行政の仕事は「金の損得ではない」という知事

これ、きのうの毎日の記事だけど。


http://mainichi.jp/area/osaka/news/20080409ddlk27010546000c.html

会見では「効果の裏づけ、予測がなかった」と厳しい見方を示す一方で、「撤退の時期はいくつかあったが、行政の場合、事業の効果は金の損得だけではないので難しい。単純に撤退というわけにはいかない」と話した。


行政が関与する事業の効果は、「金の損得だけではない」から、撤退は難しいそうである。


先日、ぼくはこう書いたところだ。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080404/p1

とくに大規模開発などの度重なる失敗によって財政への負担が増したことが、(府にしても市にしても)現在の苦境の大きな原因で、ここをちゃんと見直さないで、公共施設や人件費の削減ばかりを言うのは、ちょっとおかしいというか、根本的な部分が変わらない結果になると思う。


橋下知事が、行政のこういう体質をほんとうに変えていけるかどうかが、もっとも注目するべき点かもしれない。


こうした大規模開発のようなことを繰り返すことによって赤字を膨らませてきた府の行政の体質を変えることが根本なのに、役人や企業・業者・政治家の反対が強そうなところには踏み込まない。
改革すべき基本的なところには決して踏み込まず、その言い訳として「(行政の仕事は)金の損得だけではない」から、という。この人の、そういう時の言い訳(口実)は、まことに巧みである。


一方で、ドーンセンターや府立労働センターのような、利権が絡みそうもないような公的支援事業についてだけ、「金の損得」を理由に廃止・削減を推進しようとする。
力や富をすでに持っている人の権益を保持し、そうでない人たちの生存や生活・権利を公的に保障する部分は切り捨て、力を弱めようとする。
橋下府政の大枠の方向は、こうしたところにあるようである。


先ごろ、こういうことをとりあげた。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080308/p1

たとえば、先日知事が「ピース大阪」を視察したとき、「年収一千万の府職員と、年収150万の非常勤職員の格差」が明るみに出て、知事は府職員の給料の高さだけを問題にしていたが、もっと問題なのは「年収150万」しかない非常勤職員が、「公共の仕事」の名のもとに雇用されているということであり、そのことと閑職の府職員の特権的待遇とがセットになっているという、行政の構造こそが問題なのである。


知事は年収の高い府職員の給与を問題にして、多くの府民喝采を得たが、「年収150万の非常勤職員」のために何をするのだろうか?
現実には、府の行政(関連自治体も同様だろう)や、そこに人材を派遣している民間企業では、予算の大幅な削減を見越して仕事が減らされ、非常勤職員の人たちは職を失っていってるのである。
橋下知事への人々の支持が行き着く先は、少数の公務員に対する減給や圧力を疑似餌のようにして、力や富を持つ層の権益だけが強化される一方、低所得の人がますます苦しくなって「格差」が拡大し、貧しい困窮した人たちは公的な支援もストップされて、異議を叫ぶ力も奪われていく、という現実だ。
「格差」に不満を持つ人々の橋下府政への支持は、自らのより早く、より無残な死をもたらすものだ。


プラトンは、僭主(独裁)制に対する、「自由」な民衆の支持の行く末について、次のように書いている。

「ゼウスに誓って」と彼は言った、「そのときこそ民衆は、やっと思い知らされることでしょう、――自分がどのような身でありながら、どのような生きものを産み出し、かわいがって大きくしたかということを。そして追い出そうとしても、いまや相手の力のほうが自分よりも強いということを」(『国家』下 p237)


国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

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