李仁夏さんの追悼記事について

この毎日新聞の記事は、すごくいい記事だと思うが、少し付け足したいことがある。


悼む:在日1世の牧師、李仁夏さん=6月30日死去・83歳http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080730ddm012070058000c.html


小見出しに「韓・日・在日をつなぐ」とある。
これは、文中に出てくる韓国の池明観さんの言葉からとった表現だろう。
池明観さんは、韓日の市民運動の連帯に努力してこられた立場からも、ともすれば双方の国のマジョリティ市民同士の連帯だけが志向され、歴史的にも重要な「在日」の人たちの存在が忘れられがちだったという自戒もこめて、そのことに気づかせてくれた故人の存在の大きさを、こういう表現で述べられたのだろう。
それはまったく妥当だと思うが、日本の新聞がこの言葉をそのまま見出しに使うと、少し意味合いが変ってしまう。
それは、朝鮮半島に住む人たちに関して、一方の側(韓国政府)が定義する主張の枠内でしか、故人が想像力を及ぼさなかったかのような印象を与えるからである。
事実は、いかなる政治的な立場にも偏ることなく、日本と朝鮮半島に住む多くの人々のために尽力された方で、それゆえに日本国内では、特に「南北」いずれの側を問わず在日の人たちから、幅広い尊敬と信頼を集められた方であったと思う。


とくに明記しておきたいのは、90年代の後半から大きな問題となった朝鮮民主主義人民共和国での食糧危機に対する人道援助に関して、個人が尽力されたことである。
この問題は、政治的な事情から、民団の側が援助に熱心でなかったのはもちろんだが、総連の側も組織・団体としては決して積極的ではなかった。
個々の在日朝鮮人の人たちは、その国籍に関わらず、またどの団体に関わっているか、関わっていないかということに関わらず、親戚が現実に朝鮮に在住していたりする場合があるわけだから、多くの人が飢餓や貧窮の報道には心を痛めていた。しかし、団体や組織の方針、また本国政府の方針というものも影響して、在日社会のなかでも、この人道援助の動きはなかなか表面化しにくかったのである。
そういうなかで、李仁夏さんは、宗教人として、また在日社会全体、日本人の社会からも尊敬と信頼を集める長老的な存在として、この問題に取り組まれ尽力された。
このことの意義は、(われわれにとっても)とても大きい。


その政治的な立場については詳しく知らないが、李仁夏さんは、(少なくとも)日本列島と朝鮮半島に住む全ての人たちの存在を、ひとしく念頭に置いて活動を続けられた方であったと思う。
そのことによって、(とりわけ「在日」の)人々の幅広い信頼と尊敬を受けた。
その思想と活動は、「韓・日・在日」という言葉が(日本において)示唆する範囲よりも広い、ないしはその政治的な境界を乗り越える人間的な大きさと深さを持ったものであったと思う。
このことは、特に強調しておく必要があると思ったので、ここに書いた。