強者に助けさせよ

最近、何度も書いてることだが、今年の総括的な意味からも、あらためて書いておきたい。


金融危機以来日本国内でも不況となり、非正規雇用の人など多くの失業者が出るという事態の衝撃の大きさのために、それ以前の好況期の状況がはらんでいた問題性が忘れられ、その点への批判と根本的な見直しが行われないまま、表面上の社会の(互助的な)改善のようなものが進められていく可能性がある。
この現状で「景気回復」しか言わない人は、次のようなことを無視するか、隠そうとしている。
つまり、不況が到来する前の日本は、経済成長や景気の良さと引き換えに貧困の増大と固定化・世代継承が生み出されるようなシステムであったこと、企業や富裕層にのみ成長による利益が集中して、貧困層や高齢者・障害者・外国人労働者・病人などにしわ寄せが集中し、弱者が切り捨てられる社会が形成されてきているのだという事実である。
このような過ちを続けて、不況下でただちに路頭に迷う人が大量にでるような異常な状況をもたらした当の本人である、改革派の政治家・官僚・学者やグローバル企業などが、自らの態度を自己批判・変革することなく、当事者や少数の支援者が必死で行っている「助け合い」を(報道によって)賛美することで急場をしのぎ、あらたな搾取による利潤獲得の道を開こうとしているのは、醜悪だ。


貧窮している者同士の「助け合い」は、賛美の対象などではなく、生きるためにやむをえず行われる行為であり、生のための「抵抗」なのだ。むしろその行為自体が、この状況を作り出した者たちと、なすべきことをなさずに黙視しているわれわれを非難していることを知るべきである。
いま本当になされるべきことは、むしろ、助けられる力を持つ者(強者)に助けさせること、助けるための財力を持っている者に支払わせることだ。そのような社会を実現すること以外に、この悲惨と不正義に終止符を打つ方法は、絶対にない。
たぶん、景気回復の主張と、社会の互助的な共同性を回復しようとする主張とは、これまでの経済システムの大幅な変更をなしで済ませようという目的において、共犯的な関係にあるのである。


前回、企業(資本)に利益が集中してきたというこれまでの事情への批判がなおざりにされるべきではないと書いたのは、以上のような理由からである。
はっきり言うが、これまでの経済と社会のあり方を反省し、責任を明確にし、根本的に変える努力を行うことがないままに行われる「景気の回復」や「成長」は、虚妄であるばかりでなく、貧困と非人間性の増大とをもたらすだけである。
この事実の確認を、常に、何度でも行う必要がある。



付記:近年の日本(と世界)の経済成長・好況の実態については、最近読んだこの本(出版は2007年)に詳しい。
やや専門的だが、広範な知見と、詳細なデータによる愚直なほど実証的な説明が行われていて、圧倒される。

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか

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