「太陽の男たち」

ハイファに戻って/太陽の男たち

ハイファに戻って/太陽の男たち

過去十年の間、彼のしたことはただ待つことだけであった・・・おまえはなけなしの樹々、おまえの家、青年時代、故郷の村すべてを失ったことを認めるのに、空腹な十年もの歳月を必要としたのだ・・・この長の十年の間に人々はそれぞれ自分の道を切り拓いてきたが、おまえときたら賤しい主家の老いぼれの犬のように、ただ坐りこんで無為の日々を送ってきたのだ・・・散散待ち侘びて何があったというのか。(p14)


おそらくもっとも有名なパレスチナの作家の一人、ガッサーン・カナファーニー*1の作品「太陽の男たち」は、日本でも徐京植をはじめ多くの人によって論じられてきた。
パレスチナ難民を描いた小説といっても、この作品の舞台は占領地の町や難民キャンプではない。パレスチナをはるかに離れたイラク南部、クゥェートとの国境地帯である。
48年のイスラエルの攻撃によって故郷を追われたパレスチナの人々は、難民となり、流浪の生活を送りながら、その多く(特に男たち)は生活のため、当時すでに経済成長の道を歩み始めていたアラブの富裕国、クゥェートでの仕事を求めて決死の密入国を図っていたのである。
この小説では、48年の出来事から十年後、パレスチナからやってきたばかりの三人の密入国を目指す男たちと、48年の直後からイラクで生活してきたブローカーのようなパレスチナ人「ノッポ親父」の姿が描かれる。


冒頭に引用したのは、その密入国志願者の一人、妻子をパレスチナに置いてやってきた中年の男の独白である。
この文章から、この小説の大きなテーマのひとつ、おそろしく普遍性をもったそれがうかがえるだろう。
それは、「剥奪」ということである。


イスラエルによってもたらされた虐殺、破壊、追放、支配、そして占領といった事態は、パレスチナの人々から、人生を生きていくための自然な力、故郷の土地やコミュニティーや地域の経済圏のなかで自分や家族の人生を育んでいく力の根拠、生の自明性のようなものを瞬時に奪い去った。
このことは、より広い視点から見れば、アラブ世界のなかに、難民のパレスチナと、富裕なクゥェートという、まったく隔絶した領域が作られていくというもうひとつの暴力の進行とも、どこかで重なっているのであろう。
いずれにせよ、決して自分の意志によってでなく、他者の暴力によって、多くの人々の生命や自らの身体や財産もろとも、生の自明な根拠を一瞬に奪い取られるという出来事を、これらの人たちは経験した。
このことは、多くの人々の心のなかに巨大な空虚を作り出しただろう。
そして、この空虚が、そこから逃れるために、無謀とも思える密入国と他国での労働を行うことが「男としてあるべき生き様である」というような切迫した心情を、これらの人々のなかに生じさせるのである。
この小説で描かれている、失意に打ちひしがれたパレスチナの男たちの「無為な」姿と、狂おしい力に駆り立てられたかのような冒険的な行動とは、「剥奪」という巨大な暴力が生み出した、双子のようなものだと思う。


もちろん同時に、その背景のひとつに、これらの人々の文化がもともと育んできた価値観の、男性主義的な要素を感じとらないわけにはいかないのだが。


ところで、「剥奪」についてもうひとつ付け加えるなら、その暴力は、暴力の被害者ばかりでなく、加害者の心の中にも、また埋めがたい空虚を穿つ、ということが言える。
ちょうど昨日、「クローズアップ現代」で、米軍が使用している沖縄の土地に対して国が出している補償金の額が値上がりするのに目をつけて、これらの土地に投資して金儲けしようとする本土の人間が増えている、ということを報じていた。
番組では、この補償金に依存させるような仕組みが沖縄の側の経済的・精神的荒廃を招くということが言われていたが、同時に、こういう土地に投資して恥じないような本土の人間の内面の方が、よりひどく荒廃しているのである。
こうして、土地からもぎ離された人間の心や生活と、人間の生活から切り離された土地とが、ともに回復不能なほどに荒廃していく。
支配を受けている人たちと、その支配に加担して儲けている人たち(彼ら自身も資本の暴力に根を奪われた者といえるが)の内面が、ともに空虚に侵されていく*2
一見隔絶した二つの社会が、壁の両側で、ともに荒れ果て、そうしてシステムの支配が、より容易なものになっていく。
この構造は、もちろん日本でも働いているのだ。


小説にもどろう。
48年の戦闘で瀕死の重傷を負いながら、パレスチナから遠くはなれて生きてきた「ノッポ親父」の心理は、文学者である作家自身のそれを投影したものといえるのではないかと思う。
つまり彼は、同胞であるパレスチナの難民たちを「他者」として見ざるをえない立場にある。
作品の最後の名高い場面で、「ノッポ親父」は、「なぜお前たちは叫び声をあげなかったんだ」と絶叫するが、これは彼にとってパレスチナ難民たちが、決して同一化しえない存在であることを示しているのではないかと思う。
それは、作家個人の事情というだけでなく、「文学」というものの位置に関係することなのかもしれない。


だが、この箇所は、ぼくにはとりわけ重く、よく考えることが出来ない。
言えることは、叫び声をあげることは、当事者にとって、もっとも困難なことである場合があるだろう、ということだけである(無論、作家はそのことを分かっている。)。

*1:PFLPのスポークスマンでもあったが、36歳のとき、自動車に仕掛けられた爆弾により暗殺された。

*2:この両者は、同列に語れるものではないが。