迎撃ミサイル発射の思惑

この件の報道を見ていて、一番違和感を感じるのは、「たとえ人工衛星であっても迎撃する」という言い方がされている点である。


朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の側は、今回発射するのは人工衛星であると明言していて、新聞やテレビを見ても、おおむねかぎ括弧付きながら、「衛星」とか「人工衛星」とか書いてるようである。
この言い分を明確に否定する根拠は、ぼくが知るかぎり出ていないように思う。
とりあえず、ミサイルであるのか人工衛星か、実際には判断がつかないということであろうか。「撃つ側がこう言ってるのだから間違いない」とは、たしかに言えない種類の事柄ではあろう。


また、「ミサイルであっても衛星であっても、実質的には同じことだ」といった説も聞く。
そうかも知れない。
両者がまったく同じものとは言えないにしても、人工衛星を打ち上げる技術が軍事目的なり軍事技術の輸出なりに用いられていく、ということは十分考えられるだろう。


だがどうも報道や政治家の発言を見ていると、「たとえ人工衛星であっても迎撃する」というところに、力点が置かれている気がする。
人工衛星かミサイルか分からないから、危険である可能性があるから、迎撃する」というのではなく、人工衛星であるということをある程度前提した上で、それでも(これを国連決議違反と見なして)撃墜する、ということである。


すると、ここをぼくはよく知らないのだが、アメリカでも日本でも他の国でも、人工衛星は打ち上げている。今回朝鮮が打ち上げるものが衛星だとした場合、今回予想されるのと同様に、打ち上げのための一段目、二段目は、地上のどこかに落下しているであろう。
それがどこか別の国の、まあ自国のでもいいが、領土・領海内に落ちるという際、危険だからそれを撃墜する、という慣例があるのだろうか?
もしこれがそんなに危険なものなら、また空中で撃破するということに安全上の意味があるなら(逆にその方が危険だという説もあるようだが)、当然そういう措置がとられてきてるはずだが、そこはどうなのだろう?


なるほど、実際にはたしかに朝鮮側も国際機関に通告を出してるほどだから、危険な可能性があるということは分かるし、また実際には衛星でなくもっと物騒なものを飛ばす気かも知れないわけだから、安全上、もし落下物が落ちてきた時には領空内で迎撃しますよ、というのは、一見当然な主張である。
だが問題は、この迎撃に現実的にどんな実効性があるのか、ということである。


先に書いたような、仮に命中した場合、その方が危険が広がるかも知れないという説は、ぼくには判定しかねるので、触れないでおこう。
広く言われているのは、打ち上げた時から正確に軌道を計算できるミサイルなどならともかく、今回予想されているように、技術水準が低くてどこに飛んでくるかまるで分からないとか、(衛星であった場合に)どこでロケットが切り離されて落ち始めるのか定かでないという場合には、迎撃システムによって撃ち落すのは至難の技だろう、という見解である。
つまり、「危険を防ぐため」というが、その実効性があまり期待できないことを、そしてぼくが思うには他の国の衛星打ち上げに関しては先例がないような対処(迎撃)を、あえて宣言して試みる、と言ってるわけである。
それが、「たとえ人工衛星であっても迎撃する」という物言いの意味するところだと思うわけだ。


そうするとこれは、「国の安全を強い姿勢で守ってますよ」という、実際にはあまり中身の伴っていない国内(有権者)向けのポーズか、どこか、またいつか敵対するかも知れない周辺国に対する「いつでも、特段の理由がなくても、我々は(迎撃)ミサイルをぶっ放せるぞ」という、対外的な威嚇的メッセージかの、いずれかであろうと思われるのである。
まあ要するに、朝鮮がやってることと、あまり変らないパフォーマンスを、はるかに強大な軍事力を持つ国の政治家や自衛隊が目論んでる、ということになる。


この宣言に対して、朝鮮の方は、「迎撃すれば戦争とみなす」という風な物言いをしてるのは、いつもの、おおむね国内向けのジェスチャーの面が強いとはいえ、やはり客観的に見て、この日本の態度は朝鮮による打ち上げよりも物騒なものと、周辺国の目に映るだろうと思うのである。
だから中国が、今回の迎撃に自重を促してるのも、「板ばさみになるのが嫌」というような報道されてる理由だけでなく、このように「安全のため」という名目で、日本による高度な軍事力の行使がフリーハンドになっていくという傾向への、強い危惧を示すものだと受けとるのが、普通であろう。
これは、ソマリア沖への「安全確保のため」の艦艇派遣ともつながる動きと見られているはずだ。


要するに、他国のさまざまな思惑がどうこうという以前に、「迎撃」のためのミサイル発射ということについて、また他の事柄についても、自国の行動の政治的な思惑と、その影響こそを、批判的に見ていくべきであると思う。
日米同盟を背景とした日本の軍事力の拡大こそが、この地域の平和にとっての、やはり最も大きな不安材料なのだ。


ついでに書くと、口先ばかりの「迎撃」論に批判的であるからといって、もちろんぼくは「動揺することなく、粛々と経済制裁を進めるべき」といった意見に同調するものではない。
どんな理由があろうと、朝鮮のような民衆が貧窮している国への経済制裁など行うべきでない。
自民党よりも厳しい経済制裁案を党の方針として出していることは、ぼくが決して民主党を支持できない、決定的な理由である。