先日の記事へのブクマコメントから

あまりにも典型的な意見だと思ったので、言及させてもらう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090101/p1

ハマスがテロを繰り返し国際条約を破りまくったのはスルーですか。 ハマスがテロを停止させていれば今回の攻撃は無かった。自業自得ですね。 ハマスが滅びれば、パレスチナもようやく平和になります。


だから、イスラエルによる巨大な暴力や不正義の積み重ねと、それに対する(われわれの)国際社会による黙認という、やはり巨大な暴力と不正義の積み重ねが、そういうハマスの行動が行われ一定の支持を得てしまう原因を作ってきたということを、書いたわけですよ。
そちらの巨大な暴力と不正義の構造を非難しないで、圧迫されてきた側の、相対的に小規模な反抗的暴力や違法行為だけを断罪するのは、暴力や不正義そのものを憎んでいない欺瞞に過ぎない、ということを言ってる。


それから、「国際条約」といい「国際社会」(もしくは国連)といっても、それらが実際にパレスチナの人たちの生命や生活、尊厳を守ってこれなかったという事実を、「国際条約」で守られてる側に居るわれわれは認めて、恥じるべきだ。


パレスチナの人たちに対して、今も行使されてる暴力というのは、イスラエル軍の砲弾だけではないし、各国の政治家の黙認的な姿勢だけではない。
ハマスが滅びれば」というような虚無的な言明、パレスチナの現実に対するそういう冷やかな態度こそが、日々パレスチナの人たちを苦境に追い込んでるんだよ。


このコメントをした人も、本心から、ハマスが存在しなくなれば中東も平和になる、なんて思ってるわけではないだろう。そういう意味で「平和」という言葉を使うなら、それは最終的には抑圧される側の人たちの(生命もしくは人間性の)「死滅」によってしか実現しないはずである。
つまり、こういう物言いの根底にあるのは、そういう「死滅」に対する願望のようなものなのだ。自分のなかにあるその願望を、パレスチナの人たちという、他人の境遇に投影してるのである。
暴力というのは、たいていそういう構造を持っていると思う。



付記・書き終わってから見たら、PledgeCrewさんが、反論のコメントをもう付けておられましたが、ぼくも自分なりに書いときました。