くどいようだが、『越境の時』批判のまとめ

t-hirosakaさんが、ベジタリアンについて書いたこちらのエントリーに触れて、ご自分の食生活のことを書いておられた。なにかコメントを入れようとおもったが、自分が食いしん坊だということもあり、書いてあることがあまりにも気の毒で、何も書きこめなかった。


さて、『越境の時』に書かれた著者鈴木道彦氏の、在日朝鮮人に関わる問題へのとり組みのあり方について、ぼくが不満をもつ点を、あらためてまとめてみる。


鈴木氏の問題の提示の仕方が、われわれ読者に無視できないショックをあたえるのは、在日朝鮮人という他者の眼差しのもとで自分をとらえようとしたことからくる、不安定さの感じのためだとおもう。現実の政治構造が作りだす、圧倒的な力の不均衡、非対称性のなかで、自分はどのように他人から見えているのか、他人にとってどんな存在なのか。安定した自己像を突き崩すようにあらわれてくる他者の存在への意識と、そこから生じる自分の存在の権力性への自覚が、本書に描かれた鈴木氏の政治的な行動の原点になっていたはずだ。
他者の存在を意識することによって、むき出しにされた自分の存在の権力性への自覚、そこから自由でありたいという意志、そうしたものが鈴木氏の思考と行動の、もっとも核心的な意味であり、時代状況からくる多くの限界をもっていたとはいえ、その真摯さが、われわれの心をうち、「不安定に」させるのである。
だが、じつはこの鈴木氏の他者との出会いの体験そのものに、大きな疑問を感じるところがあるのである。


この事柄への著者の本格的なとり組みの「原点」といえるのは、小松川事件の被告李珍宇の手記を読んだときの、次のように語られる思いであった、という。
現在、ニュースで伝えられるイラクなどでの甚大な犠牲者の数を目にしても、われわれにはそれが「まるで他人事のように」しか感じられないということと比較して、その手記を読んだときの衝撃を、氏は次のように書く。

それに対して、こうした惨劇のなかで傷つく具体的な存在を我が身のように感じたときには、人は必ず強い感情がわき上がるのを覚えるだろう。(中略)大状況をどれほど説明されても実感として捉えられない事実が、少年の証言に対する共感を通じて浮かび上がったとでも言えようか。この共感はきわめて重要な拠り所であって、おそらく文学が究極的に目指すものの一つは、そこにあるのだろう。(p66〜67)


これはしかし、いろいろな疑問を生じさせる言葉である。
第一に、小松川事件において「惨劇のなかで傷つく具体的な存在」は、李珍宇である以前に被害者の女性二人であったことはたしかだ。
もちろん、この事件の背景のひとつに「在日朝鮮人に対する差別」という要素を見出すことは間違いではないだろうから、氏が、共感の対象として李珍宇の苦悩を選んだということは、非難されるべきことではない。現実の社会ではそういう人が極端に少ないと考えられるから、誰かがそれに深くコミットすることは必要であり、その糸口として過度と思えるほどの「共感」があることも大事であろう。
しかし同時に、対象の選択が恣意的であるということは確かだと思う。つまり、共感する側がその願望などに沿うように「共感したい相手」を選んでいるのであり、共感には、こうした要素が常につきまとう危険があるということに自覚的であるべきだ。
第二に、氏がこの手記を読んだとき、李珍宇はすでに処刑されて故人であり、氏は文面を通じて李に「出会って」いるというにすぎない。そのこと自体が悪いというのではないが、すでに述べたように、これはいくらでも「思い入れ」ができるということ、氏の「共感」を裏切るような他者は決してあらわれない、ということを意味する。そのことを自覚する必要がある。
そして第三に、氏が「在日朝鮮人」の苦悩ということを考えるに当たって、李珍宇という人を、なぜ特権的な対象として選んだのか?本書を読む限りでは、李珍宇の文学好きで思想家肌の傾向が、「共感」の大きな理由になったと思われる。つまり、ここでも「対象選び」に氏の非常に強い恣意が働いていると思える。ここも、疑問を感じるところである。


以上三点を総じて、鈴木氏が在日朝鮮人という他者に出会ったという、その出会いの質が、ほんとうに自己の「外側」におけるものであったといえるか、疑問が残るのである。
ここから、さらに考えてみる。


引用を繰り返さないが、本書を読んでいて感じられるのは、著者が「日本人であること」や「民族責任」ということに、過度にこだわっているように見えるということである。
つまり、そうした事柄への鈴木氏自身の関心が先にあって、その関心や願望に見合うように「共感の対象」が選択され、想像されている、そういうふうに見える。
あるいは、そこで見出されている「他者」の像は、想像する側の願望が投射されたものに過ぎない。
そこでは、上に引用した言葉に反して、目の前に置かれるべき他者の具体性が消えている。
そのことを、これまでのエントリーでも批判した。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070616/p1


では具体的には、想像する鈴木氏の側にあった関心や願望の本質はどんなものかというと、ナショナルな(日本人、民族)、およびヒロイックな(抵抗の英雄的主体)、同一性の回復、自己(主体)の復権と確立ということだろう。
目の前にあるべき他者、鈴木氏になにかを問いかけ、鈴木氏の自己同一性を揺るがして政治的行動や思考に差し向ける存在であったはずの「他者」の存在は、ここでは想像し共感する側(鈴木氏自身)の「主体」獲得のための手段になってしまっている。
他者は、鈴木氏が願望する理想の自己像を確立し、維持するための道具でしかなくなっている、といってもよい。
「他者に呼びかけられた」という体験が、呼びかけられたことによって生じた不安定さのなかに留まるのでなく、呼びかけを契機として理想の自己像が獲得される、もしくは自己像の獲得という目的によって「他者との出会い」という体験の具体性が盗みとられる、あるいは僭称される、そういう構造になっている。その構造のなかで、たとえば金嬉老という「他者」の排斥という事柄、そして運動からの撤退(鈴木道彦)や「変身」(佐藤勝巳)という経路が生じてくる。
結局、「想像する側」の主体性の純粋さ、自己同一性だけが守り抜かれ、「想像された側」は「裏切った者」、「不純なもの」、「主体性を欠いたもの」、「理解不能な存在」、要するに「よそ者」の位置へと差し戻される(送還される)ことになる。
これが、起きたことの全てである。


そしてこの構図は、鈴木氏や佐藤氏に代表される「60年代の運動」だけのものであろうか。
「主体」や「民族」といった用語を使わなくなったとはいえ、自己同一性を無傷に保つために、都合よく「他者」への共感を語り、あるいは自分たちの想像の枠が脅かされそうになると、一転してその「非主体性」や「非統合性」や「不正義」をなじり、「理解不能なもの」や「敵」として外部に括りだす、そのメカニズムは、現在まで日本の「運動」のなかにも「社会」一般にも引き継がれているのではないか。
鈴木氏や佐藤氏の限界を克服したといえる地点に、まだわれわれは達していないと思うのである。