虐殺の論理

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090103-00000029-mai-pol

麻生太郎首相は3日、パレスチナ自治政府アッバス議長と約15分間、電話で協議し、イスラエルとの停戦に向けて努力するよう求めた。また、イスラエル軍空爆で被害を受けたガザ地区の救済のため総額1000万ドル(約9億円)規模の人道支援を行う考えを表明。このうち300万ドルを早急に実施する意向を伝えた。麻生首相は議長に「これまでの和平努力を高く評価しており、引き続き最大限支援する考えだ」と強調。議長は支援への謝意とともに、国連などを通じ即時停戦を呼びかける考えを示した。


パレスチナ自治政府アッバス議長」って、今起きてることの紛争当事者はイスラエルハマスだろう。
なんでハマスに対して呼びかけないの?
パレスチナの人たちがアッバス議長たちファタハのやり方を、自分たちの意思を代表するものとして認めてこなかったからこそ、ハマスが選挙で選ばれ、現在のような状況になってるわけだ。
この状態でアッバス議長だけを「パレスチナの代表」と認めるということは、イスラエル(と、それに同調するファタハ)の考え方への支持を明確にして、ハマスの存在(と、それを支持してきたガザの人たちの意思)を、問題解決の枠組みのなかからまったく消去してしまうことを意味するんじゃないの?
それは、「殺されても仕方のない者たち」を作り出すということであり、それこそが虐殺の論理、今回のような破滅的な事態を引き寄せ、追認してる力学なんだよ。
なんで、こんなあからさまな政治的暴力を「和平への働きかけ」みたいな顔をして行えるのか、分からん。


ハマスといっても、もちろんなかには組織至上主義みたいな硬直した幹部も居るだろうけど、少人数の集団のなかのリーダー級の人も含めて、大半の武装メンバーは、占領や弾圧・攻撃という状況さえなければ、きっとごく普通の若者であり、ただし家族や友人を殺され、抵抗のための暴力を選択せざるをえない隘路に追い込まれたような若者たちだよ。
身内を殺された普通の人間が、武装組織のメンバーにならざるを得ない状況、それが占領の暴力性というものなのだ。
その人たちを、普段から「暗殺」の名の下に戦闘ヘリから攻撃して殺すことを正当化したり、今回のように軍事力で市民もろとも殺戮することが当たり前の存在と考えられるということ自体、人間というもののあり方を、不当な支配を行ってる側に都合のいいように縮減して定めてしまおうとしてることだ。


人間が人間であるために、あまりにも圧倒的な暴力の支配に対しては、武力による抵抗を選ぶしかない場合が、それを選ぶことを他人が非難するわけには行かない場合がある。
どうしても非難するのであれば、この人たちに降りかかっている圧倒的な暴力の側を(少なくとも)同時に告発するべきだろう。


ハマスが現実にガザの人たちから、民主的な選挙で選ばれた代表であるという現実を認めるところからしか、平和的な解決への道は開かれないはずだ。
現実を、また虐げられた民衆の意思を、支配者の側が認めなかったことから、この事態ははじまっているのだ。


ハマスの手法については、パレスチナを支援する人たちの間にも色々な考え方があることを知ってるから、こういうことにあまり触れたくないけど、このことはどうしても言っておきたい。
今回のような虐殺的な暴力が、容易に引き起こされてしまう根が、ここにあると思うからだ。