「ハイファに戻って」

ハイファに戻って/太陽の男たち

ハイファに戻って/太陽の男たち


この作品集を通読して、ひとつとても印象に残ることがある。
それは、「あなた」や「君」という二人称が多用されていることである。これは、叙述そのものが二人称になっている場合もあるし、作品のなかでこうした「語りかけ」が重要な意味を持っている場合もある。
ともかく、二人称による「語りかけ」の効果が、いくつかの作品を通して印象的なのである。



たとえば、48年の「デイルヤーシン村虐殺事件」に端を発するパレスチナ人たちの(事実上の)追放、難民化の始まりという出来事を扱った、短いが美しく過酷な作品、「悲しいオレンジの実る土地」では、一人称か、主人公に焦点を絞った三人称でも成立する内容だと思われるのに、「君」という二人称で語られていくことが、やや奇妙な印象を与える。
また「戦闘の時」や「彼岸へ」といった作品では、この二人称による語りかけは、パレスチナの難民たちが置かれた状況を知らない、作中の聞き手や作品の読み手に対して、切りつけて来るような強い効果を生んでいる。
「われわれ(彼ら)の存在を知れ!」という激しいメッセージが込められているかのようである。
しかし、すべての作品を通して読むと、この「語りかけ」が誰から誰に向けられたものであるかを、単純に言うことは出来ないということに気づく。
たとえば、上のような激しいメッセージによって切りつけられているのは、作者カナファーニー自身だとも言えるのである。


要するに、これらの作品で二人称による「語りかけ」が多用されている理由は、ひとつには、書き手が、自身の描こうとしている対象に感じている「距離」のようなもの、いや正確に言うと、世界をめぐって書き手自身のなかに存在している「距離」の感覚によるものではないか、と思えるのだ。
上記以外の作品、たとえば「路傍の菓子パン」という小品でも、自らも難民的な境遇にある若い教師は、ダマスカスの難民学校の子どもたちに対して、愛情と強い自責の念をともなった「距離」の感覚を持ち続ける。
彼はそこに、どうしても同一化できないものを感じている。
これは、冒頭に収められた名高い中篇「太陽の男たち」の「ノッポ親父」と呼ばれる登場人物が、作品の最後で、自分が密入国させようとして炎天下の給水車のタンクのなかで死なせてしまった、同胞である難民たちの魂に向って、「なぜ叫び声をあげなかったんだ」と絶叫する、その絶望に、どこか通じているものであろう。


対象に、あるいは世界に、あるいはまた世界に関わる自分自身に、どうしても同一化できない部分を感じつづけるというのは、作家カナファーニーの(とりわけ階級にまつわる)出自の問題、また彼とアラビア語との関係の問題にも関係していそうだが、一般的にいえば、これは(政治に対する)「文学」の存在に関わること、といってもいいかもしれない。
だが恐らく、もっと適切な言葉がある。
それは、「倫理」という言葉である。




ところで、この作品集の最後に収められた、やはり非常に名高い中篇「ハイファに戻って」を読んでいると、「あなた」というような二人称による語りかけの使用には、もうひとつ重要な意味合いがあることに気づく。
それは、この言葉は、奪われて失われた故郷や祖国や、家や肉親といったものの比喩でもある、ということである。
「あなた」とは、奪われて失われてしまった故郷の町のことであり、大地や思い出のことでもある。
この失われた対象を、いわば想像的に回復しようとする「文学的」な営みが、この「あなた」という語には賭けられているのである。
だが、48年に決定的な開始を持つイスラエルによる占領と追放という現実の是正によらなければ、この対象が本当には(精神的な意味でも)回復されることがないという認識(無論、それ自体は正しいだろう)に立つなら、この「文学的」な営みは、想像的実現によって具体的な実行への意欲を中和してしまう、反動的な意味を持つものともいえよう。
実際、「ハイファに戻って」の明示的なメッセージは、それなのだ。
作品の筋を簡単に述べよう。


この小説によると、67年の第三次中東戦争による勝利が確定的となった直後、イスラエルは、48年にイスラエルによって郷里を追われたパレスチナ人たちに、政治的な目的をもって、一時的に郷里を訪問し、場合によっては居住することを許したことがあったらしい。
このことは、そのイスラエルの「許可」に従って故郷訪問を行えば、事実上イスラエルが行ったことと現在の政策を是認することにもなるし、すぐに中断される一時的なものでもあろう。いずれにせよ、イスラエルが自国の立場を有利にするために行ったまやかしの政策であるという反発が、パレスチナの人たちにはあったらしい。
だが、自分の気持ちに区切りをつけるためにも、一目この目で、帰れなくなった故郷の町を見たいという思いから、この期を利用して訪問を行う人たちも少なくなかったようだ。
この作品の主人公である夫婦(サイード・Sとソフィア)も、葛藤ののち、海辺の町ハイファの、彼らが住んでいた家(今は見知らぬユダヤ人の住居になっている)を訪れることを決意するのだが、それには深い事情があった。
彼らは、48年のこの町からの追放の折、当時赤ん坊だった一人息子を、やむなく家のなかに置き去りにしていたのである。


ハルドゥンと名づけられたその子ども、いまはどうしているのか、生きているのかどうかも分からない子どもに対しても、自分たちのかつての家や部屋に対しても、ハイファの町に対しても、自分自身にさえ言い表せないような感情を抱いて、夫婦は故郷の町に戻ってくる。
だがそこは、すでに奪われ失われた町であって、自分が知っていた、また想像してきたハイファではないことを、サイード・Sは、すでに直観している。

「私はこのハイファを知っている。しかしこの町は私を知らないと言うのだ。」(p193)


それでも、この町の風景と、自分たちがその土地に戻ってきたという実感は、彼らが二十年間封印してきた、あの追放の日の出来事を、暴風雨のように二人の心に到来させる。
自分自身にも語られてこなかったこと、語ることを禁じられることによって可能になっていた、日常の想像的な安定の堤が破られて、現実の波濤が、二人の全身を覆いはじめる。


二十年ぶりに訪れた我が家に住んでいたのは、ヨーロッパから来たユダヤ人の老女であった。
彼女は、48年のパレスチナ人追放の直前に、夫と共にこの地に来たのだが、ヨーロッパに居た頃、ナチスの手で幼い弟が射殺されるのを、自分の目で見ていた。父親もアウシュビッツで死んでいる。
48年の頃、そのときこの地で起きているらしい凄惨な出来事に夫は無関心だったが、彼女は、あるとき(イスラエルの)兵士たちがアラブ人らしい子どもの死体を無造作にトラックに投げ込んでいる姿を目撃して、事態の本質を直観する。
かつてサイードたちのものであった家に自分たちが住んでいることを謝りたいという彼女の言葉に、サイード・Sは戸惑いながら思う。

イードは苦い笑いを洩らした。彼は彼女にどう言ったら良いのかわからなかった。彼はそんなことのために来たのではなかった。彼は政治的な議論なぞ持ちだす気はないし、彼女を責められないのはわかっていた。
 彼女を責められないって?
 責められない、絶対に。それをどういう風に説明しようか。(p214〜215)


ここでサイード・Sとソフィアは、彼女の口から、驚くべきことを聞かされる。
あの日置き去りにした一人息子は、偶然からこのユダヤ人の夫妻に引き取られ、ユダヤ人として育てられて、名も「ドウフ」という別の名になっている、というのだ。
動転する夫婦に、今は「ドウフ」の母となっているユダヤ人の老女は言う。

しかし、私達は彼自身に選ばせるべきでしょう。彼は分別のある青年になっています。私達双方は、彼だけが選ぶ権利を持つのだということを認めるべきでしょう。(p227)


息子は、数年前に、自分が今の両親の実の子どもでないということを知らされてはいたが、ずっとユダヤ人として育てられて、いまは国軍の兵士になっている。
イード・Sは、老女のこの申し出が、結果の見えたものであることを直観するが、帰宅したこの息子との対面は、その予想通りのものとなる。
幼い自分を置き去りにしたことを責め、父親たちを「あちら側の人間だ」と呼び、今の親たち以外を、親と思ったことはないと断言する息子の姿に動揺しながらも、サイード・Sは、これまで自分たちが「ハルドゥン」(息子)や「ハイファ」という想像によって自分たちを慰めるのみで、祖国や郷里や生家が奪われているのだという現実に向き合おうとしていなかったことに、この時はっきり気づく。
この現実の回復、かつて不当に奪われ、今も、剥奪者たちによって周到に仕組まれた自分たちの無力さをよいことに、公然と奪われ続けているこの現実の奪還がなければ、本当には何ものも、自分たちの手に戻ってくることはない。
想像される故郷の思い出は、かえって、この剥奪の継続に力を貸すものだろう。


そのことに気づいたサイード・Sは、実力を持ってこの不当な現実そのものを変えていくことを決意し、ハルドゥンはすでに死んだのだ、と言いきる。
そして、自分たちがここへ来たことは、歴史に反する行為だった、と述べて、ハイファを後にするのだ。


このようにこの作品の、とりわけ後半では、難民状態とされるなかで置かれてきた無力さの状態からパレスチナの人々が脱し、想像的な回復ではなく、現実そのものの改変へと立ち上がろうとする決意のようなものが、力強く描かれている。
それは、奪われ虐げられた人々の無力さや弱さを口実にして、自分たちの収奪と支配を正当化しようとする、植民地主義者や帝国主義者(新自由主義者もか?)たちのお馴染みの詭弁への痛烈な反駁を含んでもいる。

しかし、いつになったらあなた方は、他人の弱さ、他人の過ちを自分の立場を有利にするための口実に使うことをやめるのでしょうか。(中略)しかし、あなたは物事を、それがそうあらねばならないように理解しなければなりませんよ。その人間が誰であろうと人間の犯し得る罪の中で最も大きな罪は、たとえ瞬時といえども、他人の弱さや過ちが彼等の犠牲によって自分の存在の権利を構成し、自分の間違いと自分の罪とを正当化すると考えることなのです。(p251〜252)


難民であるが故の想像的な回復と結びついた無力さの状態から、現実に向き合うことによる行動への転換。
これは、カナファーニーが辿った思想と文学と政治の、苦悩に満ちた道筋を示すものともいえるだろう。
先にも述べたように、彼は、自分が難民といってよい境遇にありながら、どこか自分を「民衆」に同一化することができなかったようである。
どこか彼には、自分自身の思想的な展開を、民衆の姿に投影して考えることで、この自分が感じている「距離」のようなものを埋めようとしているところがあるような気がする。
この「ハイファに戻って」の後半部は、たいへん力強いし、正しいとも思うのだが、それは彼の内部に存在する「距離」の全てを、ほんとうに見つめたものであると言えるだろうか?
よく分からない。




ただぼくは、自分を拒む息子にサイード・Sが述べる次の言葉の、二人称表現に注目したい。

私達は、あなたを捜し当てられるという期待を持っていたのです。たとえそれが二十年後であったとしても。しかし、そうはいきませんでした。私達はあなたを見つけられなかった。将来捜しあてられるとも思いません(p245)


この文脈だと、「あなた」とあるところは、本当は「ハルドゥン」と言った方が妥当であろう。
「あなた」は見つかってそこに居るのであり、だからこそ話しかけられているのだから。
だが、サイード・Sは、「ハルドゥンを見つけられなかった」とは言わず、目の前の息子に、「あなたを見つけられなかった」と言う。
これは、見つかるべき「あなた」が、本当はその人(息子)の中に居るはずだ、という呼びかけではないだろうか?


捜し当てて目の前にしたあなたは、たんに自分の想像と違っていただけではなく、自分の生を見失った空虚な存在に過ぎなかった。
私は、ただそこに「ハルドゥン」(自分の息子)を見出せなかったから悲しいのではない。あなた自身のなかに「あなた」を見出すことが出来なかったことが、最も悲しいのだ。
イード・Sは、こう語りかけているのではないだろうか?
だがそれは、あなたの中には、いつかこの世界がいくらかでも良く変った暁には、必ず「あなた」自身が帰還してくるはずだ。その場所としてこそ、あなたは存在しているのだという、呼びかけでもあるはずである。


この小説の筋が、以上のようなことを明示的に示しているようには思えない。
だが、作家の表面的な意図を越えて、カナファーニーの二人称「あなた」は、世界中の壁の向こう側の人間(つまりぼくたち)に、このメッセージを投げ続けているのではないかと思う。
それがつまり、人間が文を書くということの、ひとつのささやかな意味なのだろう。