、対応を決める場合の基準がおかしいと思う。
流行によって一番被害を受けるのは誰かといえば、妊娠してる人や生活習慣病の人、その他何らかの理由で重症化しやすい人たちである。同時に、保育園や介護施設の閉鎖で問題化しているように、共働きとか、父子家庭、母子家庭の世帯、さらには多くの経済的弱者が、集中的に打撃を受けるといってもよい。
ところが日本の場合は、この人たちへの救援策が十分になされているとはいえない現状で、感染の拡大を防ぐことを理由に学校や保育園、施設の閉鎖が全面的に(大阪・兵庫では)進められた。
つまり、社会全体への波及を防ぐということが最優先課題とされ、各自にそのための我慢や自粛、工夫、協調といったことが要請されるのである。


だが企業の活動など、経済活動に関わるような面では、基本的に自粛が求められることはなかった。
そして、そこに影響が及びかねないとみるや、ただちに「弱毒性」であるとか、「季節性のものと変らない」と言い出して、規制を弱めようという方向の論調になる。
まるで、肉体的、経済的な弱者など、実際に打撃を受けるであろう個々の人の健康や生活よりも、「都市機能」だとか「経済活動」の方が大事である、と言わんばかりだ。


たしかに企業が休みになって働きに行くところがなくなったら、貧しい人たちの生活はもっと困るであろう。
だが、そのような一番パンデミックの被害を受けやすい層への重点的な補助・支援を拡充することで、企業の活動の制限を含めた広範で実効力のある対応も可能になり、それがもっとも効果的な防疫につながるのではないだろうか。


要するに、社会のなかで、感染拡大の影響を受ける人には、明らかな偏りと分布があるのに、「経済」や「都市機能」を守るという目的のもとに、社会全体に一様に網がかけられたり外されたりしており、結果として弱者がひずみを集中的に受け、切り捨てられるようなことになりつつあると感じる。
そこがどうにも、納得のいかないところだ。


さらに大元をいえば、なぜこうしたパンデミックが引き起こされ、流行するのかという、構造が問題にされる必要は、もちろんあるであろう。
http://tu-ta.at.webry.info/200905/article_14.html