例の馬鹿な発言について

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090105-00000018-maip-soci

坂本哲志総務政務官は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するために東京・日比谷公園に開設されていた「年越し派遣村」に触れ、「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べた。そのうえで「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と続けた。


この件については、発言の前半部は国会でも問題とされ、本人も撤回謝罪して事を済ませようとしているようであるが、後半部の発言については、あまり問題にされてないように思う。
その点に言及しておきたい。


まず前半部の「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」という発言だが、これはもちろんありえない発言である。
これに類した一般の人からのネット上での発言等(こういう風潮を知ってるから、この政治家も堂々と述べたのかも知れん。)については、現場を知る人からの反論が以下のように出されているから、多くは述べない。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20090105/p1
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20090107/p1


付け加えておきたいことは、「まじめに働こうとしている」か「していない」かなどは、印象論でしかありえないことで、そんな漠然とした感想に基づいて、こうした生死にも関わるような事柄についての発言を、政治家が公の席で行うということは、まったくひどい。
突然の首切りで、職も住む場所も失った人の多くは、災害にあった場合と同じで、それこそショック状態であろう。
人によってその度合いは違うだろうが、なかには生きるために職を探すという最低限の気力や考えが生まれない状態に陥っている人も、きっとあるだろう。
その人たちに、食べ物や法的援助だけでなく、とりあえず安心できる場所を提供して、職探しに向かうため(ということは、生きるため)の気力を取り戻してもらうという意図も、「派遣村」にはあったはずである。
プログラムのなかに、「相談」などに混じって「レクリエーション」が組まれているのも、きっとそういう意図があるんだと思う。


今回のような非常事態において、食料や寝床や職の紹介はもとより、そのような安心できる「場」を提供することこそ、本来は政治家と行政の仕事なのである。
だいたい、政治や行政の仕事は何かといえば、「まじめに働こうとしている」かどうかを斟酌するなどという曖昧なことをする暇があったら、現実に職も住む場所も金もなくて生命の危機に瀕してるような人たちを無条件に救済することのはずだ。
「働く気がない人にまで支援してる余裕はない」とでも言うのなら、せめて「働く気がある」人たちのための就労支援や生活支援をしっかりやったらどうだ。
そうした職務をまったく果たさなかったくせに、困窮している人たちの心情を考えることもせず、印象だけで軽々に物を言う。まったくひどいとしか言いようがない。



だが、この発言の真意は、きっと別のところにあるのであろう。
それが、後半部分に現れている。
「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」というのは、結局有象無象が集まり、失業者を扇動して新手の左翼運動を起こしかけてるから気をつけろ、と言いたいのであろう。
そもそもこの発言が、総務省の仕事始め式の挨拶のなかで行われたということは、きっとそういう文脈のなかの例え話として出た発言、ということであろう。


だが考えてもみよ。
今回の動きの中心になった湯浅誠さんたち「反貧困」ネットワークの運動などがなければ、今回の大量首切りが社会問題としてこれだけ注目され、「派遣村」のような取り組みが実現してマスコミで大々的に報じられ、行政さえ動かすという事態になったかどうか。
端的に言って、「講堂を開けろ」と迫らなければ、厚労省はその場所を開放せず、多くの人たちは寒空で寝具もなく野宿することになってたはずだ。
現実に、これほど大きな社会的・政治的注目を集めているとはいえない(それは、まったく不当なことだ)釜ヶ崎の日雇い労働者たちは、この寒空に仕事も得られず、野宿同然の場所で眠っているではないか。
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays14.htm

http://d.hatena.ne.jp/ettou08/20090106/1231241275


行政にだけ任せていたらどうなるかというのが、この実態なのだ。
声をあげなければ、そしてそれがよほど大きな注目を集められなければ、この国では困窮者の生命さえ保障されないのである。


人は、そうしなければ生きていけないような社会だから、力を合わせ、声をあげるのだ。
愚かな政治家や、警察等官僚は、「運動の拡大」を心配するのだろうが、政治と行政がまともな仕事をしていれば、そんな心配はそもそも要らないのだ。
人が生きるために最低限の保障を行い、雇用政策を行うということが、最大の公安対策である。


もっともそうしたのでは、警察や公安の仕事がなくなるか。