『コーラ』7号が出ました

web評論誌「コーラ」7号の案内が届きましたので、こちらにも掲載します。
転載歓迎とのことです。


なお、永野潤さんは、ご承知のように、sarutoraさん(zarudoraさん)です。
(以下転載)

 ■■■Web評論誌『コーラ』7号のご案内■■■

 本誌は〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、
〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差させたいと思います。そして複数の
 声が交響しあう言語‐身体空間の〈場〉、生成的で流動的な〈場なき場〉
 の出現に賭けます。賭金は、あなた自身です。

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html
 ★Web等での本誌のご紹介も、よろしくお願い申し上げます。
 
 ●シリーズ〈倫理の現在形〉第7回●
  吸血鬼はフランツ・ファノンの夢を見るか?
  ──「怪物」のユートピアと「人間」のナルシシズム

  永野 潤
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-7.html

 藤子F不二雄(ふじこ・えふ・ふじお)のSF短編マンガは、繰り返し同じ
世界を描いています。それは「人間」がマイノリティーとなる世界です。それ
は、いわゆる「ディストピアもの」と言ってもいいでしょう。たとえば、「絶
滅の島」という作品(1985年)(注1)では、人類が絶滅の危機に瀕した地球
が舞台です。地球は毛むくじゃらの巨大な「宇宙怪物」たちに突如攻撃され、
圧倒的な軍事力の差に、地球人はほとんど殺戮されてしまったのです。生き
残った主人公の少年は言います。「戦争なんてものじゃなかった 一方的に焼
き尽くし、破壊しつくし、殺しつくし……。 人間をまるで雑草か何かのよ
う……。」彼を含む27人は、「秘島ツアー」で孤島にやってきていたため殺戮
をまぬがれ、生き残ったわずかな人間です。しかし、その人々も宇宙怪物に見
つかってしまい、襲撃を受けます。人々は武器をもって抵抗しますが、次々に
捕らえられ、残虐な仕方で殺されていきます。今このマンガを読む人の中に
は、この宇宙怪物の姿に、テロとの戦い、などと称して、人々をまさに雑草か
なにかのように殺戮している現実の大国の軍隊を想起する人もいるでしょう。

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
 「第8章 哥と共感覚・上」
   http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-8.html
  「第9章 哥と共感覚・中」
   http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-9.html
  「第10章 哥と共感覚・下上」
   http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-10.html

  中原紀生

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 ●連載:新・映画館の日々」第7回●
 〈あたしは腐女子(クイア)だと思われてもいいのよ〉
    ――男性のホモエロティックな表象と女性主体

  鈴木 薫
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/eiga-7.html

 『指輪物語』でエルフのお姫様、美しいアルウェンをはじめて目にしたフロ
ドは、彼女が父親にそっくりなことに感嘆する。J・R・R・トールキンは、女
が美しいのは美しい男に似ているからだと無邪気に書ける人であった。彼の作
品において男の美の写/移しに過ぎない女キャラは型通りで平板であり、真に
重要なドラマは男たちのあいだで起こる――だから、「「オリジナル」の
LotR』自体に、やおい/slash文化における二次利用をあらかじめ前提とし
ているかのような要素が多分に含まれていた」(鷲谷花)という指摘はやはり
的を射ているのだ。『LotR』すなわち映画の『ロード・オブ・ザ・リング』三
部作のみならず、すでに原作においてさえ――。
 むろん、この認識は転倒している。それが本当らしく思えるとしたら、「や
おい文化」がともあれ人目を引くようになった現在から見ているからに他なら
ない。トールキンが女性によるそのような読まれ方(“二次利用”)など毛ほ
ども前提にしていなかったことは明らかだ(わかる人にわかってほしいとは望
んでいたろうが、それは女性に対してではありえまい)。という植物があるそ
うで、かつて塚本邦雄は、女郎花に似るがそれより大型で粗雑云々というその
定義を借りて、男が女の大型で粗雑なものといつから考えられるようになった
のかと憤慨してみせたが、そこでも男の美を認識すべき主体として第一義的に
女性が想定されていたのではもちろんなかった。(以下は、Webサイトへ)

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  ●コラム「コーヒーブレイク」その1●
   往年の西部劇ファンだった各位へ
   ──映画「シェーン」の背景

  品川康介
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-1.html

 アメリカ映画(とりわけ西部劇)に詳しい方ならご存知かも知れませんが、
懐かしの名画と呼ばれるに相応しい「シェーン」の作品背景にあるという
「ジョンソン郡戦争」(1892)って知ってます? ワシは寡聞にして存じ上げま
せんでした。
 紀田順一郎『昭和シネマ館』(小学館)によれば、それは、ワイオミング州
ジョンソン郡で実際に起きた大事件で、牧畜業者がテキサスの退役軍人など2
2名のプロを傭兵として雇い、新参入の開拓農民多数を虐殺させた事件だそう
だ。
 アメリカ国内では「ああ、あの事件ね」と誰もが知る有名な事件だそうだ。
マイケル・チミノ天国の門』はジョンソン郡戦争を描いたもの)ジョージ
・スティーヴンスは原作をひとヒネりして黒ずくめ装束の殺し屋(ジャック・
パランス)を登場させ、シェーンに「卑しい嘘つきヤンキー野郎」と呼ばせて
いる。原作にない台詞を再々度にわたって登場させるのは、そこに映画作家
「ある事態」への本音があるのだと紀田は言う。

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  ●映画アンケート結果公表2008
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/filma08.html