私たちによる解放を待っている者

エジプトの情勢をめぐるこれまでのニュースのなかで、もっとも不快な印象を受けたもののひとつは、イギリスのブレア元首相が、『エジプトの変革と民主主義には賛成だが、われわれがマネージする必要があるだろう』と言った、というものだ。


まったく、アメリカやイギリスが自分たちの権益確保のために余計な手出し、口出しをしなければ、そして暴力的な仕方で成立したイスラエルという国を暴力的なままに維持し続けるためにムバラク政権のようなものを支え続けなければ、中東の政治はもっと早く民衆が自ら決めるものになっていただろう。また、現在反米を標榜する国も、もっと民主的な仕方でそれを行うことができただろう。
「変革と民主主義」が実現できないそもそもの原因を自分たちが作ってきたのに、民衆がその間接的な支配から脱してやっと自立と解放を実現しそうになると、支配力を維持し続けるために、「われわれがマネージする必要」なるものを臆面も無く口にする。
こうした態度は、アメリカのそれほど露骨ではないようにも見えるが、それとはまた若干質の違った、パターナリズムとオリエント蔑視、そして民衆蔑視が結びついた、植民地帝国の精神の残滓を感じさせて、まったく不愉快である。


思い出されるのは、かつて香港返還の式典に出席したチャールズ皇太子が、中国政府による人権抑圧に関してだろうが、「われわれはこれからも見守っている」という発言をしたことである。
中国の人権抑圧ということが、国際社会の大きな懸案であること、香港の人たちにとってそれが切実な問題であることは、今も昔も変わらないから、この発言はそれだけ見れば不当なものには映らないかもしれない。
だが、あの時のスピーチの全文を思い出してもらえば分かるが、そこには自分たちの支配地(海外領土)である香港を手放して中国に「引き渡し・譲り渡し」(この認識が、そもそもおかしいのだが、チャールズはこの表現を用いているというhttp://blog.livedoor.jp/mountainman/archives/6210120.html#)たくないという国家的な我執のようなものが溢れており、その最後に、いわば人権問題にかこつける形で、上の「捨て台詞」が吐かれたのだった。
自分たち(イギリス)が、かつて香港を含む中国の全体を(のみならず、東洋など世界中を)植民地支配の暴力によって蹂躙し、その後の混乱と政治的矛盾のそもそもの大きな原因を作ったことへの反省、また香港を百年近い間「租借地」という名目で支配してきたことへの反省も謝罪もなく、まるでそうした暴力がふるわれたことなどなかったかのように、国家元首級の人物である王族が、このような「人権・自由の庇護者」のような発言をする。


自分が振るい続けた支配と暴力はすっかり棚に上げて、「譲り渡す」相手(中国政府)の暴力を(人民の庇護者然として)牽制する発言をすることで、自分の道徳的な潔白を装うと同時に体面を保ち、またあわよくば今後も影響力を行使し続けようとする態度が、狡猾さと未練がましさの入り混じった醜悪きわまりない旧植民地帝国の精神のあらわれのように思え、実に不快な思いがした*1
これではまるで、DVを振るい続けて妻に離縁された元夫が、妻の新しいパートナーの男に悔し紛れの捨て台詞を言ってるようなものではないか。
そう思えたのは、これがチャールズ自身の離婚の翌年の出来事だった為ばかりではないだろう。


今回のブレアの発言に感じられるのも、この「清算されない植民地主義者の根性」とも呼べるものであり、それはとりわけ、国力がすでに零落しているのに、その現実を認められず、支配と搾取を思いのままに振舞えた「栄光の過去」の正当化と、そこで不当に得続けてきた権益を手放すまいとする「旧植民地帝国」の人間の、醜悪な精神性でもある。
つまり、日本人であるぼく自身の中にも実感されるDV的な政治性、と呼んでもよい。






だが、イギリス以上に植民地主義がまともに清算されたことのないこの日本の社会では、こうしたパターナリズムと民衆(被支配者)への蔑視が結びついた精神は、もっと広く、さまざまな属性や階層や政治的集団の人たちに、(普遍的と言いたくなるほど)共有されてしまっているものではあるまいか?
ぼくが最も強く言いたいのは、このことである。


エジプトや中東の「革命」・「民主化」を見て、すぐに「中国や北朝鮮の民衆のために出来ることは」という風に言う人がある。
この思い、この問い自体は、重要で真実なものだ。ある意味では、こうした問いから目をそむけ続けてきたことが、日本の社会が変革されず、非人間的な体質から脱することが出来なかった根本の理由であるとさえ思える。


だが同時に(こうした問いを真剣に投げている人なら、とうによく分かっておられるだろうが)、われわれが決して忘れてはならないことは、過去から現在にわたってわれわれ自身がこの地域に行使し続けている(そして、これから再び本格的に行使する可能性のある)、国家的・国民的な暴力の巨大さというものである。
私は無力だが、日本人である私は、巨大な暴力の加担者たりうる(し、すでにそうしてきた)。
この事実を、忘れてはならないと思う。
これは、決してたんに倫理主義的な意味で言っているのではない。現実に振るわれており、また今後なお一層振るわれる怖れのある、われわれの具体的な暴力についてのことなのだ。


この暴力、国家による巨大な暴力の行使に加担しないためには、自らの(政治的な)暴力性に自覚的である必要がある。
その自覚をとおして、自らの暴力を抑制すること。
それは同時に、「被抑圧者である自分」を発見し、それを解放して、世界の民衆たちと同じ位置に自分を置き直すということでもある。


それは、歴史的に言うなら、こういうことだ。
植民地支配や大国の侵略によって侮蔑を受け続けた人たちが、何に対して最も憤り、そのためには全てを犠牲にしてもたたかかおうとしてきたか、また、そうするものであるか、想像すること。
例えばガザ地区の人たちが、その支配にひどい面があることは分かっていても、また国際的な「制裁」にさらされる怖れのあることを知っていても、なぜあえてハマスによる政治を選択したのか。
いわば、その支配の過酷さは、「それにも関わらず」その政権を選んだ人たちが実感してきた、周囲の「より巨大な暴力」の大きさの証明であり、彼らが実感してきた侮蔑と憤りの証しだろう。
同じことが、中国や朝鮮の人たちについても言える。
このことは、今後東アジアの政治情勢が、どう変わろうとも、われわれが決して忘れてはならないことだ。
なぜなら、「より巨大な暴力」とは、(国民でもある)私たちの加担によって行われた暴力なのだから。


より巨大な国家的暴力が、また別の形の国家的暴力へと、民衆を追い込む。
その追い込む側の立場に、今も私たちは居る。
その事実を忘れたとき、「中国や北朝鮮の人たちのために、私たちが、何かをしてあげる」というパターナリズム的な心情の形で、国家による罠は容易に私たちを同化する。
つまり私たちは、新たな姿の植民地官僚のようになってしまった自分に気づかなくなる。
そこでなされるあらゆる「介入」は、当の「非民主的」な体制を(外国の介入への反発という形で)強める結果になるのでなかったら、再び自国(及び資本主義)の支配と収奪の下にかの国の人たちを置く手助けをするだけになるだろう。
変革や解放の主体は、あくまで被抑圧者当人であって、「何かをしてあげる」側であるはずがない。この人たちを心身ともに傷つけて現在の場所に追いやった(追いやり続けている)ものをただすことなくして、私たちがこの人たちに「連帯」できるはずも「支援」できるはずもない。


どういう立場であっても、私たちがするべきことは、自国の植民地主義的で人命蔑視的なこの体制を変革するということ、そのことを通して全てを行うということでしかありえないはずだ。
それは上に述べたように、私たち自身の中にある人間への蔑視的な感覚を取り出して克服し、(自分たちが加担している暴力によっても)抑圧されている人たちの心情への想像力を回復することと、不可分だと思う。
そういう蔑視的な感覚が内在していることを忘れたとき、私たちは植民地主義の論理に飲み込まれて国家権力の道具と化しているのである。


ここで、『フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集』所収の鼎談「労働にとって「女性」とは何か」のなかで、生田武志氏が女性の野宿者について言っていたことを思い出す。
氏は、貧困問題が論じられるとき、セーフティーネットの必要性を説く論議の中で、「昔のような社会に戻せばいい」かのような論調があることへの違和感を述べて、次のように話している。

というのも、女性野宿者とぼくも何人か関わったことがあるんですが、野宿の女性の何人かは、「家に帰るくらいなら、野宿している方がマシ」とよく言います。これは、男性野宿者とはまるで逆で、とくに野宿になったばかりの男性は、なんとかして元の社会に戻りたいと、つまり「元の職場で仕事がしたい」「仕事さえあればなんとかなるんだ」とよく言います。一方、女性の野宿者は、あんな職場に帰るくらいなら野宿を続ける」「あんな家に帰るくらいなら、こっちのほうがマシだ」と言って、野宿を続ける女性が結構いる。つまり、野宿よりも家庭や職場の状況が厳しいということです。
 野宿者問題についても「自立支援」や「社会復帰」とよく言われますが、「社会復帰」の「社会」ってなんやねんと話になってしまうんです。その「社会」は野宿よりひどいのではないかという話なんですね。女性の野宿はものすごく大変ですが、たぶん一般の社会はもっとひどい。(p80〜81)


女性の野宿がどれほど過酷なものであっても、それを選択する女性たちが居ることは、「家」や「職場」で女性たちに加えられている圧迫や暴力のひどさを意味するだろう。
そのひどさを認識し、それを変える努力をすることなしに、「にも関わらず」選択した過酷な道から、被抑圧者を「われわれの社会」に引き戻そうとすることは、暴力の構造を結局は再生産してしまうことである。
私たちがするべきことは、まずその道を選んだ彼女たちの生を尊重することであり、その尊重(想像力)を通してその道を選ばせてしまった私たちと私たちの社会の暴力的構造を変えることであり、そして彼女たちと共に、すべての暴力と支配を生み出すこの世界の根本的な仕組みに立ち向かうことである。
たぶん同様のことが、国際情勢の文脈においても言える。


日本という国家が振るう暴力を内在化させていることを自覚し、それに抵抗することを通して、抑圧された者(自分が抑圧している者)への想像力を回復し、「被抑圧者」である自分を奪還すること。
真に解放されるべきは、やはりまず、ぼくたち自身なのだ。

*1:そもそも、「植民地支配の終焉か、自由と人権の確保か」というありえない二者択一に香港の人たちが置かれるようなことは、イギリスの植民地支配の歴史がなければなかったはずだろう。