良くない発言

麻生首相:また…「株屋ってのは信用されない。何となく怪しげよ」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090322ddm002010129000c.html

 麻生太郎首相は21日、「経済危機克服のための有識者会合」で「株屋ってのは何となく信用されていない。株をやっていると言ったら、田舎じゃ何となく怪しげよ」と発言した。株式市場の活性化に向けた取り組みを話し合う場だっただけに問題視される可能性があり、民主党鳩山由紀夫幹事長は「『株屋』とさげすむ発想は断じて許されない」と批判した。

こういう失言についての報道を見てていつも感じることだけど、「こういう発言をしたからとんでもない」という批判の記事じゃなくて、「批判する人がいるかも知れない発言をした」という趣旨の記事だもんなあ。
記者自身が、この発言自体や、発言を報道するということを、どう思ってるのかということが、まったく分からない。
「こんな言葉尻をとりあげるのはたいした問題じゃない」と思うなら、そういう風に書けばいいのだが、ただ「また一つ批判のネタにされかねないような発言をした」、という事実が(批判の具体例と共に)報道されているだけである。
こういうのを「客観報道」って言うのかな?まあ、記者なり新聞社なりの主観は、たしかに除かれている。


報道に、こうした発言の問題性を精確に問うようなスタンスがあればいいのだが、それが欠けているから、「批判」という水準に届かず、たんに「揚げ足取り」という印象しか残らないのである。
きっと新聞社としても、「とりあえず話題になるかも知れないから記事にしてるけど、大したことじゃないと思うし、揚げ足取りばかりして軽薄な新聞社だと思われないように予防線を張っておきたい」といった心理があるから、こういう中途半端な記事の作り方になるのだろう。


たしかに、こんな発言は些細なもので、ことさら論ったり、「政争の具」に供することは愚かだとも思える。
麻生がこういうことをあえて言ったということ自体に、たんなる無神経さや偏見の露呈(露出)といったことだけでなく、「医者叩き」の時と同じような人気取りの計算があるのかも知れない。
だがそれにしても、こうした発言が繰り返し出てくるという事実から、今の政治の現状を信任できないという結論を導くという考え(批判)の過程は、表面的な「揚げ足取り」による「思考停止」とは、まったく異なるものでありうるはずだ。




基本的に、特定の職種の人への差別や偏見につながるようなことを発言するのは、とくに政治家なのだから、良くないことである。
また、現実問題、株や投資で儲ける人と、「物作り」で儲ける人とが、両方居ないと成立しないのが資本主義というものだろうから、一方だけに悪いイメージを押し付けるというのは、認識としても誤り、論理としてもインチキだろう。
一介のトレーダーが経団連より悪いなんて、考えたこともないよ。


そして何と言っても、「田舎では何となく(特定の人たちに)悪いイメージがある」などという物言いは、偏見を容認・助長するようなものとして、やっぱり政治家が公の場でしてはいけないことである。
こういうことをフランクに言うというところに、この人の「庶民的」とか「あけすけ」のような印象があり、人気の因となっていたのだが、やはりこれは基本的に「良くない言語」である。
人間は、そんなに良いものではないから、「良くない言語」を使うことがあるし、なるほどそれは「庶民的」「人間的」であるかも知れないが、だからと言って「良くない」ことには変りがないので、公の場でそんなことを、ましてこういう地位にある人が公言することは、たしかに批判されてしかるべきである。
ぼくは、そういう風に思う。


麻生という政治家には、この「良くない」発言を公然と行う面があるので、こういう人を政治の中心の座に据えておいてはいけない、と思うのである。
もちろん、そんな人を党首に選ぶ党も問題であるし、この党に限らず、その種の「良くない」ことの上に開き直っているような政治家は、やはり権力の中心に居てもらっては困る。


これは、野党の幹部が、「党利党略」から、麻生のこうした発言を批判する(または擁護する)といったこととは、まったく無縁な問題なのである。