簒奪

最近、急にエコ(環境)をテーマにした番組が増えた気がする。
日曜の夜11時台とか、どこを回してもエコばっかりで、出てる人には悪いけど、正直うっとうしい。
エコエコ、エコエコって、お前はアザラクかと言いたくなるよ。


これは何がうっとうしいのかというと、アメリカの政権とか政府とか大企業とかがそれを主導してて、押し付けられてるという感じがするからだ。
オバマの「グリーンニューディール」とか、日本のエコにしても、原発をもっと作りましょうとか、そういう話になっていきそうなのが見え見え。
それが嫌。


たとえば日本だったら、田中正造とか宇井純とか、ずっと反原発運動をやってきた人とか、そういう反権力というか、民間の環境運動、反公害の住民運動みたいなものがあって、それは継承するべきものがあると思うけど、今のエコブームというか、イデオロギーは、どう考えても官製だもんなあ。
そうであっても、環境保護は必要なことだし、否定できない面もあるのではないかと言われるかもしれないけど、「運動」としてあったものが権力や国家の言葉として簒奪されていくということ、それ自体の問題が大きいと思う。
つまり、換骨奪胎というのか、力がまるごと吸い取られちゃっていく感じ。


これはエコだけじゃなくて、考えたら反戦・平和や非暴力にしても、「テロリズムに反対」とか、すでに権力の言葉として簒奪されてる感があるもんなあ。


そう考えていくと、今のオバマ政権というのは、まったくあなどれない。
ブッシュ政権は最悪だったにしても、アメリカの暴力、反テロ戦争とか環境破壊とかネオリベとか、それらがダブルスタンダードであることとかが見えやすかったんだけど、オバマ政権は、そこが見えにくい。
軍事的なことでも、反テロ戦争は継続してるんだけど、例えばアメリカに敵対する一部の国の核拡散に反対するだけじゃなくて、自分たち大国も核軍縮をやっていくことをロシアに呼びかけたりする。だから、ダブルスタンダードということは、少なくとも目立ちにくい。
「非核化」や「反戦・平和」が、本当に権力の言葉、支配者側の言葉として流通してしまう恐れがある。
グリーンニューディール」とかにしても同じじゃないかな。


この「簒奪」による、人々の抵抗・活動の無力化、みたいな問題は、すごく大きい気がする。
もちろんだからといって、「反エコ」「反反戦」を掲げるわけにもいかない。
というか、それを掲げざるを得ないところに、狙って追い込まれていく恐れがある。
そう言えるんじゃないか。