組織と暴力

去年の暮れに出た「現代思想」臨時増刊号「戦後民衆精神史」所収の道場親信「下丸子文化集団とその時代」。

現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史

現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史


「東京南部」と呼ばれた地域における、1950年代、いわゆる共産党の「六全協」以前に活力をもって展開された文化サークル運動の歴史を、膨大な資料をもとに検証し、党派の論理に包摂されない自生的・横断的な「運動=文学(文化)」とも呼べるものの可能性がそこにあったことを見出そうとしている。
非常に重要な論文だと思うが、やはり疑問に思うところがある。


それは一口で言うと、党派(組織)的なものと、(たとえば地域の)自生的な運動とが、すっきり分けて考えられている、ということである。
そして、後者の可能性が、前者を打ち破るものとしてとらえられる。

この時代の「書く」行為の噴出は、一方でコミュニストの文化方針が支援し資源を集中していたことが大きいとは言えるが、他方その枠には収まらないエネルギーの噴出があった。(p90)


しかし、そのエネルギー(力)は、どこから来たのだろうか?
ぼくの考えは、それはコミュニティの外部から、党という「組織」が持つ力として到来したのではないか、ということである(「最初の一撃」)。そこに「組織」の力が暴力的に行使されることによって、それをはみ出すような横断的なエネルギーが、はじめて現実化したのではなかったか?
とすれば、この横断的・自生的なエネルギーの根底には、「組織」が持つ暴力性が刻印されているはずである。コミュニティ(自生的な運動集団)が、その事実を(「党」という外部性に暴力を一身に背負わせて排除することで)隠蔽するとき、この集団は自らの力の根源を否定(抑圧)していることになる。
50年代のサークル運動が、その後高度成長のなかで衰退していかざるをえなかったのは、自らの根底にある「組織」の力と向き合うことを(議会主義への拒絶と共に)放棄してしまったからではないだろうか?
いわば自生的な左翼運動が、「六全協」への異議と共に「組織」の力を見捨てた(否認した)とき、保守化への道は開かれたのだと思う。