1980年のサルトルと鈴木道彦

もう昨日のことだが、晩年のサルトルの「イスラエルパレスチナ問題」へのスタンスについて知りたいと思い立ち、近所にある有名な古書店に行ってみた。
こんなピンポイントの目標を定めて古本屋に飛び込むというのも、われながら無謀だが、偶然にも雑誌『現代思想』の1980年7月号、「特集=サルトル ある時代の終焉」と題された号を見つけることが出来た。
この年の四月に亡くなったサルトルを追悼する内容である。


ちなみに、この時の編集者は三浦雅士
もうこの人がやってたのか。
特集以外では、柄谷行人の連載<内省と遡行>とか、寺山修司岸田秀の対談なんてのも目を引くが、そんなことはここではどうでもよい。
肝心のサルトル特集であるが、吉本隆明内村剛介をはじめ、多彩な人たち数十人が、だいたい短い文章を寄せているなかで、冒頭には平井啓之<円環は閉じられたこと>、そして最後に鈴木道彦<或るサルトル経験>という、二つの比較的長い文章が置かれて、これがメインとなっている。
この鈴木道彦の文章が、図抜けた強度で、感銘を受けた。


そして、もうひとつ印象深いことは、鈴木のほか、日高六郎など何人かの人が、最晩年にサルトルがベニー・レヴィ(元マオ派の指導者ピエール・ヴィクトールという人らしい)と対談した「今こそ希望を・・・」という邦題の文章をめぐって書いていることであり、当時フランスや日本のサルトルを知る人たちに、この対談でのサルトルの発言が、大きな衝撃と戸惑いを与えたらしいことがうかがわれるのである。
肝心の、イスラエルをめぐる問題については、散見したところ目だった手がかりが得られそうにないのだが、この対談をめぐる鈴木や日高の文章が読めただけでも、この古雑誌を買った元はとれた、と感じられるほどである。
といっても、二百円の買い物だが。


さて、この対談の内容については、とくに日高が本文を多く引用して、割合詳しく紹介しているのだが、なにぶんぼく自身読んだことがないのと、すでにサルトルをよく知っている人たちにとってはあまりに有名な文章なのであろうから、ここであまり書いても意味がないだろうと思う。
ただ、鈴木の文章に沿って、この対談が与えた衝撃の形のようなものを、また同時にサルトルが鈴木のような人に与えた影響の大きさを、少しでも探ってみたい。


鈴木によれば、レーモン・アロンは、この対談記事に関して、当のサルトルの対談相手だったレヴィに向って、次のように言ったという。

これは一つの資料ではあるでしょう。けれども私が以前からずっと読みつづけてきたあのサルトル、私が尊敬し、かつ拒否してきたサルトルは、あの最後のテクストのなかには存在していません。言ってみればあの最後のテクストの彼は、ばかに物分りがいいのです。ふだんの彼が熱狂的で過激だったのに対して、『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』の最終テクストなら、私は楽々と一致点を見出すことができる。だからこそ、私はあれがサルトルではないと思うのです。


この発言を引いたあとで鈴木は、自分もまたアロンとは別の意味で、この対談のサルトルに注目したと書き、それはそれが晩年のサルトルを「ほとんど露骨すぎるほど素直な形で示している」と考えたからだ、と書く。
そして、たしか『越境の時』にも語られていた鈴木のフランス留学時代(50年代)の体験とサルトル受容の記憶とが重ねられ、とくに有名なファノンの著書の序文を、鈴木が暴力論という以上に「一種の(被抑圧民族=他者への)責任論として、何よりもまず倫理的に読もうとした」ことが語られる。
そしてもちろんこの受けとり方が、鈴木自身が直面することになる「在日朝鮮人=他者」の問題と深く重なり合うものであったことが書かれているのである。


途中をはしょって書くと、結局鈴木は、最晩年の対談におけるサルトルの、一見唐突な変容と見える姿勢を、その後の政治的・思想的な体験や葛藤と、「老い」の経験を通しての、サルトルの「他者感覚」の変容、言わば倫理性の意義深い展開の姿として、とはいえ決して手放しの礼賛といったことではなく、理解しようとしているようなのである。

どこから見ても大知識人でしかなかったサルトルは、その努力と老いとによって、最後にはごく平凡な他者感覚を、だがまたバスティーユに赴く一七八九年の大革命当時の群衆や、一九六八年五月の街頭にあふれた無名の大衆のモラルにも通じる他者感覚の一端を、垣間見たのであろうか。私に感慨を与えるのはそのことである。


この対談はおろか、限られたものを除けばまともにサルトルを読んだことのない僕には、この鈴木の理解について、何かを判断する資格はない。
鈴木自身の思想や行動のあり方に関しても、無論同様である。
ただ、追悼文として、とくに印象深いものであると思ったので、ここに紹介した。
文末は、次のように閉じられている。

言いかえれば、われわれは今、「五月」を一つの挿話的事件のごとくに葬り去るか否かという、きわどいところにまで立たされているような気がするのである。サルトルは「今こそ希望を・・・」と言った。しかしこれからなお生き続けて行く者にとって、「希望」という言葉は逆に容易に口に出せないものである。先日、何度目かの墓参りに赴いたモンパルナス墓地の質素なサルトルの墓の前で、私が自分の生涯を変えた彼への感謝とともに反芻していたのは、むしろ「希望」ではなくて、語ることの困難さであった。