自分の居る位置

『葉っぱの「歩行と記憶」』さんで、kuriyamakoujiさんのマイミクさんが書かれた記事が引用されていて、そのなかに先日の拙ブログの記事が何箇所か引かれていた。

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080506/p1


この記事を書かれた方は、たぶん東京のデモに参加されたのだと思うが、ぼくが住んでいる場所から遠いところで、ぼくの書いた文章の一節を思い出しながら、こうしたデモに参加したりしている方があるということで、ありがたいと同時に、ちゃんとしたことを書かないといけないという気持ちにさせられる。


それで、この記事のなかに、『死刑になりたい』というエントリーの一節が引かれているけど、自分としては、あの

「死刑になりたい」といって殺人を犯す人は、自分の生が無価値であり、死んでしまいたいと思っているが、自ら命を絶つ行為を行う力も奪われている人、それほど徹底的に自分の生(つまりこの世界とのつながり)から分離されている人だろう。


と書いた、その気持ちに、もっとも近いものを感じているのである。


こちらのブログで知った、やはり『自由と生存のメーデー』の写真のなかの

『仲間たち!黙ってのたれ死ぬな!!』


というプラカードの文句を見たとき、自分に言われてるみたいな気がして、とても痛かった。


ブログでこうした行動を紹介したり、そういう行動なり戦いの意義について考えて書いたりするとき、ぼくはいつもそういう「痛み」を自分のなかに感じていて、ときにはそれをごまかしながら書いている。
しかし、そういう「痛み」というものを通して、自分の外側で生きている人たち、とくに頑張って戦っているような人たちにつながっていくことが、大事なのだと思う。
だから、そういう自分自身の位置、居場所について、もっと正直に掘り下げて書くようにしていきたいと思った。