パレスチナ関連・TBとブクマから

1月4日の記事に寄せられた、TBとブクマコメントから。

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090104/p2


まず、TBされた記事の方。
http://d.hatena.ne.jp/free_jamal/20090104/p1


終わりの方で言及があって、こう書かれていた。

象徴的なハマス支持派ブログです。


あらためて言う必要もないと思うが、ぼくは別にハマスならハマスという、特定の勢力を支持しているわけではなく、特定の勢力を名指しして無条件に迫害・殺傷してもよいとするような言論や思考(イスラエルは、それを実践している)を、一般的に非難しているのである。
仮にハマスが同じ言論や思考を持つのなら、同様にそれを非難するだろう。
しかし、現在起きていることの要点は、イスラエルハマスとの圧倒的な力の非対称性に関わっている。イスラエルがどのような言説と論理を用いているかということが、いまもっとも重要なのだ。
そして、こうした暴力的な状況を作り出した大元の責任がどこに、誰にあるのかということこそ問われるべきことだと思う。この大元の責任(イスラエルや国際社会による不正義)を回避する目的で、ハマスという組織をめぐる「非人間化」の言説や行為(虐殺)の正当化が行われるとしたら、(たとえハマスがどんな組織であろうと)それを絶対に許すわけにはいかない。
いま、イスラエルや世界のマスコミが行っているのは、そういう不正なのだ。
それで、

が、ハマスファタハは民衆的に選ばれたのではなく戦争と圧制のもとで、金と武器のお陰で力を持っているだけである。手ぶらの一般人にどうやってこれらの組織と向き合い論争しろうって言うのです。非常状態の今のパレスチナをどうやって民主的と評価出来るのか。


これもおかしい。
選挙で選ばれたハマスの統治は、少なくともイスラエルによる占領と支配よりは民主的だ。
非常事態だからこそ、民主主義は限定的なものになっているのだろう。では、その非常事態を作り出してる大元は誰か、ということだ。
ガザの多くの人たちは、ハマスが民主的な組織などではないことは百も承知の上で、イスラエル(やファタハ)による最悪の支配から脱するために、その希望をこめて、ハマスに投票したのではないのか?
その希望や意思を踏みにじってきたのは誰なのだ?イスラエルと「国際社会」じゃないか。




続いて、ブクマコメントから。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090104/p2

ハマスにそういうまともに対話するチャネルが存在するのか否かが問題で、それがあればそもそもここまで悲惨な状態にならなかったのでは?


あのエントリーでは、ハマスが言わば聞く耳を持ってるかどうかということではなく、呼びかけや対話の相手としてはじめからハマス(かりにも選挙で選ばれた勢力である)を排除していることが、遂行的な効果を持つ、ということを指摘したわけである。
そして、くり返すが、何より大事なことは、「悲惨な状態」を作り出した大元の原因は、誰にあるのか、ということだ。


考えるべきことは、パレスチナ難民の発生に関しても、ガザやヨルダン川西岸の占領に関しても、そしてそれら占領地への弾圧と入植、「壁」の建設、またガザへの経済封鎖といった事柄においても、支配者であり強者であるイスラエルによる暴力と不正義が、この地域において延々と積み重ねられてきた、ということである。
あらためて確認しておくと、これはひとりイスラエルのみの罪ではなく、われわれ国際社会全てに責任のある事柄だが、いずれにせよパレスチナの人々がその犠牲者であり続けてきたことに変りはない。
ハマスに対する一定の支持も、イスラエルの支配に対するさまざまな抵抗の形態も、この暴力と不正義の重圧によって、それに抗して、生じてきたものだといえる。
この歴史的な事実(非対称性)を消し去って、「どちらもどちら」というようなところから思考を始めることは欺瞞だ。
まして、ここにあるのは、独立国同士の関係ではなく、占領者と被占領者の関係である。
植民者と植民される側と言ってもよい。
また力の非対称は、双方の被害者の数を単純に比較しても歴然としているだろう。


そして、次のような意見があった。

ハマスイスラエルの存在を認めず大パレスチナを目標に毎日イスラエルへ向けてロケット攻撃をしてた。一方イスラエルも拡張政策を続けていた。だから衝突は必然。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/399


ほとんど何も言ってないに等しい言明だと思うが、言及したいのは、紹介されている(原文は)英エコノミスト紙の論説についてである。
この記事を紹介していただいたことは有り難いのだが、ぼくは基本的に、以下の最後のセンテンスにしか同意することが出来ない。

ハマスが消え去ることがない以上、ハマスの考え方を変える方法を見つけなければならない。爆弾だけでは絶対にそれを成し遂げることはできない。


この記事においても、根本的にどのような不正義と暴力の巨大さが、この状況の根底にあるのかという、(上に述べたような)歴史的な事実性が無視されている。
というより、あえてそこを捨象したところから、もっともらしい情勢分析が始められている(さすがは、帝国主義の本家である。それとも、それだけイスラエル寄りの資本に気を使わなくてはならない、ということか。)。


「爆弾だけで」状況や人々の考えを変えることが出来ないのは、この歴史的な事実があるからだ。
イスラエルの建国にはじまる、この根本的な不正義を正すことに、イスラエルの人たち自身が向き合わない限り、この怒りや対立や不信は決して消え去らず、真の和解も平和も訪れないだろう。
そして、それに向き合うことを困難にさせているのは、英米などわれわれの国際社会だともいえる。


結局のところ、上に書いたような「不正義の歴史」にまでさかのぼってパレスチナの問題を考えることは、イスラエルにとってばかりでなく、欧米にとっても日本のような国にとっても、自分たちの歴史と現在を批判的に振り返ることを余儀なくさせるものであろう(早い話、欧米のジャーナリストは、仕事を失う危険があるのかも知れない。)。
「先進国」の政府やマスコミが、この問題についておおむね熱意を欠いているのは、また多くの人々が、そこまで原因を遡及して考えることを忌避しがちなのは、その理由によるのだろう。
しかしそこに踏み込まない限り、パレスチナ問題の本当の解決の道は見えず、いつまでも理不尽な血が流され続け、われわれの社会が人間らしさを回復する糸口も、きっと失われたままであろうと思う。